「個人の自尊心やアイデンティティなんて自分で選ぶもの。自分で勝ち取るものだ。」

そう思っている人は日本のインターネット、たとえばこのbooks&appsの読者のかたにも大勢いらっしゃるのではないかと思う。

 

でもって自尊心やアイデンティティは、自分自身の経済的・文化的・社会的成功と結び付けられがちだ。

いちばんわかりやすい個人主義者とは、自分の意志や能力をとおしてサクセスし、自尊心やアイデンティティをも充足させられる、そんな人物ではないだろうか。

 

経済的成功も心理的充足も個人化したというが

しかし、誰もがいちばんわかりやすい個人主義者のように生きているわけではない。

もし、明確にサクセスした個人しか自尊心やアイデンティティが充足できないとしたら、世の中は心理的充足に飢えた、がらんどうの個人だらけになってしまうだろう。

 

もちろんインターネットでは何事につけ極端な人間が目立つので、がらんどうの個人、空虚感マックスの個人、心理的充足に飢えたオオカミのごとき個人が目立つものである。

しかしそういう人は多数派ではない。わかりやすくサクセスしていない個人でも、自尊心やアイデンティティをまずまず充足させながら生きているものである。

 

そこで重要になるのが、心理的充足は自分自身がサクセスするだけでなく、自分が所属している居場所や集団、自分が応援している対象がサクセスしていても結構充たされる、という点だ。

承認欲求 (自分が褒められたい・応援されたい欲求) と所属欲求 (自分が所属している集団を推したい欲求) という切り分け方でいえば、所属欲求も心理的充足の道筋としてかなり重要だ。

ですが歴史を振り返ってみる限り、人間がここまで自分自身の評価ばかりに関心を持つようになり、所属欲求を忘れがちになったのは、比較的最近のことで、それまでは所属欲求が承認欲求以上に重要でした。

所属欲求の起源は古いものです。トーテムポールを囲んだアメリカ先住民のお祭りなどが典型的ですが、皆で一緒に歌ったり踊ったりすることで仲間意識を高めあうような行事は、太古の昔からありました。日常生活のなかにも、仕事中に皆が同じ歌を歌い、仲間意識によって仕事の辛さを紛らわせるような習慣が、最近まで日本全国のあちこちに残っていました。(中略)

そもそも、そうやって心を寄せ合い、仕事も家事も子育ても協同しなければ生き抜くことさえ難しい状況が、人類史の大半にわたって続いてきたのです。

人類史全体でみるなら、個人的なサクセスに直結したかたちで自尊心やアイデンティティを充たしていた割合は必ずしも高くない。

むしろ人々の心理的充足は、集団的な経路やグループ的な経路を介しても充たされていた。もちろんそうした集団やグループに馴染めない人がいなかったわけではないにせよ。

 

共同体経由の心理的充足が困難になって、何が起こっているのか

ここからが本題。

 

都市やその周辺の郊外に人口が集中するにつれ、イエや地元といった共同体的意識は希薄になり、自尊心やアイデンティティを充たす場所としては意味をなさないベッドタウンで暮らす人が多数派になっていった。

また、人的流動性が高まったことで、一握りのエリートだけでなく一般的な労働者でも転勤・転居・転職が珍しくなくなった。

 

そのような社会は古いしがらみに妨げられることがないので、わらしべ長者のようにキャリアを積み重ねてサクセスする個人主義者には居心地が良い。

そのかわり、イエや地元、生涯変わらない勤め先などをとおして自尊心やアイデンティティを充たすのは昔より困難になってしまう。

 

たとえば地場産業が衰退し生涯を委ねられる仕事が少なくなり、伝統的な商店街も荒れ果て、外部資本のチェーン店が軒を連ねる景色にとってかわられた街。

そういう街に郷土愛を持ち、そこを自尊心やアイデンティティのよりどころとするのは、なかなか大変だ。方言の衰退もこうしたことに拍車をかける。

共同体のグループ感覚や所属感覚をとおして心理的に充足するのは難しくなり、自尊心やアイデンティティを勝ち取るべく都会に打って出るか、集団的な経路でそれらを充たすための代替手段を探すしかなくなってしまう。

 

こうしたことは日本だけの問題ではない。

「今では想像もできないが、20年ほど前までは川沿いに工場や製鉄所が並び、にぎやかだったんだ。シャロン・スティールなんて立派な工場だったのに」

「オレの地元グリーンビルは今では人口6000人ばかしの街だけど、以前は10ほどの製鉄所があったんだ。信じられないだろ、グリーンビルの中に10もあったんだぞ」

メキシコや中国との貿易交渉をやり直し、雇用を取り戻す──。ディーンは、共和党の大統領候補となったばかりのトランプのそんな訴えに強く惹かれていた。

グリーンビルでは「ほとんどの人が失業中」という。「結局は雇用だね、雇用が一番の問題だ。仕事さえあれば、だれもドラッグなんてやらないよ。仕事にいかなきゃいけないからね。」

