駅前での苦行
「えっ?もらってくれるんですか?」
肌寒くなってきた小田急線沿いの某駅前で、私は一人の男性に、区議会議員候補のチラシを手渡した。
このご時世、チラシを差し出したところで、受け取ってくれる人などほぼいない。
自分に置き換えてみると分かりやすいが、手ぶらで家を出た私に対して、知らんオッサンのプロフィールや、「議員になったらこれやります!」的なポエムを渡されたところで、受け取るはずがない。
おまけに改札へ向かう途中で、ほぼゴミとなるチラシを受け取るメリットなどどこにもない。むしろ、デメリットしかないのだ。
それでも私はへこたれなかった。なぜなら、「チラシ配りのプロ」としてのプライドがあったからだ。
その昔、預貯金ゼロの状態で自営業をスタートさせた私は、早い時点で翌月の家賃が払えないことに気がついた。そこですぐさま、アルバイトの面接を受けまくった。
いかんせん、自営業のために会社を辞めたのだから、いつかはそれ一本で食っていかなければならない。よって今は、アルバイトを掛け持つことで生き延びるしかないのだ。
こうして雇用が決まったアルバイトは5社。
前職の手伝いとして新聞社での校閲補助、自宅から1分のタリーズコーヒー、学生時代のバイトのツテで雀荘、ホテルオークラでのバンケットスタッフ、そしてチラシ配り。
なかでも、即日カネが受け取れるチラシ配りは、その日暮らしの私にとって強い味方となった。
時期的なものもあってか、模擬試験や資格試験などの解答速報を配る仕事が多かった。だがこれは、今となってはかなりチョロいものだった。なんせ、解答速報を手に入れたい受験生が、私めがけて突進してくるのだから悪い気はしない。
あっという間に解答速報をさばき切り、上機嫌でバイト代を受け取った記憶が蘇る。
このような経緯からも、ある意味「手に職を持っている」と自負する私は、サービス券が付いているわけでもなく、もらったところで嬉しくも何ともない区議候補のチラシであっても、多くの人へ手渡す自信があったのだ。
ところが、というか案の定というか、こんなものを喜んで受け取ってくれる通行人など皆無に等しい。それどころか、嫌々でもいいから受け取ってくれる人すらいない。
あからさまに嫌な顔をしたり、耳にイヤフォンを突っ込んでスマホに夢中になっていたりと、声を掛けるまでもなく「論外」の場合はまだいい。
だが、完璧なつくり笑顔で鮮やかに「No!」と言われると、心は折れないまでもどう攻略したらいいのか分からず、天を仰ぐしかないのであった。
(どうせ自分のことじゃないし、適当に配ってるフリするか・・・)
こんなものはいくらでもサボれる。おまけにバイトじゃないんだから、どれだけ配ろうが時給は発生しない。だったら、辛い思いをしてまで頑張る必要などない――。
このように気持ちが揺らいでいたところへ、冒頭の男性が現れたのだ。
(サボらなくてよかった・・・)
世田谷区民のハートを掴むまで
「え?だって、受け取ってもらうために配ってるんでしょ?」
逆に驚いた様子で私を見る男性。そりゃそうだ。「こんにちは〜!」「おねがいしまぁす!」などと言いながらチラシを差し出しているのだから、受け取るか拒否するかの二択である。
そして、この男性は受け取ってくれたわけで、受領の確認よりも礼を言うのが先だろう。
「すみませんね、こんな邪魔なところでチラシ配って・・」
苦笑いでなぜか謝る私。というかこれは、自分自身が通行人だったらそう感じるからこそ、口をついて出た発言なのだが。
「私、自営業なんですが、寝るのが朝なんですよ。せっかく眠りについた頃、選挙カーが大騒ぎするから目が覚めちゃって。おかげでイライラが収まりませんよ!」
どうでもいい会話で場を繋ごうとしたところ、その男性が目を輝かせながら相槌を打ってきた。
「わかります!それ、すっごくよくわかります。僕は近所でクリニックを経営しているんだけど、患者さんに聴診器を当てても聞こえないの、選挙カーが来ると。だから、困ったなぁって思っていたんですよ」
なんというシンパシーだ。やはり、一連の選挙活動による「騒音」に悩まされる市民は多いのだ。
とはいえ、古くさい法律が時代錯誤の茶番劇を強要するだけで、必死に訴えかける候補者だけの責任ではない。つまり、公選法の見直しを含む根底からの改善が必要なのだ・・などなど話が盛り上がった後に、男性がふと私にこう尋ねた。
「一つだけ聞いてもいいですか?彼が議員になったとして、僕に何をしてくれるの?」
これは、選挙運動中によくある質問である。無論、選挙にこれっぽっちも関わっていない私は、この候補者がどんな政策を掲げ、どんな意気込みで選挙に挑んでいるのかなど、微塵も知らない。
