精神障害者の行く末

テレビで「親切な不動産屋さん」みたいなドキュメンタリーを見た。

いろいろな事情を抱えたお客さんに、徹底して向き合って、物件を見つける。そういう話である。

 

だが、おれはそのドキュメンタリー番組のなかで、おそろしいやりとりを見てしまった。

生活保護を受ける精神障害者の人が、べつの不動産屋さんに問い合わせる。

「生活保護なんですが……」。「生活保護の理由はなんですか?」。「身体を壊しまして」。「具体的な病名はなんですか?」……。

 

結果、生活保護の人は100件に90件断られるということ。

さらに、生活保護の理由が精神障害であれば、ほとんど駄目だということ。それを告げられていた。

 

告げられていた人の障害の一つは、「双極性障害」。あ、おれと同じじゃん。おれも双極性障害じゃん。それで精神障害者健康福祉手帳も取得してるじゃん。となると、もしもおれが一般人に混じってなんとか働くことができなくなって、生活保護を受けたときに、住む場所がなくなるってことじゃん。やばい。

 

住むところがないという恐怖

これは、恐ろしい映像だった。

今のところ、おれはどうにかして、一般の労働をして、かなりの低賃金ではあるが、かなりの低家賃のアパートに住むことができている。

 

もしもおれが働けなくなって、いよいよ生活保護に頼るようになったら、ここに住むこともできなくなる。

意外、という思いもあった。なぜならば、生活保護というある意味で安定した収入があれば、そこから家賃を定期的に、欠くことなく支払うことは可能であるからだ。

大家にとっては、べつに収入源がなんであれ、家賃が振り込まれればそれでいいのではないか。

 

それが、そうではないのだな。その原因が、精神障害となると、もはや救いようもないようだ。

精神障害といってもいろいろある。ここで「おれはそういうのではないんだ」と主張するのはいささか気が引けるが、暴れてしまったり、大きな音を出してしまったりして、まわりの住居人にとってストレスになってしまう場合もある。

 

現におれも、以前住んでいたアパートで、隣人が大暴れするタイプで、結局は警察沙汰になって退去ということがあった。

おれはそのころまだ精神障害者ではなかったが、大きな音には元来弱く、かなりのストレスになっていた。もしもおれにいくらかの余裕があったならば、退去することも十分に考えられただろう。

 

そういうリスクを、大家は考える。地主は考える。

実に合理的だ。住むのならば、精神に障害などなく、普通の勤め人であることを希望するだろう。

 

大家の、地主のなにが偉いんだ?

しかし、大家の、地主の、なにが偉いんだ? なにが偉くて苦境に立たされた人間の人生を左右する権利を得ているんだ? 先祖代々受け継いだ土地があるという幸運か。幸運でないものは死ぬべきか。

自分の能力で稼いで働いて得た土地か、建物か。能力のある人間は生かされるべきで、そうでない人間は死ぬべきか。

 

そうなのだろう。

おれが先祖代々の地主でもないのは、動かすことのできない運命であるし、おれが精神障害を患って、なおかつ生来の無能と努力できない性質でもって金を稼げないというのは自己責任だ。

ゆえに、おれはやがて住む場所を失って、路上に放り出される。路上が嫌ならば、罪を犯して刑務所に入ってやろうか。それとも、もっとも簡単なのは自裁することだろうか。

 

どこで、このおれという人間の不幸は生じてしまったのか。おれの運が悪かっただけなのか。おれという人間の無能さがいけないのか。その無能さの根源とはどこにあるのか。

やはり、おれが努力できない、向上心のまったくない人間であるということにあるのか。そこから変わろうとする思いを抱けなかったせいだろうか。

 

いずれにせよ、おれには屋根の下に住む資格がないということはわかった。自死か路上か刑務所か。それしか選択肢がない。

「老後は郊外に一軒家でも買ってゆっくり過ごそう」とか、「都会のタワーマンションに住んで高度な医療にアクセスしやすいようにしよう」とか、そんなところとは程遠い。

 

これを読んでいる人は、豊かな老後を思い描ける人間が多いと思うが、そうでない人間もいる。

そもそも、老後の資金に何千万円必要だという話で、おれよりはるかに高いレベルの中流階級の人たちがざわめきたったように、それほど楽な話でもない。

 

地獄を生き抜いて、他人を蹴倒して、勝ち残った人間だけに、生きる資格がある。権利がある。ここはそういう世の中であって、おれひとり文句をいったところでなんの効果もないし、束になって文句をいったところで有能な勝者たちによってかき消されてしまうことだろう。

 

代々金のあるものは偉い。金をたくさん稼げる有能なものは偉い。それ以外は偉くもないし、路上に放り出されて惨めに朽ち果てて死ぬしかない。なんてこった。

実際、人間一人が生きていくだけの場所も用意せず、人間を次々に作り続けてしまうことは正しいのか? 「居住の権利」なんて基本的人権、理想は信じたいけれど現実ではない。

 

そんなおれもだれかの居場所を奪っている

と、ここまでおれは弱者の視点でいろいろと述べてきたが、果たしておれは弱者だろうか。

いまのおれには日本国の神奈川県にある横浜市の中区というところに家賃月額5万円のアパートを借りて住んでいる。

おれには屋根もあるし、ユニットバスもある。水道水も飲める。電気だって使えるし、都市ガスだ。

 

世界。ザ・ワールド。最貧国と言われる人たちのことを考えてみろ。

そうでなくとも、この没落しつつある日本は今のところ世界三位の経済大国でもあるらしい。

それに比べたら、もっと苦しい住環境にある人は、それこそ何十億人もいる。

 

おれは弱者だろうか?