これは、トランプ大統領が支持されたいきさつをルポルタージュした『ルポ トランプ王国 もう一つのアメリカを行く』に記された、ペンシルベニア州でのインタビューの抜粋である。

 

産業がさびれ、街がさびれ、人心も荒廃していくなか、そうした人々にドナルド・トランプ氏の言葉が刺さって旋風を起こしていくさまが活写されている。

こうした衰退や荒廃はラストベルトと呼ばれるアメリカ中西部の諸州、アパラチア山脈山麓の諸州にも当てはまる。

 

雇用を取り戻す、という言葉が出てきたが、ここでいう雇用とは、時給の安い非正規雇用のことではない。

家族を養える給料の出る正規雇用、一生懸命働けば人並みの暮らしができるような雇用を指す。

 

アメリカの寂れた地域では、高い教育費を払って大卒者になってもそれに見合う仕事に就けないし、かといって高卒者が安定して働ける仕事があるわけでもない。

そうした社会状況を背景として、トランプ旋風は起こった。

 

同書でルポルタージュされるトランプ支持者もさまざまで、トランプ氏の言動すべてに賛同しているわけではない者もいれば、フェイクニュースに丸め込まれている者もいる。

けれども登場人物の多くがトランプ氏を支持する活動を楽しんでいて、トランプ氏自身、そのことを知悉したうえでパフォーマンスしているようにもみえる。

 

雇用問題、反エスタブリッシュメント、反移民といった理由の違いはあるにせよ、トランプ氏の支持者を報じるあらゆるメディアから、私は自尊心やアイデンティティを充足させる気配を感じ取らずにはいられなかった。

同書のルポルタージュもそうだが、トランプ氏を支持することをとおして、あるいはトランプ氏のいう「メイクアメリカグレートアゲイン」という例の文句をとおして、集団的な経路やグループ的な経路での心理的充足を成立させているようにみえる。

 

トランプ氏は「推し」を成立させていた、と言い換えてもいいかもしれない。

でもってトランプ氏は大統領選挙で「推された」。

ラストベルトで鬱屈している人々や反移民・反エスタブリッシュメントの気持ちを隠し持っている人々によって。

 

そしてトランプ氏が「推された」のは、ほかに「推しやすい」大統領候補者がいなかったからでもある。

クリントンは、トランプ支持者の「反芻」は人種差別や男女差別主義者など「デプロラブル(deplorable)な人々の集まりだ」と発言。あとで、後悔を口にしたが、遅かった。

嘆かわしい、惨めな、という意味の言葉だ。トランプの支持者同士が「あんたも惨めだな」とビールを飲みながら言い合う分には笑い話で済む。

でも、長年中央政界にいて、ウォール街での1回の講演で数千万円を稼ぐクリントンに言われたくない。

弁護士、大統領ファーストレディー、上院議員、国務長官。誰もが羨むキャリアを積み、常にスポットライトを浴び続けた人間には、庶民の気持ちなどわからない。クリントンへの、そんな憤りが蔓延していた。

民主党のサンダース候補は例外として、多くの「エスタブリッシュメントな」大統領候補は「推しやすい」大統領候補ではなかった。

このクリントン氏の発言はそれを象徴している。トランプ氏とクリントン氏は競争社会の成功者という点では同じだが、たとえばラストベルトの労働者に対する物腰、ものの言い方、言葉の選び方といった点では雲泥の差があった。

 

実際には、民主党のクリントン氏のほうが政策面で困窮者に手を差し伸べられたのかもしれない。だとしてもデプロラブルな有権者に自分が「推す」に値すると信じさせるためのさまざまなものをクリントン氏は欠いていて、それをトランプ氏は持っていた。

 

アメリカ大統領がバイデン氏に代わり、トランプ旋風は一段落したように、みえる。

けれどもトランプ氏が旋風を巻き起こした社会状況──あの、経済的・文化的・社会的成功から見放され、集団的な心理的充足の経路も失われたままの社会状況──が変わった風にはみえない。

だとすれば、第二第三のトランプが登場することもあるかもしれないし、なんならトランプ氏自身が復活するやもしれない。

 

さびれた国道沿いの「推し」の宛先としてのキャラと日の丸

再び日本に目を向ければ、ラストベルトほど徹底していないにせよ、地場産業の衰退は隠しようもなく、シャッター街と化した商店街、地域共同体もできあがらないまま寂れていく団地やニュータウンがあちこちにある。

SNS上で個人的成功を誇示するアカウントがきらめいているのをよそに、地方都市では家族を養えるほどの正規雇用の受け皿は小さくなり、アイデンティティのよすがにできる職場も少なくなっている。

 

幸いというか、トランプ大統領は日本にはまだ現れていない……と書きかけて、はて、どうだろうか? と思いかけたがそれは於こう。

 

今の日本で「推し」といえば、まず私は、アイドルやアニメやゲームといった領域の「推し」、それからSNSのキラキラアカウントや動画配信者への投げ銭などをまずは思い出す。

 

