社労士という顔を持つ私は、ある時、顧問先の社長宅に招かれた。

公私ともに仲がいい社長夫人は、大の料理上手。そのため、手作りケーキや料理を振る舞ってもらうことが、事実上、私の訪問目的となりつつある。

 

手作り料理というのは、派手さや豪華さはない。だがその分「おふくろの味」とでも言おうか、懐かしさを覚える独特の美味さがある。

そして材料は冷蔵庫の中身によって決まるわけで、料理上手は在庫処分のプロといっても過言ではない。

 

そんな彼女は当然、私の食の好みも熟知している。そのため、手料理ではないにせよ、私が好みそうな銘菓や果物を用意しては、訪問の度にもてなしてくれるのであった。

 

あんこは苦手だが、甘いものは大好き

「あんこは私が食べるから」

苦笑いしながら、社長夫人がピンク色の菓子折りを持ってきた。それはかの有名な、伊勢名物「赤福」だった。

 

私はあんこが大嫌いである。ちなみに苦手食物の第一位は牡蠣、二位があんこ、そして三位にグリンピースといった顔ぶれ。

とはいえ甘いものは大好きなので、チョコレートや生クリームなどはいくらでも食べられる。

にもかかわらず、あんこだけはどうしてもダメなのだ。

 

饅頭でもだんごでも、和菓子といえばあんこが定番。最近では「あんバター」なる組み合わせが登場したため、バターをダイレクトに齧るほどバター好きの私からすれば、なぜそのような嫌がらせをするのか不思議でしょうがない。

 

なお、行儀が悪いので大きな声では言えないが、饅頭やどら焼き、だんごといった和菓子を食べる際には、付着しているあんこをきれいに削ぎ落としてから味わう私。

無論、人様の目に触れてはまずい。よって、コソコソと気を使いながらの作業になるため、和菓子を食べても心の底から「美味い!」と感じたことはない。

 

仮に相手が気の置けない友人ならば、

「あんこだけ食べてよ」

と言って、あんこの塊を処理してもらうこともできる。だが客人の前、ましてやクライアントの前では、そのような無礼は厳禁。

 

それでも、姉妹のように親しくさせてもらっている社長夫人だからこそ、先にあんこの処理方法を提示したうえで、あえて私に赤福を勧めてきたのだ。

 

「あんこが嫌いならば、そもそも食べなければいいじゃないか」

 

ズバリ正論である。だがここにはもう一つの「事情」があった。

あんこ嫌いで有名な私だが、それと同じくらいに餅やもち米、白玉、小麦粉でできた薄皮やオムレット生地が大好物なのである。

 

つまり、なぜ行儀が悪いことを承知で、あんこを削ぎ落とすような真似をするのか?といえば、

「饅頭やだんごの生地が、ものすごく好きだから」に他ならない。

そこまでしてでも小麦粉やもち米を満喫したい、という想いの強さの現れなのである。

 

さらにこの時、社長夫人が笑いを堪えながら赤福を勧めてきたことには、私の苦い過去が関係していた。

 

大海原からの救出作戦

あれはたしか小学生の頃。昼に外出する予定のあった私は、その前に小腹を満たそうと台所を物色していた。朝食の残りはいまいち魅力に欠けるし、かといってめぼしい食べ物は見当たらない。

 

すると台所の片隅に、見たことのない紙袋があることに気がついた。

完全に隠そうとしたわけではないが、明らかに私の目にとまることを危惧して、そこへ置かれている模様。

 

(どうせやるなら、中途半端はダメだろう・・)

 

なんとなく腹が立った私は、すぐさま紙袋を手に取るとテーブルの上で広げ始めた。その中には、紫色の風呂敷に包まれた菓子折りのようなものが入っている。

――これは間違いなく、私に食べさせるつもりのない高級菓子を隠している!

 

急いで風呂敷をほどこうとするも、一瞬、思いとどまる。

(もしもこの事実が発覚すれば、確実に私は叱られる。であれば、バレないように中身を確認して、元の状態に戻せばいいのだ)

 

こうして私は、結び目やシワの状態を脳裏に焼き付けながら、なるべく形状を保ちつつ中身となる箱を持ち上げた。

 

――赤福

 

初めて目にする名前だが、なんとなく縁起が良さそうである。簡単な包装なので、留めてあるシールさえ上手く剥がせば箱の中身が確認できる。

 

意を決した私は、慎重に冷静にシールを剥がし包装紙をめくっていった。再び包み直すことを想定して、なるべく角を保った状態で箱だけをスルリと抜き出した。

 

(うまくいったぞ!)