そんなおれに、ここに住むだけの資格があるだろうか。どうにも、そこも怪しい。

この世界には、おれよりも性根の正しい人間がいるだろう。おれよりも英単語をたくさん知っている人間もいるだろう。おれよりも数学ができる人間もいるだろう。三角関数だって理解しているかもしれない。おれよりも、よりよく生きるべき人間がいるだろう。

 

それを考えだすと、たまたまこの時代の日本に生まれてきてしまった自分というものの資格と価値について考えざるをえない。

本当は、ここでこうやって生活していてはいけないのではないか。

もっと、世の中に歓迎される、望ましい人間にこの場を譲るべきではないのか。

 

罪悪感なんてたいそう立派な感情ではない。ただ、自分の無価値と、世界に対する無貢献を考えて、ぼんやりと暗い気持ちになるのだ。

 

おれの生まれに取って代わりたい人間もいるだろう

と、考えてみれば、おれとて地面を所有する人間の子供であった。

鎌倉のそれなりのところにそれなりの広さの一軒家があった。おまけに、祖父は東京に何部屋か投資目的のマンションを所有していた。

 

なんだ、おれ、富裕層? 富裕層というほどではない。ただ、貧しくもなかった。

一億総中流時代の中流が抱いていた「中の上くらいかしらん」くらいの意識だった。子供の頃は。

 

その全ては、父が事業に失敗したことで失われた。とはいえ、おれは私学の中高一貫校から慶應とかいう大学に進むことができた。

大学は、勉強と人間関係というものにいよいよ嫌気が差して中退した。中退して引きこもっていたら、実家がなくなった。おそろしい話だ。

 

もしも、おれ以外のだれかがおれであったら、恵まれた学校歴を利用して、独立した一社会人としていい企業に入るなどできたかもしれない。

あるいは、もっともっとやる気に満ち溢れた人間であれば、父の傾いた事業を受け継いで、若き事業者になれたかもしれない。

 

おれはなにもしなかった。ファミスタとダビスタをやっていた。やっていたら、家がなくなった。

正確にはワースタかもしれないが、まあいい。

 

と、こんな話を聞いて頭にくる人もいるだろう。たいていの人間は見下してバカにするだろうが、「もしも自分がおまえの恵まれた立場だったら」と怒る人もいるかもしれない。

その怒っている人は、恵まれない環境から努力で成功しているかもしれないが、運悪くおれと同じようなゴミクズのような生活を送っているかもしれない。それはわからない。

 

いずれにせよ、おれは生まれにおいてそこそこ恵まれていたし、自死か路上か刑務所かという人生以外を歩めた可能性も十分にあった。

おれにもうちょっとやる気があれば。おれにもうちょっと三角関数が理解できるだけの頭があれば。おれがもうちょっと人見知りでなければ……。

 

言い出せばきりがない。だいたい、「もうちょっと」なのか。そんなこともわからない。

おれは相当にやる気がなかったのかもしれない、かなり頭が悪かったのかもしれないし、コミュニケーション能力を完全に欠いていたのかもしれない。今はそうやって過ぎ去ってしまった過去を諦めるしかない。この惨めさ。

 

ただ、惨めだが、おれには養わなければいけない家族もいなければ、維持しなければいけない人間関係もない。

ただ、毎日、酒を飲んで、週末には馬券を買って、そうやっておちていくだけだ。

 

正直、これは、楽だ。おれは楽をして生きている。

仕事において責任ある立場でもないし、働けなくなったら、おれ一人住むところを失い、食えなくなるだけだ。そして死ぬだけだ。

どんなに食生活がひどかろうと、部屋が散らかっていようと、おれは自由だ。酒で精神状態がさらに悪くなっていこうと、内臓を悪くしようと、知った話か。おれにはなにもない。

 

なにかある人間は、せいぜい努力しろ、苦労しろ、そしていい生活をして、家族に見守られながら安らかに死ね。

自己啓発、労働、労働、労働、家事、育児、自己研鑽、労働、労働、労働、家事、育児、生産、生産、成功。がんばれ。

 

とはいえ、譲らなくてはならない

と、そんなことをうそぶいても、おれにはどうもやはり自分がこの底辺のような、底辺でないところにいていい理由がないという思いにとらわれている。先に書いたとおりだ。

楽に、自由に、世捨て人のように生きていながら、その負債の重さ、世の中への加害について嫌なものが同じだけの大きさでのしかかってくるところがある。

 

ユズリハという植物がある。新葉が出てくると、古い葉がその場を譲るように一斉に落ちるのが名前の由来だと言われている。

庭木にするなら同属のヒメユズリハのほうがいいかもしれないが、それはどうでもいい。

 

人間いうものも、本来は、そのように自分の子や孫に自らの場を譲り、散っていくのが本道だったのかもしれない。

だが、おれのような落伍者、家族も子供もいない人間はどうすればいいのか。

譲るものもなければ、譲る相手もいない。ただしつこく、散ることもなく薄汚い葉が枝にくっついて……見苦しい。

 

などと、自分が薄汚くも生きてしまうことを「あたりまえ」のように感じてしまうのも、仏教で言うところの「無明」の一つなのだろう。

とはいえ、この凡人、怠惰にここに居座りつづけておれよりすばらしく、おれより恵まれていない人にこの場を譲る気もない。

そういはいっても、いずれは不動産屋が死刑宣告してくれることであろう。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

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