この記事で書きたいことは、大筋以下のようなことです。

 

・観光で日光に行ったら想像以上に素晴らしかった

・あと特急スペーシアの個室も大変良かった

・正直、ろくに行ったこともないのに「コテコテの観光地」を舐めている側面が自分の中にあったことに気付いて、自分の見識の狭さを思い知った

・「コテコテ」を軽く見る、忌避するという向きは色んな分野で存在するような気がする

・「コテコテ」にはコテコテになるだけの理由があるのであって、そこを認識していないと損をするかも知れない

 

よろしくお願いします。

さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。

 

先日、ちょっと時間が空いた上、子どもたちが合宿やら実家にお泊りやらで家を離れる為、恐らく十数年ぶりに妻と二人で一泊旅行に行くことになりました。

とはいえ、予定が空くことが確定したのもほんの数日前でして、ゆっくり計画をする時間も、宿探しをする余裕すらない弾丸旅行です。

 

温泉に浸かりたかったので、旅行が趣味のしんざき兄に「関東近辺でいい温泉知らない?」と尋ねたところ、「草津か万座か奥日光」という言葉が返ってきました。

 

その上で、旅行ルートを考えるのが大好きな乗り鉄長男に「この三つのどれかで、お勧めの旅行ルートない?」と聞いてみたら、細かい移動タイムスケジュールと共に「東武の特急スペーシアの個室を予約する」という提案をしてくれました。

なんでも、スペーシアには個室があって、人数で割れば新幹線のグリーン車に乗るより安い価格で利用出来るそうなのです。

「たまの二人旅なんだからちょっとくらい贅沢したら?」と長男は熱弁してくれました。

 

正直なところ、私は電車を「移動手段」としてしか認識していない方でして、そこそこのお昼ご飯が一食食べられてしまう個室料金には若干躊躇したのですが、折角なので兄と長男、二人のお勧めに従って日光を旅行先に決定したわけです。

 

結論から言うとこのチョイスは正解も正解、兄と長男のお蔭で二人旅を120%満喫することが出来ました。

 

スペーシアきぬがわの個室は実にゆったりとしていて、周囲を気にせずのんびりと飲み物やおつまみを口にしながら、プライベート空間を満喫出来ました。

周囲に人がいない分、新幹線のグリーン車以上のくつろぎ空間でした。

ほのかに漂う昭和レトロな感じもまったり旅にベストマッチ。

正直、「あー、電車で移動ってこんなにわくわくするものだったなー」と思い出して、これまた自分の固定観念を思い知るいい機会になりました。

 

日光についてからはレンタカーを借りて行動したんですが、あまねく関東の小中学生が修学旅行で訪れるという日光東照宮にも産まれて初めて訪れまして、当日は8月と思えない涼しさで霧までかかっていたのですが、

この霧が実に素晴らしい雰囲気で、東照宮の絢爛な装飾が荘厳な雰囲気を帯びまして、平日で人がまばらだったこともあり、まるで秘境の寺院に迷い込んだような気分にさせていただきました。

そして、「日光と言えば」の滝づくし。

今回竜頭の滝、湯の滝、華厳の滝、裏見滝辺りを回ったのですが、どの滝も「表ののんびりした雰囲気で油断させておいて、滝のド迫力で刺す」という戦術を使ってきまして、例えば湯の滝って湯ノ湖から流れ出している滝なんですが、

湯ノ湖って実に静かな雰囲気で、とてもその裏に瀑布を隠しているようには見えないんですよ。

湖の周囲を散歩したんですが、本当のどかで、水辺に腰かけてゆっくりサンドイッチでも食べたら気持ちいいだろうなーというくらいの穏やかさなんです。

 

ところがそこからほんの数十メートル、湖の端から遊歩道を通って、滝に降りてみるとこれ。

私の撮影の技量が低いので迫力が9割減くらいになってしまっているのですが、「なんであんな静かな湖から、こんなド迫力な滝が流れだしているんだ……!?」としか思えませんでしたよ。

