以前から不思議なものに恋愛アドバイザーという人達の存在があった。
本当に恋愛についての存在をするのなら…それこそ順風満帆な結婚生活をしている人間を適当にピックアップするのが最適だ。
そしてそういう成功者を身近で探すのは、そこまで難しいわけでもない。
成功したいのなら、上手くいった人に話を聞くのが一番だ。
受験なら合格した人間に話を聞くのが普通であり、どんなに受験に熟知していようが浪人生に話を聞く必要はあまりない(そういう人ほど饒舌だったりするのだが…)
それなのに誠に不思議な事に…世間の恋愛アドバイザーを標榜する人の多くは、実際問題としての自分の恋愛は微妙な成り行きだったりする事も多くて、話はまたややこしい。
それじゃあ、まるで迷える子羊が迷える子羊を抱えて、さまよう羊の群れになるようなものである。
一体なんでそんな事をするのか?以前の僕は全くわからなかった。
しかし問題解決のみが世の中の全てではないという事に気がついた今は、あの手の人達の行動原理が少しだけわかってきた。かつ、それに意味があるという事も実によく理解できてきた。
今日はこの話を掘り下げてみようかと思う。
ミイラ取りがミイラ取りになる?
臨床心理士をされている東畑開人さんの著作に、野の医者は笑う―心の治療とは何か?―という本がある。
東畑さんはこの本の中で、沖縄に生息するスピリチュアルな民間療法を行う人達と交流し、その生態系をまるで民俗学者のように分析されていく。
沖縄はこの手の民間療法が盛んで、サンプルを探すのには全く困らなかったみたいなのだが、そこで東畑さんは興味深い事実に突き当たる。
それが「治療された人間が治療者をやりたがる」というものだ。
かつて大きな病気などをして医療に関わった人間が、医療に興味をもって医者になるというような話はありふれた一般話だが、それはスピリチュアルな現場においても同じらしい。
人は何らかのキッカケがないと何かに興味は持たない。
だからこのこと事態は別に不思議でもなんでもないのだが、興味深いのがその治療動機だ。
沖縄におけるスピリチュアルな民間療法を施し手は、収入的な意味においては99%以上の人が対価に見合った働きは得られていない。というか、やりたがりな人がメチャクチャ多いから、顧客を抱えようにも競争相手が多すぎて抱えられない。
それなのに癒し手を何故みんなやりたがるのかというと、それは治療する事を通じて、癒やし手が癒やされるからなのではないかと東畑さんは分析する。
仕事を教える人は、できない人への教育で自尊心を補填している
僕はこの記述を読んで、妙に納得するものがあった。なぜなら、自分自身もまた似たような状況を経験していたからだ。
僕は自分でもいうのもなんだが、割と教えるのが上手な方だ。少なくとも研修医からの評判はかなりよい。
話はちょっと変わるのだが、最近入った職場で、仕事に未だ不慣れな人がいる。
この人は誠に人間的には出来た人で、他人から厳しい指導をされても、それを丁寧に受け止めて必死になって研鑽を続けている。
この人が、また実に教育が好きな人なのである。それこそ研修医がいたら、必要以上に丁寧に仕事を教えている。
僕もどちらかというと教育が好きだったので「ああ、自分の仕事が無くなっちゃったな」ぐらいにしか最初は思っていなかったのだけど、あるときから自分自身が尋常じゃなく仕事のレベルがググっと引き上がった瞬間、教育熱がサーッと冷めるのを感じ取ってしまった。
いったい何であんなに好きだった教育に対して興味が持てなくなってしまったのか。
最初は単に自分以外の人間ややりたがってるからだと思っていたのだが、実際は多分こういう事だ。全部で2つのポイントがある。
1つ目は自分自身が診療を通じて十分すぎるほどの自尊心が獲得できるようになったからだ。
今の僕はそこそこ高いレベルの医療が提供できるようになっており、専門家間で評価されるような立場になれた。
この立場になると、もう部下は何もせずとも自分の事を勝手に慕ってくれるようになる。というか熱心に教育していた頃よりも、逆に尊敬されているようにすら感じるぐらいである。
つまり…尊敬してもらうのに教育が要らなくなったのだ。聞かれれば今でもちゃんと答えはするのだけど。
2つ目は自分自身の自尊心レベル自体が十分過ぎるほどに高くなったのだ。
これをいうのもアレなんだけど、先程例に出した仕事に未だ不慣れな人は、いま物凄く自尊心クライシスな状態にあるのだと思う。
それこそ自分自身が仕事ができないというのは、その人自身が一番わかっているのだろう。
だから…その欠乏した自尊心を補填するためにも、自分よりも仕事ができない部下に仕事を教える事で、必死になって自尊心を獲得しようと頑張っているのであろう。
改めて自分自身を思い返してみても、人にモノを教えるという事で一番満たされたのは、自分は今はダメダメかもだけど、その今の自分よりもダメダメな人間がいるという事を認知できた部分にあったように思う。
その人が仕事の覚えがいいのなら、それはそれで気持ちがいいものだし、仕事の覚えが悪いのなら悪いで、それは気持ちがいい。
「自分からわざわざ教育役を買って出るヤツはヤバイ」という話を聞いた事が以前にあったけど、あれがどういう事なのか今ならわかる。
本人は心の底からの親切心からやっているのだと思うし、それが実際に最初の頃は役立つ事もあるのだが…そこに頼りすぎると自分も同じような存在に帰するかもしれないのがヤバイのだ。
癒やし手こそが、最も癒やされたい人間という事なのだ。
不完全な人間をみると人は安心する
ほんのりダークな分析が続いてしまったが、もちろんポジティブな側面もある。
最初に僕は恋愛アドバイザーをやってる人間が恋愛をうまく成就させれていないということの妙について言及した。
これは問題解決を目指すのだとしたら、確かに問題が多い行為かもしれない。
