ライターの仕事をしていると、自分の記事に対するいろんなご意見をいただく。
バチクソに叩かれるとさすがにウッとなってしまうが、批判的な意見から学べることも多く、ちゃんと記事を読んでくださったうえでのご意見は、賛否に関わらずありがたく受け取っている。
また、ほかの人の記事やそれに対する感想に目を通すことも多く、おおいに参考にさせていただいている。ありがたいかぎりだ。
が、しかし。
個人的にあまり好きではない……率直にいえば、ちょっとイラッとするコメントがある。
それは、「一回経験しただけでわかった気になるな」「自分の経験を一般化しすぎ」系だ。
挙句の果てには、「愚者は経験から学ぶ、賢者は歴史から学ぶんですよねぇw」なんて煽る人もいる。いやいやいや……。
経験から学んだ系の記事にこういうコメントを書く人に、この際ハッキリ伝えたい。
経験から学ばない人間なんて愚者以下だぞ、と。
他人の「経験からの学び」を否定する、残念な人たち
わたしの場合、ドイツでの経験をもとに考えたことを記事にすることが多い。
すると、「主語を大きくするな」「ドイツに住んでたけどそんなことはない」といったコメントをいただくことがある。
もちろん、言わんとすることはわかる。
わたしの書き方が悪く、決めつけているような印象になっているのならば、反省すべきだ。
でもそうではなく、単純に「その程度で語るな」とか「自分の経験を絶対視するな」といったコメントを見ると、なぜ他人の「経験からの学び」を否定するのかがさっぱりわからず、首をかしげてしまう。
わたしはドイツでこういう経験をしてこう思った。
あなたはドイツのちがう場所で、ちがう経験をして、ちがうことを考えた。
それでいいじゃないか。
なぜわたしの経験と、それからの学びを否定するんだ?
これは、わたしだけの話ではない。
引用すると失礼にあたるかもしれないのでタイトルは挙げないが、以前、フルマラソンを完走したという記事を拝読した。
好意的なコメントが多く集まるなか、「素人ランナーはすぐ人生を語りたがる」「一回走っただけで語るのは薄い」といったコメントも紛れていた。
自分が書いた記事ではないが、こういうコメントを見ると、正直うんざりしてしまう。
別に、一回の経験から学んだことを語ってもいいじゃないか。
5回目の経験でちがう考えが生まれたなら、アップデートしてまたそれを書けばいいじゃないか。
なぜ他人の経験と、そこからの学びを否定するんだ?
「自分は同じ経験をしたけどちがう考えだった」
「自分はちがう経験をして別の印象を受けた」
それだけの話なのに。
とくに、経験からの学びを否定するための言葉として、「愚者は経験から学ぶ、賢者は歴史から学ぶ」という名言を引用する人にはもう、溜息をついてしまう。
だってその名言を残したビスマルクは、むしろ「他人の経験から学べ」と言っているのだから!
「愚者は経験から学ぶ、賢者は歴史から学ぶ」への誤解
「愚者は経験から学ぶ、賢者は歴史から学ぶ」と訳されるこの言葉は、ドイツ(プロイセン、ドイツ帝国)の政治家、「鉄血宰相」と呼ばれるオットー・ビスマルクによるものだ。
プロイセン首相として軍制改革を進め、普墺戦争と普仏戦争に勝利してドイツ帝国樹立に貢献、その後ドイツ国の宰相も務めた、要はめっちゃすごい人である。
で、このめっちゃすごい人が言ったとされているのが、「愚者は経験から学ぶ、賢者は歴史から学ぶ」という言葉。
コメント欄を見ていると、「経験から学ぶやつはバカ確定w」といった意味合いで煽りに使う人がちらほらいて、驚いた。
どうやらこの言葉を誤解して、「経験から学ぶ=バカ」だと認識しているらしい。
原文は
「Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen. Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.」
わたしなりに直訳すると、
「愚者だけが、自分の経験から学ぶと信じている。わたしは、最初から自分の失敗を避けるために、他人の経験から学ぶことを好む」
つまり、「バカは自分で経験するまでわからないが、わたしはできるだけ他人の経験から学んで、事前に失敗を避けるのが好きだよ」と言ってるわけである(まちがっていたらご指摘願いたい)。
そもそも原文には「賢者」は存在しないし、「歴史」もまた存在していない。
ただ、「自分自身の経験(のみ)を重視するバカ者と、他人の経験から学んで失敗を避ける自分」を対比しているだけだ。
この言葉はむしろ、「他人の経験を知り、そこから学ぶべし」と言っていいて、それには当然、経験を伝えてくれる他人の存在が不可欠である。
日本語訳に沿うなら、他人の経験を「その程度で語るな」とバカにするのは、他人の経験から学べない愚者がやることであり、賢者は他人の経験をバカにするどころか最大限の敬意を払って、そこから事前に学ばせていいただく、という話なのだ。
本来は他人の経験から学ぶことの大切さを説いている
たとえば、スニーカーとGパンで富士山に登り、ケガをしたり寒さで動けなくなったりして、救助された人がいたとしよう。
そのニュースを聞けば、だれもが「なぜちゃんと準備しなかったんだ」と思うはずだ。
「事前に防げた失敗だろう」と。
少し調べれば、富士山登山に必要な装備、知識なんて、すぐにわかる。そしてそれはすべて、他人の経験をもとにまとめられた情報だ。
他人の経験から学ばず、「やってみなきゃわからない!」とスニーカーGパンで富士山登山をする人がいたら、それはもう正真正銘のバカである。
