「高速道路を逆走する高齢者を診察することになったら、前頭側頭型認知症を疑い、前頭葉の機能を検査するんだ」

これは、ある認知症の大家が前頭側頭型認知症 (frontotemporal dementia ,FTD) を診断するヒントとして、しばしば口にしていたフレーズである。

 

前頭側頭型認知症とは、その初期から前頭葉~側頭葉の機能が衰えてさまざまな問題を引き起こす、認知症の一種だ。

私もこういう逆走する高齢者を診たことがあるが、その患者さんを脳血流検査(SPECT)で検査すると、前頭葉の血流量が大幅に低下していた。運転免許証を返上していただいたのは言うまでもない。

 

医療や福祉の現場では「性格が問われる」は本当のこと

今日の話の出発点は、先日のbooks&appsに寄稿されていた、高須賀さんの含蓄深いお話だ。

結局、最後は「性格」で人間の価値が決まるんだな。

 

高須賀さんは、臨床現場での経験をふまえて、こう言う──「結局…人間最後に持っていけるのは性格だけなのだ。性格だけが、最後の最後にあなたという人間の価値を規定するのである。」と。

職歴も専門技能も自尊心の足しにならなくなった、そういう意味では平等ともいえる高齢福祉施設では、高齢者の性格が浮き彫りになり、その性格によって自己肯定感が持てるか持てないかが変わる、と高須賀さんはおっしゃる。

 

これは私もつとに感じることだ。高齢福祉施設では、その高齢者の性格がどうであるか、社会性がどうであるか、他の入所者や職員と上手にやっていけるのかが重要になる。

謙虚さは重要だよ、年齢や時代に関係なく

ある高齢者は、忘れっぽくなっていても謙虚で、施設の介護者たちからも他の高齢者たちからも好かれていた。認知機能が低下してもなお、長年かけて培ってきた人望の、その大元は健在の様子だった。

他方、別の高齢者はプライドが高く、妬みやすく、しばしば居丈高だった。機能が低下する人にも色々なパーソナリティの人はいるわけで、そういう高齢者が福祉施設の世話になることだってある。

 

施設のスタッフはそのような人物でも分け隔てなく接しなければならないことになっているし、現場はそのように努めているけれども、そうはいっても現場の人間とて福祉ロボットではない以上、これは、緊張をはらむ問題だ。

そしてスタッフがどれほど平等性を示したとしても、他の施設入所者や施設利用者の感情まで平等になるわけではない。

 

そうした好悪の循環の結果、プライドが高く鼻持ちならない高齢者は次第に施設での居心地や立ち位置を悪くしてしまい、施設にうまく適応できなくなる。であれば、謙虚に振る舞えるかどうかは死活問題というほかない。

この、私が書いた話と、高須賀さんのリンク先のお話には共通点が多い。

してみれば、医療や福祉に携わった人間なら誰もが感じたことのある問題なのだろう。

 

財力や履歴書がモノを言わないからこそ、高齢福祉施設では性格の良し悪しが心証と心象を左右し、暮らしぶりすら左右する。

それに備えて性格を美しくしなさい、などとはここでは言うまい。

しかし性格の悪さを糊塗する手段でなんとかやってきた人にとって、高齢福祉施設は、あまり居心地の良くない余生の場とみえる。

 

確かに性格は財産だが、それを脅かす病がある

このように、性格もまた財産であり、良い性格であることは意義深い。高齢福祉施設に限らず、人生には自分の性格とその影響が死ぬまでついてまわる。

だから性格を修養するためのさまざまなトライアルが話題にもなる。

 

ところが、その性格を変えてしまう病気がある。

これって、なかなか怖ろしいことではないだろうか。

 

はじめに紹介した前頭側頭型認知症も、そのひとつだ。

高速道路の逆走してしまう高齢者の話をしたが、ほかにもさまざまなパターンでこの病気は問題になり、精神科の門を叩くことになる。

 

《事例A》70代になって万引きを繰り返すようになった女性

上品なご婦人が70代になって万引きを繰り返すようになり、とうとう警察のご厄介になろうとしている。長谷川式認知症スケールのような、一般的な認知症のスクリーニング検査では異常なく、本人も万引きをした事実をちゃんと覚えている。迷子になったり徘徊したりすることもない。ところが前頭葉機能を測定するFABという検査では数値が大きく低下していて、脳血流検査でも前頭葉の血流量がごっそり落ちていた。