ではなぜ、ここでチラシを配っているのかといえば、所用で小田急線沿いを訪れたのだが、たまたま知人が駅立ちをしていると知り、冷やかしついでに顔を拝みに来たのである。おまけに、預かったチラシにも目を通していないため、そこに何が書いてあるのかは不明。
そんな私に対して、このような核心をつく質問をされても・・・。
「特に何もしてくれないし、何も変わらないと思いますよ」
私は思い切って答えた。実際に、聞こえのいい政策や目標を掲げたところで、たった一人の議員の力でどうにかなるものではない。民主主義国家ゆえに、より多くの支持を勝ち取らなければ、どんなに優れた計画でも日の目を見ることはないのである。
それより何より、嘘をつくのが一番よくない。「これをしてくれますよ」といって叶わなかった場合、私も、そして候補者である知人も嘘をついたことになる。
「なるほど。今すぐ何かを変えることはできない、ということ?」
意外な返答たったのか、不思議そうに聞き返す男性に向かって、
「そうです。そんな簡単に変えられるなら、もうとっくに変わってるはずだから」
と答えた。そしてすかさず、
「ちなみに私、港区民なんでヨソ者です。だけど、私の考えに共感してくれるなら、私の知人である彼が当選すれば、いつか皆さんにいいことがあると思いますよ。だって、私のような異端児の意見を聞いてくれる政治家は、ほとんどいないので!」
と説明した。
「ほう、ぜひ聞かせてください」という彼に対して、私は「あくまで個人的、かつ、偏った政治の未来像」であることを強調しつつ、独断と偏見の妄想を語り始めたのである。
――まず、政治家は人間である必要がない。むしろ忖度や利権とは縁遠い、人工知能(AI)に任せるべき分野だと思う。
もちろん、政策を実行するのは人間なので、政治家全員がAIでは困る。
だが情報収集や分析、そして企画立案といった作業は、間違いなくAIのほうが実力を発揮できるだろう。
さらにAIならば、24時間フルタイムで働くことができる。お偉いさんの顔色をうかがう必要もなく、ひたすらデータ解析を続けることで、人間何人分、いや、何千人分もの代替要員として、任務遂行が可能。
たとえば今回、港区では「A.I.ジョー」という名の人工知能が区議選に立候補した(結果的に落選だったが、とはいえ512票を獲得した)が、もっと上手く選挙活動をすれば「まさかの事態」を引き起こしたかもしれない。
そう、これこそが新たな政治の幕開けであり、公平で正しい世界への第一歩となるのだ。
AIが議員になるには、現行の法律では無理な上に、「バカげた話」として一蹴されるかもしれない。だが、あながち間違ってはいない。むしろこれからは、AIを適切にコントロールできる人間が生き残る時代となる。
そうなれば、今のようなアナログに頼る選挙運動や投票方式は廃止され、デジタルによる効率的な選挙が実現するだろう。
つまり、聴診器を当てても「うるさくて聞こえない」なんてことにはならない、穏やかな未来が訪れるわけだ――。
「非常に面白い発想だ。あなたに投票するつもりで、彼に一票入れましょう!」
初対面かつ異なる自治体のわれわれが、なぜかガッチリと握手を交わしたのであった。
昭和を捨てろ!
選挙のあり方について山ほど意見はあるが、まずは何より「昭和の考え」を捨ててもらいたい。それをせずして、なにがDXだ?なにがムーンショット目標だ?
日本における「デジタル化の先導役」ともいえる政治家。そんな彼ら彼女らを選ぶ選挙が、未だにアナログでは話にならない。
そういえば友人が、投票場でのシュールな出来事を聞かせてくれた。とある高齢の女性が、サポートの男性スタッフに対して、
「なにを書けばいいのよ?」
と尋ねたところ、男性は、
「人の名前ですね」
と、当然の回答をした。するとその女性は、
「だって、誰も知らないんだもの!」
と、悪びれる様子もなくあっけらかんと言い放ったのだそう。
投票をするためにここまでやってきたが、誰の名前を書けばいいのか分からない…というオチはなんとも切ない。
この選挙は、本当に民意を反映しているのだろうか。
*
まぁ何はともあれ、対面での演説というアナログな方法ではあるが、私は確実に一票を獲得した。よって、個人的な選挙戦を勝利で終えることができ、ホッとしたのである。(了)
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【著者プロフィール】
URABE(ウラベ)
早稲田卒、生業はライターと社労士。ブラジリアン柔術茶帯、クレー射撃元日本代表。
■Twitter https://twitter.com/uraberica
Photo by :Jezael Melgoza