ビスマルクの名言はつまり、「他人の経験から学べば事前に回避できる失敗があるよね。それを理解せず、なんでも自分でやってわざわざ失敗するのはどうなのよ」という意味なのだ(とわたしは認識している)。
それなのに。
他人が「経験から学んだこと」を伝えることに対して、「その程度の経験で」「一般化するな」「自分はそんな経験していない」と、他人の経験自体を否定する人がいる。
そしてそういう人が最後に行きつくのが、「愚者は経験から学ぶ、賢者は歴史から学ぶ」という言葉で、「だから経験をもとにああだこうだ語るのはバカな証拠」と鼻で笑うのだ。
でもそれは、「自分は他人の経験から学ぼうとしないバカでーす」と吐露しているようなもの。
他人の経験を貶めるために自分の言葉が使われていると知ったら、ビスマルク先輩もドン引きだろう。
「オレ、そんなこと全然言ってねーけど!?」と。
他人の経験を知り、そのうえで自分がなにを学ぶか
もちろん、「百聞は一見にしかず」という言葉があるように、実際にやってみないとわからないことは多い。
しかし、他人の経験から事前に学んで失敗を回避することと、自分で経験してはじめて学べることがあるというのは、矛盾しない。
わたしはドイツに移住するにあたり、必要なお金をある程度確保し、ビザに使うであろう書類を日本から持ち込み、語学も学んだ。
それらの情報は、ドイツに移住した先輩たちの経験を綴ったブログなどから得た情報だ。
おかげで当面は生活に困らなかったし、無事、ワーホリビザから学生ビザへの切り替えもできた。
とはいえ当然、経験して初めて学ぶこと、気付くこと、考えることもたくさんある。
たとえば、「海外では自分の意見を言うのが大事」なんていわれるが、少なくともドイツでは、「自分の意見を言えないヤツは見向きもされない」。
「君はどう思う?」と聞かれて「なんでもいいよ」「合わせるよ」ばかり言っていると、主体性のない人間、つまらない人間だと思われる。
意見を出さないと話し合いに参加できないし、話し合いに参加しない人は仲間として認めてもらえない。
どんなにドイツ語がヘタでも、「それはちがうと思うよ」「こっちのほうがいいんじゃない?」と言えないと、やっていけないのだ。
……なんて書くと、「日本人の性質を理解して気を遣ってくれるドイツ人だっています! 自分の経験がすべてだと思うな!」なんていう人が現れるんだけど。
わたしはこういう経験をして、こう考えた。あなたはちがう経験をして、そう考えた。
それだけ。
わたしの経験を知って、どこかのだれかが「ドイツでは自分の意見をハッキリ言おう!」と思ってくれたならそれでいいし、逆に「じゃあ日本人を理解してくれる日本好きの人とまず仲良くなろう」と思うなら、それはそれでいい。
ちがう経験、考えがあっていいじゃないか。
大事なのは、他人の経験を知り、そのうえで自分がなにを学ぶかなのだから。
お互いの経験を学びの糧に
自分自身の経験が全人類に当てはまるかのように一般化している人や、ちょっとやっただけですべてを理解した気になっている人なんて、あんまりいないと思う。
単純に、「自分はこういう経験をしてこう思ったからこうなんじゃないか」ってだけなんだよ、たぶん。
別に、1回の経験からいろいろ語ってもいいじゃないか。
再現性がなくたって、その経験がたしかにあったのなら、思ったことを伝えてもいいじゃないか。
たとえ玄人からすれば「浅い」「ニワカ」だったとしても、初心者の感想にだって価値があるじゃないか。
それがまちがっているなら修正していけばいいのでであって、「経験から学ぶこと」自体を否定しなくたって、いいじゃないか。
経験したことは他人に伝えて学びの糧にしてもらい、自分も他人の経験から学ばせてもらう。
自分の経験のおかげでだれかが失敗を回避できたらうれしいし、他人の経験のおかげで自分が失敗を回避できたらありがたい。それだけ。
他人の経験からの学びを頭から否定しないで、「自分の場合はこうだった」「こういう考えもある」というように、いろんな経験談が集まって学びが深まればいいなぁ、と思う。
そうやって経験を共有することで前に進んでいくのが、「愚者は経験から学ぶ、賢者は歴史から学ぶ」の言葉の、本当の意味だろうから。
【安達が東京都主催のイベントに登壇します】
ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。

こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい
<2025年7月14日実施予定>
投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは
借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである
2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる
3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう
【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください
(2025/6/2更新)
【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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