しかし問題がソッコーで解決できないのだとしたらどうだろうか?そうなると話は全く別のものになる。
医療現場にたとえて話をしよう。よく医療では
「医者は指示だけ出してるだけ」
「実際に自分の治療に取り組んでくれたのはコメディカルの皆さんだった」
と医者が揶揄される事がある。
医者の仕事は本質的には病気の診断と治療に集約される。
しかし…病はそれをやったからといって超速で改善するようなものではない。
キチンと病気が診断されても…回復するまでには必ず時間が必要だ。
また、仮に回復したとしても、その後のリハビリのような社会復帰作業が必要となるケースも多い。
医療にはこういう繋ぎ場的なモノが必ずといっていいほどに必要となる。
この回復過程の全てに医者が介入するのは非現実的で、その場面で重要な役割を果たすのは看護師やリハビリ技師といったコメティカルの力が絶対に必要となる。
だから
「医者は指示だけ出してるだけ」
「実際に自分の治療に取り組んでくれたのはコメディカルの皆さんだった」
という発言は必ずしも間違いではないのである。もっといえば、回復するのは患者さん自身が頑張ったからでもあるのである。
こうやって考えてみるとである。上手くいった恋愛経験者のアドバイスというのは、ある種で医者的なのである。
たぶん…この手の人達は正しい事をいうのには非常に向いている。
気になった人がいたら勇気を出して声をかけろだとか、振られても成功するまで諦めるなといった、正しいアドバイスを惜しげもなく披露してくれるだろう。
しかし…彼・彼女らは一緒になって悩んだり問題に取り組んでくれはしない。
恋愛なんて既に終わった作業に、本気になって一緒にコミットするには人生があまりにも忙しいからだ。
一方で恋愛アドバイザーは話が別だ。あの手の人はそれが仕事だから、一緒になってウンウン唸ってくれる事だろう。
下手すると、本人が恋愛上手じゃないのがうまい具合に共感しやすさに繋がったりなんかもして、共に闘う戦友として申し分ないなんて展開だってあるかもしれない。
完璧超人は、追随するには魅力が欠ける
他にも駄目な事がメリットとして働く事がある。
最近読んでいた子育て関連の論文で、親が適度に失敗する事が子供の教育で大切だという事が書かれていたモノがあった。
親があまりにも完璧すぎると、子供は自分自身の至らなさに胸が締め付けられてしまうらしい。
他にも「あの人は自分とは違う」「だから全然参考にならない」なんて認知されてしまったりもするらしい。
逆に親がたまに不機嫌だったり、ミスをすると、子供はそれをみて「親だって人間なんだ」と安心するのだそうだ。
言われてみると自分も小学生ぐらいの頃に似たような経験をした事がある。
当時、担任の教師がダメダメだったのだけど、これがいい意味で自分の大人に対する幻想をぶち壊してくれた。
それまでは大人というのは誰もが完成された生き物だと思っていたのだが、あの経験を通じて「小学生よりも駄目な大人がこの世にはいる」という現実を理解できた事は本当によかった。当時はその現実に混乱するだけだったが。
自分よりも上位に位置する人間の不始末は人を安心させる。
よくカルト宗教なんかでも、教祖が信者に手を出したりして炎上したりするらしいのだが、それをみて逆に信者は
「教祖様だって人間だったんだ!」
と安心して、信心を深めたりするらしい。
上位存在の不始末は必ずしも悪ではない。むしろ、それがあるから安心できる性質のものなのだ。
解決も、寄り添いも肝心だ
世の中の多くの事は解決に時間を要する。
口だけで全部が全部うまくいくだなんて事はない。現実は時間が無ければ先には進まないし、実際の行動あるいは忍耐が無ければ、いい結果は絶対に得られない。
だから問題解決も大事だけれど…それ以上に誰かに寄り添ってあげられる事の方が時に肝心にもなりえる。
何もできなくても、そばにいてくれるというだけで人間は物凄く心強くなれるし、癒される。
むしろ何もできないのにそれが出来る人にはトンデモナイ胆力がある。
何もできないのにそばに居られるだなんて…普通に考えて居心地最悪すぎである。
けど…それができる人にこそ、人は安心して寄り添えるのだし、それが出来ない人間なんて結局のところ損得でしか動かない人間でしかないのである。
そういう意味では一周回って恋愛アドバイザーってのも、大切な役割なのかもしれませんね。
【安達が東京都主催のイベントに登壇します】
ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。

こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい
<2025年7月14日実施予定>
投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは
借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである
2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる
3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう
【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください
(2025/6/2更新)
【著者プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように
noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます
Photo by :UnsplashのMimi Thian