ロールモデルの存在

ロールモデル。参考にすべき先達者。自らがそうなりたいと思えるような存在。そんなものだろう。

 

一般的な人間。例えば、大学を出て上場企業に勤めているような人にとっては、そのロールモデルを探すのは難しくないことだろう。

定年まで勤め上げて(いま現在、それが難しいかもしれないという話はあるかもしれないが)、老後は年金をもらってどうする。あるいは、早期に退職して別道を歩む、ベンチャー企業に転職する、などなど。

 

そんなロールモデルが身の回りや、あるいはネットを検索して出てくるのならばよい。

人生の指標になる。そのとおりの道を歩まずとも、ある程度の目印にはなるだろう。

 

が、おれのような人間はどうだろうか。

大学中退の高卒、そして精神障害者。実家が太いも細いもなく、一家離散済み。

そして、食っていけるだけのさしたる才能もない。なんとなく生かされてしまっている。そんな人間の、ロールモデル。

 

アンナ・カレーニナ?

「すべての幸せな家庭は似ている。不幸な家庭は、それぞれ異なる理由で不幸である」

おれは無学なので『アンナ・カレーニナ』を読んだことがない。

だが、このような文言は知っている。そして、人生はそのようなものだろうと思う。

家庭からさらに踏み込めば、「すべての幸せな人間は似ている。不幸な人間は、それぞれ異なる理由で不幸である」。

 

おれは、「それぞれ異なる理由で不幸」な人間である。

おれはおれが「このようにして生きればなんとかなる」というロールモデルを見つけたことがない。

そして、もちろん幸福な人間に似ているところがない。大卒で大企業に勤めている人間とか、医師とか、弁護士とか。

 

似ている人間がいないというのは不幸である。

あるいは、似ている人間が結局のところ不幸な生き方、死に方しかしていないというのは、もうどうしようもないと思わせてくれる。

 

優秀な「障害者」たち

だれそれはまっとうな人生からドロップアウトしても、こんな生き方をしている、だとか、だれそれは障害者(たとえばおれとおなじ双極性障害)だが、自身で生きる道を見つけている、などという話もあるだろう。

 

だが、そんな話はなんの参考になるというのだろうか。

彼らは、それぞれに多くの人間に認められる学歴、学校歴を持っていたり、金になる才能を多大に持った人間なのである。

おれからすると程遠い存在である。

 

おれとて、そのような人たちから得られる何かがあるのかもしれないと思って、著作などを読んだりもした。

したが、とてもじゃねえが真似できねえ、その道を歩むだけの能力も気力もねえと思うしかなかった。

 

ぶっちゃけて言えば、そんなもん、なんの参考にもならんのよ。

元より精神障害によって健常者より生産性のない人間、これがなんらかの才能によって自分の思うがままに人生を歩むなんてこと、ちょっと想像がつかない。

 

そんな才能は、健常者にとっても得がたいものであろう。

ましてや、手帳持ちの無才な精神障害者のおれにとっては無理、無理、というところだ。

 

なにをやっても無駄

このようなおれが、一応は一般雇用として零細企業に正規社員として雇われていようが、なにをやっても無駄だ。

会社は赤字だし、おれにはそれを覆す力もない。

漫然と赤字企業で赤字人員として過ごすしかない。

おれにはこれ以上の努力は無理だし、すべてを覆すような才覚もない。ただただ、死ぬのを待つ日々を送るしかない。

 

なにをやっても無駄。新しくネット通販に手を出してみても、一日の閲覧者は二人か三人。

それでなにが売れるというのか。まるで無駄だ。

おれなりに頑張ってサイト構築をしてみたが、まったく意味がない。

意味がないどころか、「おまえには価値がない」という事実を突きつけてくれるだけの意味はあっただろうが。

そうだ、おれには価値がない。

 

いずれにせよ、おれはなにをやっても無駄な無能だ。生きている資格も価値もない。

かといって、「おまえには自分で生きていけるだけの能力がないから公助によって救ってやろう」という話もない。

おれが職を失って生活保護の窓口に行ったところで、徹底的に人格を否定され、存在を悪罵され、追い返されるのが関の山だろう。

 

この世の福祉というものにはなんの信頼も置けない。

いざとなったらという気持ちを持てない。

とても、とても、嫌な思いをするだけだろう。

その結果、なにも得られないだろう。それがおれの未来だ。

 

今を生きようと頑張ったところで無駄。

いずれなにかの助けを受けようと思っても無駄。無駄、無駄、無駄。

そればかりがおれにのしかかる。

 

のしかかられたところで、反発する力もない。

ただ、押しつぶされて、その意識から逃げるために酒を飲んで、脳の中味をふっとばす。それくらいしか生きるすべがない。

酒を買う金がなくなったらどうなるのか。想像ができない。

 

もしも、これでも生きている人間がいるなら

不幸の形はそれぞれに異なる。障害の形もそれぞれに異なる。

とはいえ、おれはおれのような無能の障害者の先達の生き方を見ることができれば、いくらかは救われるように思う。

 

