先日、夫と「学校で学びたかったこと」について話した。
「大人になる前に知りたかったこと」と言い換えるとわかりやすいかもしれない。
みなさんにもきっと、「学校でこれを教えてほしかった」「大人になる前にこれを知っておきたかった」ということがあるんじゃないだろうか。
というわけで今回は、大人になる前に知りたかったことをテーマに書いていこうと思う。
みなさんも、「大人になる前にこれを知っておけば……」ということがあれば、ぜひ教えていただきたい。
※ちなみにわたしは現在30歳で、ゆとり教育を受けた世代である。
1.幸せに生きるために知っておくべき「自己肯定感の高め方」
学生の時は、多少進路について考えはするものの、とりあえず今日授業を受けて、明日は友だちと遊んで……と、少し先の未来だけを考えていればよかった。
しかし大人になると、そうはいかない。
冷蔵庫の食材とにらめっこして1週間の献立を考え、来月のミーティングに備えて資料を用意し、半年後に払う税金ぶんのカネを別口座に確保し、来年に予定する引っ越しのための手続きをして……。
パートナーが病気になって収入が減ったら、親に介護が必要になったら、自分の老後年金がもらえなかったら……頭のなかはいつも「先のこと」でいっぱいだ。
友だちが結婚しはじめて焦ったり、後輩が成功しているのを見て妬んだり、仕事一辺倒になって人生の意味を自分に問いかけたり。
とにもかくにも、大人になると気が重いことが多い!
子どもの頃のように、先生が褒めてくれるわけでも、親が守ってくれるわけでもないし!
そんな状況のなかでも「前向きにがんばろう」と思うためには、自己肯定感が必要だ。
自分は大切な人間であり、他人にとっても価値がある。
そう思えなければ、日々のネガティブイベントに押しつぶされ、人生が灰色になってしまう。
でも思い返してみると、学校では「親切にしよう」「思いやりを持て」「されて嫌なことをするな」と、他人を大切にする方法ばかり教わった。
自分をいたわり、思いやり、嫌なことから身を守る方法を教わった記憶が、ほとんどない。
自分自身が不幸だとまわりを思いやる余裕がなくなってしまうから、他人を大切にするのにはまず、自分を大切にしないといけないはずだ。
だから学校ではもっと、「自分を大事にしろよ!」と教え込んだほうがいいと思う。
他人と比較なんてしなくとも、そのままの自分を好きでいるために。
2.自分を守るためには、権利と法律の知識が不可欠
大人になってから、自分を守るためには権利と法律の知識が不可欠だと痛感した。
たとえば、居酒屋でバイトしていたとき、「待機」という謎システムがあった。
シフトが17時でも、客入りが悪かったら「待機」し、18時か19時ごろ出勤か帰宅かを言い渡される。待機時間中は店内に拘束されているが、働いていないので給料は発生しない。
当然、違法である。
おかしいとは思うが、どうすればいいかわからない。
親に相談したところ「それは違法だから拒否していい」と言われ、法律をググり、店長に「わたしは待機はしません。待機するならタイムカードを切ります」と言って自分の権利を行使した。
コンビニでアルバイトをしたら、売れ残った恵方巻を買い取らされた。
タイムカードが30分刻みで、20分残業をしても切り捨てられて給料がもらえない。
無理やりシフトを入れられ、大学の授業を休まなくてはいけなくなった。
このようなブラックバイトはとても身近で、それに慣れてしまうと、大人になっても理不尽に違和感を持たなくなってしまう。
そんな理不尽から自分を守る方法を、学校は教えてくれただろうか。
自分の権利を行使し、相手に法律を守らせるには知識が必要で、それがなければ相手のいいように扱われる弱者になってしまう。
だから、自分にはどんな権利があり、自分を守るためにどんな法律があるかを知っておくべきなのだ。
権利と法律に対する意識が高まれば、同時に「他人の権利を守らなくてはいけない」「法律違反をしてはいけない」という意識も強くなるしね。
3.多様化する社会で、「ちがう人」とどう関わっていくべきなのか
わたしが大学に入ったあたりから、ダイバーシティ、多様性、LGBTといった言葉がに広まっていった。