 

秘密裏に悪事が成功するのは嬉しいもの。名探偵コナンになった私は、最後の砦となるであろう、菓子折りの蓋を留めてある金色のシールを剥がしはじめた。

そしてここが最難関であった。

 

金色のシールは、一度剥がせば二度と元通りにはならない素材でできている。しかしここまできて、中身の確認をせずにすごすごと引き返すことなどできない。

 

そこで私は、両脇を留めてある金色のシールをバリっと剥がすと、あたかも初めからシールなど存在していなかったかのように、シール跡ごときれいに取り去った。

 

(ヤバい、完璧すぎる・・・)

 

やや自分に酔いしれながらも、私はいよいよ菓子折りの蓋を開ける瞬間にまで辿り着いた。そしてさらなる厳戒態勢を敷きながら、そっと蓋を持ち上げた。

 

(・・・・・)

 

なんとそこには、見渡す限りのあんこの海が広がっていた。海と表現するに相応しい波が、あんこを用いて表現されていたのである。大嫌いなあんこゆえ言葉に詰まるが、それは非常に美しい光景だった。

きめの細かいなめらかなあんこが、ライトに照らされてキラキラと輝いている。まるで砂丘を形成する砂が描き出す模様のような、美しい流線形に目が釘付けとなる。

 

私はふと、包装紙の裏に貼られた原材料のシールを見た。そこには「砂糖・小豆・もち米」といった表記がある。

 

(ということは、この海底には餅が潜んでいるのか)

 

幼少期から餅や栗おこわが大好物だった私は、突如、ある種の正義感に襲われた。

とにかく餅を助けなければ――。

 

赤福に備え付けのヘラを持つと、大海原をほじくり返した。するとすぐさま、白い餅が顔をのぞかせた。

まずは一つ餅を取り出すと、纏っているあんこを削ぎ落とす。それでも若干の残骸が付着しているので、水道水でジャブジャブと洗い流してやった。

 

こうして真っ白な姿を取り戻した餅を、そっと口へと運ぶ。

 

(・・・う、うまい)

 

子どもながらに思わず感動した。こんなにも柔らかくてモチモチした和菓子を、私は未だかつて食べたことがない。赤福、恐るべし。

 

それから私は、いじわるな継母に幽閉された不遇な美少女を解放するかの如く、次から次へと餅を救出した。助け出しては水洗いし、美しい柔肌を取り戻した餅を胃袋へと送り込む。

当事者の餅たちも、嬉しそうな顔で喉の奥へと消えていった。

 

そして気がつくと、餅は一つもなくなっていた。

 

(しまった!!)

 

あまりの美味さに無我夢中で海底を漁った私は、箱に入っていた餅を一つ残らず食べてしまったのだ。その瞬間、背筋が凍る思いがした。

 

(まずいぞ。これがバレたら、きっとめちゃくちゃ怒られる)

 

考えればすぐに分かりそうだが、まず第一に、あんこ嫌いの私のために大量の和菓子を買うことなどあり得ない。

さらに、それとなく半分隠した状態で台所に置いてあるということは、やはり私には内緒で赤福を処理しようとしたのだろう。

そして、風呂敷に包むほど特別な施しがしてあるところをみると、誰かからもらったのか、あるいは、来客用に準備したのか――。

 

いずれにせよハッピーエンドは望めない。今はとにかく、できる限りの原状回復に努めるしかないのだ。

 

私は焦りながらも、ヘラを使って丁寧にあんこを撫で始めた。餅をほじくり返したことで、穴が開いてしまった部分にあんこをすり込み、まずは起伏のない凪いだ海を再現する。

それからさらに波を作るべく、ヘラを駆使して躍動的なうねりを生み出した。

 

決して美術が得意なわけではないが、この「あんこの海原」の完成度はかなり高い。誰かに自慢したいほど滑らかでリアルな三次元彫刻は、田舎の少女に自尊心を芽生えさせたのである。

 

名残惜しさはあるが、いかんせんこちらも時間がない。そっと蓋を載せると、ピンク色の包装紙を元通りに被せてシールで留める。最後に紫色の風呂敷で覆うと、布についたシワ通りに結び目を作って紙袋へと納めた。

 

そして元の場所へ戻すと、まるで時間が止まっていたかのように、先ほどと寸分違わぬ景色が広がった。

 

(よかった。これでどうにかなるだろう)

 

 

夕方、帰宅した私に雷が落ちた。

 

「赤福食べたでしょ?!餅が消えていて、お客さんと大騒ぎになったのよ!食べたならせめて、食べた痕跡を残しなさい!」

 

母親はどうやら芸術的センスに欠けるようだ。

大のオトナが寄ってたかって、餅の入っていない赤福を前に右往左往したのであれば、むしろその本物そっくりな赤福を再現した人物を称賛すべきだろう。

 

風呂敷の結び目といい、包装紙といい、あんこの大海原といい、どれも完璧に再現したからこそ、オトナたちの目を欺くことに成功したわけで。

大目玉を食らいながらも、私はどこか得意気で清々しい気分に浸っていた。

 

時を経て、赤福との再会

この話を知っている社長夫人は、当時の様子を思い浮かべながら赤福を勧めてきたのである。

さすがにこの期に及んで、餅を水道水で洗うなどという愚行に踏み切る勇気はない。だが、目の前に置かれた湯呑みの緑茶で、餅を軽く濯ぎたいと思ったことは秘密である。<了>

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

URABE(ウラベ)

早稲田卒。学生時代は雀荘のアルバイトに精を出しすぎて留年。社会人になり企業という狭いハコに辟易した頃、たまたま社労士試験に合格し独立。現在はライターと社労士を生業とする。

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Photo by Shuichi Aizawa