「好きなことだけして生きていく」

「自分らしく働けば幸せになれる」

「夢を語れば応援してくれる人がたくさんいる」

2014年、わたしが大学を卒業するあたりから、こういった言葉をよく聞くようになった。

 

「ありのままで」で人気を博した『アナと雪の女王』が2013年公開だから、まぁそれくらいの時期だろう。

「こうあるべき!」という古い押し付けからの脱却、自由に生きるための道しるべとして、わたしはこの新しい考えを支持していた。

 

でも最近、ふと思ったのだ。

「夢」や「自分らしさ」を本当に必要としているのは、いったいだれなんだろう?と。

 

大人の都合で「夢至上主義」になる教育現場

最初わたしは、「個人個人が自分の幸せを追求できる」という意味で、自分らしさや好きなことをして生きるという考えは、とても素敵だと思った。

そういった個人を尊重するため、ダイバーシティ教育や自律キャリアなど、社会が変化していくのもいいことだ、と。

でも最近、「もしかして順序が逆だったんじゃないか?」と考えるようになった。

 

少し長いが、橘玲さんの『無理ゲー社会』という本から、大人の都合で「夢」を利用する現実を紹介させていただこう。

大学生は就職活動で、「あなたの夢を教えてください」「10年後どうなっていたいですか」などと必ず訊かれる。高部のところには、「夢なんて無いんですけど、どう答えればいいんですか」という相談が次々とやってくるという。

これは大学生だけのことではない。高校でキャリア教育の講演をしたとき、ある生徒は「夢を持つことを強制されている」と高部に訴えた。(……)

なぜこれほど日本の社会に「夢」が氾濫するのか。高部はそれを「大人の都合」だという。

かつての日本には、「学校で真面目に勉強すればよい大学に入って、一流企業に就職できる」「よい成績で高校を卒業すればちゃんとした会社で働ける」という暗黙の合意があり、親や教師がいちいちいわなくても、生徒たちは学校から社会へのルートを自然に受け入れていた。

だがいまでは、とりわけ中堅以下の学校で、こうした「きれいごと」で生徒たちに「勉強する(あるいは学校に通う)モチベーション」を与えることが困難になってきた。そこで窮余の一策として、「夢を実現するためにはいま頑張らなければならない」という夢至上主義が蔓延することになったのだという。

これを読んで、ピンときた。

「夢」だの「自分らしさ」だのを必要としているのは、個人よりむしろ、学校や企業、社会といった、「組織」のほうなんじゃないか?

 

将来を約束できないから、「自分らしくがんばろう」

一昔前、男性は「エリートサラリーマン」、女性は「良妻賢母」というゴールがあり、それを目指せばよかった。

いい大学からいい会社に入れば安泰、結婚して子どもを産んで育てれば一人前。

 

良い・悪いは別として、こういう価値観だったから、「そのゴールのために真面目にがんばれ」と言えばよかった。

でもいまは、そのゴールを用意できない。

 

物価はガンガン上がるのに給料は30年間横這いで、大手企業に入ったからといって将来が約束されるわけでもない。

女性も働いて当然の世の中だが、育児と仕事の両立はむずかしく、そもそも結婚するかどうかもわからない。

 

生活ができればそれで十分。昇進したってたいして給料は上がらないんだから、面倒くさいよ。

結婚しなくても困らないし、自分のために生きていけばいいや。

このように、「なんのためにがんばらなきゃいけないの? どうせがんばったって無駄でしょ」のような考えの人は、たくさんいる。

 

それでも学校は、企業は、社会は、個人にがんばってもらわないと困るわけで。

そこで登場するのが、「夢」や「自分らしさ」だ。

 

君がやりたいことはなに? それをやったらきっと人生は楽しくなるよ。幸せになる方法を探そう。好きなことを一生懸命がんばろう。

こんな感じで。

 

要は、経済的安定やある程度の社会的成功を約束できなくなったので、せめて「幸せ」を感じて生きられるように努力しましょう、といっているのだ。

 

給料交渉より成長支援のほうが圧倒的にラク

そういえば、マネジメントや自己啓発系の本の内容の99%くらいが「精神論」に偏っていることが、わたしにはずっとふしぎだった。

なぜ、信頼関係構築やらアンガーマネージメントやらモチベーションやらキャリアビジョンとか、ふわっとした話ばかりするんだ?

 

単純に、たくさん給料を払えば「辞めるのはもったいない」と思わせることができるんじゃないか? 責任のあるポジションを任せればやる気が出るんじゃないか? キャリアアップが約束されれば自主的に勉強するんじゃないか?