 

その点は華厳の滝も同じでして、道の反対側は本当「のどかな観光地の国道沿い」という感じでして、ちょっとひなびたお店がいくつか立ち並んでいて、おみやげもの屋で木刀が売っていたりして「あー男子高校生木刀買うよね絶対」などと話していたんですが、

いざエレベーターを降りて滝に行ってみるとこれです。

ただそこにあるだけで周囲を圧倒する、落差90mの大瀑布。100m先の平地の存在が疑問に思えてしまう、とんでもない自然の地形造形。

「ほんのすぐそこに国道があるのに、100mも移動するとこれ」という徹底したギャップ戦法には、正直観瀑台でしばらく唖然としてしまいました。

 

ちなみに観瀑台の反対側にある「涅槃の滝」もものすごいド迫力、「H2」でたとえると「4番橘英雄の次に控える5番中井」みたいな存在感でして、「いやこの滝普通の観光地なら十分メイン張れるでしょ……?なんで「ただの脇役です」みたいな扱いなの……?」という疑問で頭がいっぱいでした。華厳の滝のスケールがおかし過ぎる。

 

一体どうすればこんな地形が出来るんだろう?というところにも疑問がいっぱいで、近くの資料館で男体山や三岳の噴火の歴史について調べたりしていました。

 

華厳滝のすぐそばの喫茶店で頂いたチーズケーキも無暗に美味しく、奥日光の温泉地も素晴らしい泉質で、明智平で雲海を眺めたりもして、旅行を満喫しまくってしまったという次第なのです。

いやー、最高でした日光。今度は子どもたちも連れて行きたい。

 

***

 

自分の無知や不見識を晒すのは大事なことだと思うので正直に書いてしまうのですが、行ったこともないというのに、私ちょっと日光を甘く見ていたというか、なんとなく「わざわざ行く程でもないかな……」などと思ってしまっていたんですよ。

今まで、関東近辺で旅行をしたことは何度もあるのに、日光を俎上に上げてすらいなかったんです。

 

その原因の一つには、「皆行ったことがある、「コテコテ」の観光地」という先入観が自分の中にあったのではないか、と考えます。

 

日光といえば、「小学校の修学旅行先の定番の一つ」というイメージがあります。

私自身は名古屋育ちなので修学旅行は京都だったのですが、南関東、特に神奈川では現在でも「修学旅行と言えば日光」というのがお決まりになっているということです。

 

以下はゼンリンさんの調査ツイートで、コロナ前後や東日本大震災前後で傾向が変わったかと思ったのですが、現在でも大きな変動はないようです。

ちなみに妻(横浜出身)も修学旅行先は日光でして、現地でも複数の修学旅行団体に行き当たりました。

 

湯の滝で行き当たった小学生グループは、すれ違う際元気よく挨拶をしてくれまして、試しに「遠足?」と聞いてみたら最初「日光!」という答えが返ってきました。

「え、それはここの地名やん?」と戸惑ったのですが、その後「あ、修学旅行です!」と補足してくれて、彼らの中では「日光」という言葉が既に「修学旅行」の代名詞になっていることに気付きました。

「日光」の一言だけで「修学旅行」だと通じる、と思っちゃったんですね。

 

固有名詞の一般名詞化は強い。あと私の反応を見て修正してくれたの賢い。

 

で、「(特に関東では)どうせ皆行ってるし、わざわざ自分で行く程ではないかな……」という、妙な「メジャーチョイスに対する忌避感」みたいなものが自分の中にあったんですよ。

実際、「華厳の滝の凄さなんて、皆知ってるよね……?今更いちいち書くことないよね……?」などという意識が、これを書く間も邪魔していたのも確かです。

 