そうしたエンタメやコンテンツの世界の「推し」は、基本的には安全だ。推しのキャラクターのためにお金や時間を費やすことはあっても、それ以上のコストやリスクを個人に押し付けることはないし、それで社会不安や社会分断が深刻になるおそれも少ない。

なかには、CDを買い過ぎてしまう・課金や投げ銭をし過ぎてしまうといった個人的問題を起こす人もいよう。

それでも、そうした「推し」が日本に独裁者を爆誕させる懸念はあまりない。

 

続いて思い出すのが、日の丸「推し」だ。

 

日の丸「推し」は愛国心、ナショナリズムとも接続している。

フランス革命以来、愛国心は郷土愛とは違った所属感を与え、兵士を戦地に赴かせてきた……と考えると、日の丸「推し」にはのっぴきならなさが伴う。

ときにはナショナリズムがエンタメやコンテンツの「推し」をも従え、動員の一大キャンペーンを張ることだってあるかもしれない。ナショナリズムが民族主義と結びつけば、排他的な思想や活動にも結び付くかもしれない。

 

反面、愛国心は国民国家を成立させるエッセンシャルな成分でもある。敗戦国である日本では愛国心はけしからんと教育されるのかもしれないが、愛国心を軽侮する国は世界的には珍しい。

また実際には、愛国心やナショナリズムが完全に欠如している日本人は割合としては多くないだろう。

NHKをはじめ、さまざまなテレビ局が「日本スゴイ」的な番組を放送しているのをみるにつけても、少なくともある水準までの日の丸「推し」は安全とみなされているのだろう。

 

ストイックな個人主義者ではなく、かといって衰退した地域共同体のなかで心理的充足の経路を得られない人にとって、エンタメやコンテンツの世界の「推し」と日の丸「推し」は貴重な心理的充足の経路たりえる。

もちろん地方都市で暮らしていても友人関係や家族関係が充実していれば、それらの「推し」は貴重ではあるまいし、大都市圏に打って出るだけの能力や資力を持っていても話は違ってくる。

しかし、そうしたアドバンテージを持たない人にとって、「推し」をとおした心理的充足はやはり貴重だし、そうしたものを「推して」いるぶんには、「へんなことを考えないで済む」。

 

たとえば退職し、熟年離婚し、社会関係が乏しくなってしまった高齢者が、自尊心やアイデンティティを充足できる経路が今、どこにどれぐらいあるだろうか?

あまりないはずである。そういう高齢者が日の丸「推し」になったとして、責められるものではない。

 

むしろ逆に考えるべきではないだろうか。もし、日の丸「推し」の高齢者の増加が問題だとしたら、それは高齢者それぞれが悪いのでなく、日の丸ぐらいしか「推せる」もののない高齢者が増えるにまかせたこの国・この社会が問題を孕んでいたのではないだろうか。

 

繰り返すが、日の丸「推し」はカジュアルではあってもナショナリズムではあるから、方向性次第では危ういことになるかもしれない。識者がそれを懸念するのも理解できることではある。

しかし、日の丸「推し」を懸念してみせる識者も含め、この社会を主導する立場にあると自認してきた人々は、日の丸「推し」に吸い寄せられていった人々にいったい何をしてきただろう?

ホワイトカラー的な能力主義を押し付け、個人主義と銘打って自己責任を喧伝し、従来の共同体を経済的にも心理的にも解体してきたのが、この国のエスタブリッシュメントとテクノクラートの選択ではなかっただろうか。

 

識者のなかには、この「推し」が気に入らず、アイドルやアニメやゲームであれ、日の丸であれ、否定的に論じる人もいる。

そういう人にとって、自尊心やアイデンティティは自己選択の賜物で、いってみれば自己責任のものなのかもしれない。

そして「推し」や所属をとおした心理的充足を下に見ているのかもしれない。

 

しかし本来、それらは重要だったはずで、社会にはさまざまなレイヤーに「推せる」ものがあってしかるべきだった。

地域、勤め先、家族、等々で見出せる「推せる」対象、「推せる」中間共同体がごっそり抜け落ちた結果、最も個人的な「推し」であるところのキャラクターコンテンツと、最も社会的でゲゼルシャフト的な「推し」であるところの日の丸だけが残った。というより残ってしまった。

 

人と人の縁が重なりやすい社会を

私は、アニメやゲーム等のキャラクター「推し」と日の丸「推し」がけしからんと言い続けるのはうまくないと思っている。

 

そのような所作は、なけなしの心理的充足の宛先を奪う悪者という風にしか受け取ってもらえないだろう。

もし本気でそうした「推し」の現状を憂うのなら、「推し」の対象たりえる中間共同体やグループが社会にある状態を取り戻すこと、もっと言えば人と人の縁がそのように重なりやすい社会を構想すべきだと私は思う。

 

難しいのは百も承知だ。しかし今、そういう人と人の縁をどうするか、どのような繋がりあいが理想的と言えるのかを議論し、構築することは喫緊の課題である。

それがうまくいっていないからトランプ氏のような人物の跳梁を許すのだとも言える。

 

彼等からキャラクターと日の丸を奪っただけではなんにもならない。

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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