 

その疑問の答えが見つかった。

企業は給料を払いたくないし、昇進させる空きポジションはないし、キャリアアップの道筋を示せるほどの余裕がない。

 

それでも社員にがんばってほしい。

だから、「(給料アップはないし終身雇用する責任もないし昇進させる予定もないけど)我が社はあなたらしく働けるように協力します! だからがんばって!」と、ごまかしているのだ。

企業としては、給料交渉するよりも、「どういうふうに成長したいか」という話し合いをするほうが、圧倒的に都合がいいから。

 

『図解 人材マネジメント入門』という本では、昇進する可能性がない社員には早いうちに肩たたきする企業が紹介されている。

昇進できなければ退社、という一見厳しい人事制度です。優秀な人だけを残せるという企業側の都合は当然ありますが、働く個人にとっても実は意味があります。
古野庸一・小野泉『「いい会社」とは何か』によれば、ある優良企業では30歳前後で活躍しそうにもない人に辞めてもらうことを徹底しているそうです。
それは40歳を超えると転職が困難になるから。人材を抱え、結果として「飼い殺し」になってしまう企業と比べて、より働く人を大切にしているのはどちらでしょうか。
出典:『図解 人材マネジメント入門』

これこそまさに、「大人の都合」によって、「夢」が利用されている例だ。

 

「別の場所のほうが活躍できるはず」「君らしく働くなら我が社ではないほうが」なんてきれいごとを語っているが、とどのつまり人員整理である。

「自分らしさ」「好きなこと」「夢」という言葉を好んで使うのは、人生の目標を探す若者よりもむしろ、その言葉がないと社員を鼓舞できない企業なんじゃないだろうか。

 

物欲がない若者?モノを買えないから物欲を失った若者?

よく、「若者はモノよりコトを重視する」とか、「物質的な豊かさより精神的充足を求める」とか言っている人がいるけど、こういう系って、全部逆だったりしないだろうか。

 

将来どうなるかわからないから、モノを買うより目の前の確実なコトに飛びつく。

車や家なんて買えそうにないから、安上りな趣味で楽しく暮らす。

 

別にモノが欲しくないわけでも、趣味に没頭したいわけでもないけど、それ以外になにもない。だからいま楽しければいいと、コト消費に走る。

こういう順序だったりしないだろうか。

 

それなのにいつの間にか、「若者は物欲がない」ことにされ、残業しても資格を取っても給料が上がらないからやる気が出ないのに、「ゆとり世代はドライ」と言われ。

まるで、本人が望んでいるからそうなっている、とでもいうように。

 

そして学校や企業のような組織、社会は、メッセージを送る。

「そんなあなたたちを応援しますよ」と。

 

「多様性を重視」「自分らしく生きる人を支援」「ダイバーシティへの理解」なんて言葉で、わかってる感をアピールするのだ。

ただ「がんばれば報われる」っていう希望を与えられないから、「夢」だの「自分らしさ」だの、どうとでも解釈できる実体のないモノを利用しているだけなのに。

 

「夢」や「自分らしさ」を追うことが現代のライフハック

もちろん、「夢」や「自分らしさ」に救われた人はたくさんいるし、人生の選択肢は多いに越したことはない。

そういった指標で幸せになることを否定するつもりは一切ないのだ。

ただ、「自分自身が選んだ自由な道だと思ってたけど、実は組織や社会がそれを都合よく利用していて、まんまと乗せられてたのかも……!?」と思っただけで。

 

「あなたらしさを大事にするからがんばってね」という動機づけは、とても優しく聞こえる。

でもそれが、「安定した生活や明るい将来の展望を約束できないから用意された代替品」だとしたら……?

 

とはいえそれを拒否するのは、「夢」や「自分らしさ」というゴールを失うということ。

そうすれば、終身雇用が崩壊しつつあり、生涯独身率が増加し、年金がもらえるかわからないような不安ばかりの現代では、なんのためにがんばればいいのかわからなくなってしまう。

 

だから、夢なんかちっとも持っていなくとも、好き勝手生きるほどの情熱なんてなくとも、「夢に向かってがんばる」「自分らしく生きる」というスローガンに従うことが、いまの時代を「幸せ」に生きるライフハックなのだ。

たとえそれが、多様性でごまかされた貧しさだったとしても。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

ブログ:『雨宮の迷走ニュース』

Twitter:amamiya9901

Photo by :Nathan Dumlao