 

《事例B》60代になって、女湯を覗いてしまった男性

定年まで勤め上げ、子や孫もいる犯罪歴のない男性。この男性が60代後半になって間もなく、ひわいなことを連呼するようになり、やがて町営の露店風呂でのぞきをしていることが判明し、大騒ぎになった。同じく精神科病院を受診し、検査の結果、前頭側頭型認知症と診断されるに至った。

 

事例Aと事例Bのご老人はどちらも、病前は性格や対人関係に問題なく、社会的信用も獲得していた。

ところが前頭葉の機能が低下した結果、インモラルな行動が止まらなくなってしまった。前頭葉は、理性的判断や道徳的判断を司り、行動にブレーキをかける場所だ。

 

そこが障害されてしまうと、今までは理性的で道徳的だった人もそうでなくなってしまう。事例Aや事例Bは家の外で、いわば社会との接点で問題が明るみになったわけだが、家の内側で、家族への暴言・暴力やギャンブルの歯止めがかからなくなるとか、そういったかたちで問題を呈するケースもある。

 

前頭側頭型認知症は、どうすれば防げるのだろう?

 

研究が進められているが、効果的な予防策はまだ出てきていないのが現状だ。頭脳労働に従事している人でも、タバコやアルコールをやってない人でも、これにかかってしまう人はいる。

なかには五十代でこの病気が始まってしまう人すらいる。そうなると逆に難病指定の対象になるので福祉的援助が受けられるが、それもそれで大変である。

 

もっと稀なケースでは、脳腫瘍という可能性もある。ちょうど『「気の持ちよう」の脳科学』という書籍にわかりやすい事例が記されていたので、引用しよう。

1966年、温和で誰からも愛されるような性格だったチャールズ・ホイットマンという25歳の男が、ある朝突然、妻と母を殺害した後、大学に立てこもり、無差別に銃を乱射し、警察に射殺されるまでの間、合計45名以上の死傷者を出すという悲惨な事件を引き起こした。……死後、解剖して脳を調べてみると、脳の一部にこぶし大の腫瘍が生じており、恐怖や暴力をつかさどる扁桃体(へんとうたい)を圧迫していたというのだ。

また、2000年には教師をしていたある男が突然、小児性愛や児童虐待の衝動が抑えられなくなり、妻の連れ子である幼い娘への暴力未遂で逮捕された。その脳を調べてみると、こめかみの部分に卵大の腫瘍ができていた。外科手術によって、その腫瘍を取り除くと衝動は消え去り、何事もなかったかのように穏やかに暮らしたという。ところが、また数年後に衝動が起こり、再検査したところ、また同じ部分に腫瘍ができていたというのだ。再度取り除くと、やはり衝動が消えた。

『「気の持ちよう」の脳科学』は、脳がどんな働きをしていて、性格や気分や行動がどうなっているのかを生物学的なメカニズムからさまざまに説明している。

「気の持ちよう」も含め、いずれも脳の機能の産物である以上、脳に何かが起こればそれらが影響を受けることだってあり得る、というわけだ。

 

また、精神医学では性格とはみなされないが、脳内の神経伝達物質の増減はさまざまな精神疾患に関連し、世間的には、そうした精神疾患をみて「人が変わった」「二重人格のようだ」と表現する人も少なくない。

ともあれ、前頭葉など脳の局所の状態や、セロトニンやノルアドレナリンやドーパミンといった神経伝達物質の状態次第で、人間の性格・気分・行動はかなり変わってしまう。

 

生物学的な性格変化に対し、何ができるのか

では、こうした生物学的な背景のある性格変化に、私たちは打つ手が無いのだろうか?