最近では、ジェンダーレスの制服を導入したり、「くん」「ちゃん」ではなく、生徒を一律で「さん」と呼んだりする学校もあるらしい。
一方で、いまでも明るい地毛を黒染めさせられたり、下着の色を指定されたり、意味がわからない校則がある学校も存在する。
いまは、「みんな一緒であるべき」から「みんなちがっていいじゃない」への過渡期なのだろう。
小さい頃から、外見や能力、出自など、あらゆる面で「いろいろな人がいる」と理解するのは、大切なことだ。
でも大人になると、「多様性を認める」だけでは不十分だと気付かされる。
生活するうえで大事なのはその一歩先、「自分とはちがう人間とどう関わっていくか」だ。
100人いれば100通りの個性があるが、それをそのまま受け入れては、社会が成り立たない。
多様性とはいっても、どこかで歩み寄り、お互い妥協しなくてはいけないのだ。
少数派に配慮するのは当然だが、少数派が多数派に歩み寄らなくていいわけではないし。
かといって、まちがった方法で譲歩を要求すれば差別やハラスメントになるし、無理に多数派に合わせていたら生きづらさを感じるだろう。
では、どうやって歩み寄るべきか?
多様性を認めよう、だけではなく、「自分とはちがう人とどう関わり、どう理解し、どう歩み寄るか?」まで話してこそ、「多様性の理解」になると思う。
そしてそれは、今後社会を生きていくうえで、とても重要なことだ。
教えられる大人がいなければ子どもは学べない
……とまぁこんな感じで、「大人になる前に知りたかったこと」を書いてきたわけだが、執筆しているなかでふと思ったことがある。
それは、「なぜこんな大切なことを教えてもらえなかったのか」だ。
どう考えたって、自己肯定感を高めることや法律を守ること、自分とは異なる人とうまくやることは大切なはず。
それなのに、学校ではきちんと教えてもらえなかった。
いったいなぜ?
それは、教える人がいないからじゃないだろうか。
教えるためには当然、先生が必要だ。
教員免許という意味ではなく、「専門的な内容を体系立てて論理的に説明できる能力をもつ大人」という意味で。
いや、逆に「自分の経験を真摯に伝えてくれる人間くさい大人」でもいいかもしれない。
とにかく、教えるためには先生が必要で、先生がいないから学べないんじゃないか。そう思ったわけだ。
教えられる人がいないから学べなかった、という前提で考え直すと、「学校で教えてほしかったこと」は、言い換えれば「大人が身に着けられなかったこと」といえるかもしれない。
そういえば、「学校でもっときちんと教えるべきだ」とよく言われる性教育やお金のことに関しても、「ではだれが教えられるのか」と言われると、なかなかむずかしい気がする。
少なくとも、教員免許を持っているからといって教えられるようなことではない。
だからこそ、学校で習わない、習えないのだろう。
自分が学びたかったことを教えられる大人になりたい
……なんて偉そうに書いたが、「じゃあお前はどうなのよ」と言われると、言葉に窮する。
「自己肯定感は大事! 学校で教えてほしかった!」とは書いたが、「じゃあ大人になったあなたは先生として子どもにそれ教えられますか?」と言われると、「いや、それはちょっとむずかしいかも……」となってしまう。
大人になったいまでも、自分に足りていないものはたくさんある。
となると、「子どものときに知りたかった」のではなく、「いまもまだ学ぶべきこと」というほうが正確かもしれない。
「教えてほしかった」という後悔があるなら、自分がそれをだれかに教えられるようになればいい。
教えられるレベルにないならそれはまだ学びの途中ということだから、これからも勉強していけばいいのだ。
さてさて、みなさんは、大人になる前になにを知っておきたかっただろうか。
また、大人になったあなたは、それを知り、身に着け、だれかに教えられるようになっているのだろうか。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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Photo by :Katrina Wright