実家の太さ、いや、存在によって、なんとか作業所で自立できないていどの賃金をもらう、などというのではだめだ。

いや、その人生がだめだとは決して言わない。しかしおれの参考にはならない。実家が存在しないおれの参考にはならない。

おれは安アパートの、この、手先も凍える安アパートの家賃を払えなくなったら、さらに寒い寒空に投げ出されるだけだ。

そして、寒さで死ぬか、飢えて死ぬかだけだ。実家がある人間の言うことは、残念ながら参考にならない。

 

おれが参考にしたいのは、おれのような人間の話だ。

生きていけるだけの才覚に溢れた人間の話でもないし、福祉行政の水際対策を屈服させるだけの障害をもった人間の話でもない。

ほどほどに生きていけるが、それほど生きていけない障害者の話だ。

家族や親類に頼ることができない人間の、それでも生きていく資格を得られるような人間の話だ。

 

おれは弱く、情けない人間がゆえに、そういう話をインターネットで探したりもする。が、そんなもの見つからない。

公助を受けられる人間はおれよりもっと辛い障害を負っているし、自立して生きている人間はおれよりずっとすごい才能を持った人間だ。

 

どうしようもなく、中途半端。それがおれだ。嫌になるくらい、中途半端だ。

生きていけるだけの才能もないし、福祉に頼るほどの障害でもない。この手帳なんて、どれだけの意味があるものか。

 

おれはおれの才覚で生きていけるなら生きていきたいし、それが無理であれば何らかの助けによって生かされたい。

しかし、そのどちらにも属してはいない。ただただ苦しんで労働し、無駄なことに生命をかけて、結局は無駄で、それが破局したところで、それでも福祉によって生きることを認められない。

 

自死か路上か刑務所か

自死か路上か刑務所か。ずいぶん昔から自分が抱いてきた、自分の末路だ。

自死は痛くて辛そうだし、路上は寒くて辛そうだし、刑務所も結局はコミュニケーションやなんやらも求められるので辛そうだ。どの末路もおれに幸福を約束しない。

それでも一番マシなのは最初の一つだろうか。刑務所の米は老人向けに柔らかいというが、おれは柔らかい米が嫌いだ。

 

「死刑になりたい」という動機での犯罪もいくらか増えてきている。それにはいくらかの共感を覚える。

しかし、なかなか死刑になるだけの犯罪は犯しにくいし、犯したところで死刑まではそれなりの時間がかかるだろう。

 

もっとも、おれには、そういった犯罪を犯す度量がない。度胸もない。

そのあたりも、中途半端だ。半端者だ。せいぜい無銭飲食でもして、懲役数ヶ月といったところか? それでは人生を終わらせられないぞ。どうしたものか。

 

……どうしたものか、まったく想像がつかない。

それこそ、ロールモデルがない、というものだ。

大企業勤めや弁護士や医師などであれば、いろいろな先達のなかから、望ましい生き方、死に方を選ぶこともできるだろう。

 

だが、おれにそのようなものは存在しない。

選ぶべき選択肢も存在しないし、選ぶべき権利もない。

ただ死にゆくにしても、死にかたがわからない。安全で幸福な死にかたがわからない。

 

もちろん、おれには家庭などないのだから、その点では楽なはずだ。立派に育てて、残すべきものを残さなければならない子供もいない。

天涯孤独といってもいい人間が、どうなろうとだれも気にしない。

とはいえ、我が身可愛さという傲岸不遜さはいかんともしがたく、できれば辛くないのがいい、苦しまないのがいい、そんな身分不相応な望みをいだいたりもする。

 

なんの罰なのか?

しかし、これはなんに対する罰なのだろうか。

そう愚痴りたくもなる。

 

おれが無能で、なおかつやる気も向上心もない人間に生まれてきてしまったのは、なんの罰なのだろう。なにか罪があったのだろうか。

それは前世にあったのだろうか。前世というものがあったとしても、それにおれがなにをできよう。なんの罪を負うべきなのだろう。

 

すべては、おれが生まれたときに始まった。そして、このまま終わる。

よくわからない罰を受けて、すなわち原因もわからない障害を負って、幸せを感じることもなく、ただひたすらの苦痛を受けて、生きて、死ぬ。この罪と罰はなんなのか。

 

問うたところで仕方のない話だ。それもわかっている。

この人類のなかで、そういった事情を負わなくてはならない人間が一定数いなくてはならないということもわかっている。遺伝子のプール。

 

なにか特別、すごく特別なケースにおいては、おれのような人間が生き残るのかもしれない。

とはいえ、今はそうではなかった。それゆえ、偶然にもおれは苦痛を背負わなければならなかった。救いはない。偶然だぞ。

新型コロナウイルス感染症が流行したところで、かわりはないぞ。

 

なんの罪もないはずなのに、とは言わない。

おれが努力する心や向上心を持てなかったのが罪なのだろう。才能をもって生まれなかったのが罪なのだろう。

それにしても、この罰は長くて、ほんとうに嫌になってしまう。

 

そして、この罰を受けきって死んだ人間の声を聞きたいと思うのだが、罰を受けきった人間には言葉を残すすべもないだろう。

だからせめて、中途半端な状態で、おれがいくらかこの罰の苦痛を書き残そう。

おれができるのは、そのくらいのことだ。

 

 

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(2022/9/22更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by Javad Esmaeili