 

無い、と言ってしまうのも間違いだし、手を打ちさえすれば完璧に防げると思ってしまうのも正しくない。

たとえばさきに挙げた前頭側頭型認知症や脳腫瘍は、なってしまう時にはなってしまうし、ならない人はならないものだ。

頭部外傷で性格が変わってしまうリスクも、用心深く過ごせば減らせるにせよ、ゼロにできるものではない。

 

ただし、これらの病気については悲観しすぎるべきではないかもしれない。

脳腫瘍にかかる人はけして多くないし、それが性格を変えるような場所にでき、実際に性格が変わってしまう人はもっと少ない。前頭側頭型認知症はそれに比べればなりやすいかもしれないが、アルツハイマー型認知症に比べれば頻度は少ないと言える。

 

他方、病気による性格の変化には、取り組みによって多少なりとも予防できそうなものもある。

その代表的なものが、脳血管性認知症と、それによる性格変化だ。

 

認知症、なかでも脳血管性認知症の領域では、しばしば「高齢になると性格が先鋭化してくる」といった表現が流通している。

これは、新たに性格上の欠点が生じてくるのでなく、元からの性格上の欠点が目立つようになってくる、といった意味合いだ。

頑固気味だった人がますます頑固になったり、神経質気味な人がますます神経質になったり、自己中心的な人がますます自己中心的になったり、といった感じだ。長所でも短所でもあった性格特性の、短所のほうが目立ってくる人も多い。

 

しかし脳血管性認知症は血管が痛んだり詰まったりして起こるものだから、ある程度は予防が利く。

かつては成人病、今なら生活習慣病に対する予防と対策がそれにあたるだろう。

不摂生をやめる・運動を続ける・食生活を改善するといった対策は、脳血管性認知症とその周辺に起こりがちな性格の先鋭化を避けたり遅らせたりするには向いている。

 

脳血管性認知症に限らず、血管が痛んだり詰まったりするタイプの病気はだいたいうつ病のリスクファクターにもなるので、そういった意味でも生活習慣病に対策することには意味があるだろう。

 

また、アルコールの飲み過ぎ、とりわけアルコール依存症やアルコール性肝硬変に至るほどの飲み過ぎは、ハードウェアとしての脳も痛めてしまう。

アルコール依存症の来歴の長い人の前頭葉機能を調べると、実際、機能が落ちているさまをみることが多い。アルコールを飲み過ぎる人の前頭葉機能が弱ってしまうと、ただでさえ難しいアルコールの抑制がますます難しくなるし、性格や行動の問題が悪化するおそれも高まってしまう。

 

人事を尽くして天命を待とう

性格は、生涯にわたって問われる重要な要素なので、それをより良くしていくよう努める意義はある。

脳血管性認知症をはじめ、病気によって性格が変わっていくのを防ぐ・遅らせることにも意義がある。

 

しかし、ここまでお読みになって、こう思う人もいらっしゃるのではないだろうか──それでも年を取れば脳は弱っていくし、前頭側頭型認知症も含めて、結局は運命次第なのではないか、と。

 

そういう側面は否定はできない。脳血管性認知症を避けきった高齢者でも、のちにアルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症にかかることだってあるだろう。

たとえばアルツハイマー型認知症では、周辺症状としての性格変化が第一の問題になることはそれほど多くないし、もの忘れや認知機能低下そのものに由来する問題のほうが目立ちがちだ。

 

それでも中途から前頭葉機能の低下も目立ってきて、家族や介護者が困ってしまうケースがないわけではない。

そして性格変化をきたす他の幾つかの病気は、確率は低いにせよ、なんだかよくわからないけれども発生してしまう。

 

だったらどうすればいいのだろうか。

 

私は「人事を尽くして天命を待つ」がいいんじゃないかと思っている。

 

最終的には、私たちの未来の運命のことはわからない。でも、好ましくない未来を迎えないよう人事を尽くすことはできる。

そういう備えをできる範囲でやっておいて、そこから先は天命の領域、自分のあずかり知らぬ領域と割り切ってしまうのが精神衛生に一番やさしいし、私たちにできる精一杯のことではないだろうか。

 

いつかは性格の変化をきたすとしても、それを先送り・先延ばしできるとしたら、それもそれで有意味なことだ。

たとえば五十代で前頭葉機能が衰えてしまうのと、七十代で衰えるのと、九十代になってから衰えるのでは、その人の人生も、社会的なニュアンスも随分と違ってくる。

 

私たちは不死身にはなれないし、避けられる病気も避けられない病気もある。

それでも生きている間、できるだけのことをして、毎日を精一杯生きていこうではないか──陳腐ながら、それが性格を変えてしまう病気を遠ざけるにも、性格を修養するにも、いちばん大事なことのように思われるのだが、いかがだったでしょうか。

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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