つまり、その観光地の知名度、どれだけ人口に膾炙しているかというものさしを、自分の価値基準に割り込ませてしまっている。

「メジャー」であることを、価値基準におけるマイナスポイントとして考えてしまっているわけです。

 

確かになんか、「マイナーどころなちょっといい場所を知っているとかっこいい」というような意識はあるんですよ。

現地の人しか知らない凄い場所とか、人が滅多に訪れない秘境とか、それだけで行く価値があるような気がしてくる。

 

ただ、よくよく考えるとそれは違うんですよね。

 

まず、「他人が見ているか/行っているかどうか」は、「自分にとって価値があるかどうか」と本来なんの関係もない。

他人の体験と自分の体験は完全な別物なのだから、他人の体験を自分の価値基準に含めるべきではない。

 

他人の後追いだから体験の価値が減ずるということもない。

もし他人の後追いで旅行の価値が下がるなら、それこそ前人未踏の秘境にしか訪れることが出来なくなってしまいます。

 

もちろん、当日混雑しているかどうかは体験の価値を測るひとつの基準にはなるでしょうけど、今回の場合は平日で混雑具合も薄かったわけで、むしろ空いている時に景勝地をめぐることが出来る大チャンスだったわけです。

 

まして、メジャーになるにはメジャーになるだけの理由や素晴らしさがあって、「見る価値」「行く価値」があるからこそ定番になるわけです。

そこを「メジャーだから」などというしょうもない理由で避けるのは、どう考えてももったいない。

 

かつて訪れたことがある奥様ですら、「子どもの頃見たのと全然印象が違うね……」などと日光の凄さを再発見していた訳でして、まして初訪問の私など、ひねた考え方で日光を避けていたこと自体、重大な損失だったなーと見識の狭さに恥じ入るばかりだった、という話なのです。

 

***

 

ところでいきなり話は変わるんですが、しんざきはケーナという管楽器を演奏しています。

南米はアンデスの民族楽器でして、日本で言うと尺八に近い縦笛です。「コンドルは飛んでいく」という曲あたり、皆さんも耳にしたことがあるかも知れません。

 

「フォルクローレ」という音楽ジャンルがありまして、ひらたく言うと南米の民族音楽なんですが、この中でもやっぱり「メジャー曲」っていうのはあるんですよ。

前述の「コンドルは飛んでいく」もそうですが、例えば「花祭り」とか、「谷間のカーニバル」とか、「風とケーナのロマンス」とか、「太陽の乙女たち」あたりも定番曲です。

 

ここ数年コロナの影響で開催出来ていなかったんですが、以前はよく「演奏会のあと、その場でリクエストをもらってその曲を即興演奏する」なんてことをやってたんです。で、そういう場面でよく聞くのが、やっぱり「コンドル聴きたいけど、こういう場でメジャーなコテコテ曲をリクエストしちゃいけない気がする……」みたいな言葉なんですよね。

 

どうせリクエストするなら、普段聴かないような曲を。周囲の人が、「こう来るか」と思うような曲を。自分が聴きたいだけじゃなくて。

 

分かる。超分かるんですけど、私、そういう時いつも、「やっちゃいましょう!」って言うんですよ。

折角「聴きたい」があるのに、「メジャーだから」なんてつまらない理由でそれが聴けなきゃもったいない。

 

で、そういう時に一通り定番曲を演奏すると、「そうそう、これが聴きたかった」ってすっごく満足してくださるんですよね。

 

そういう点で、「メジャーだから」「コテコテだから」それを避ける、という理由は、案外珍しいものではないかも知れないし、それでもったいないことをしてしまっている人も案外いるのかも知れない。

私自身、分かっているつもりでどっぷりその罠にハマり込んでいたと。

 

ガンガン「メジャー」で行っていいのではないか、と。他人の体験の有無など気にすることなく、自分が体験したいかどうかで決めていいんじゃないか、その対象がメジャーならそれでいいんじゃないか、と。

そういう風に考える次第なのです。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

Photo by Johnny McClung