面白いコンテンツに触れる時の私の心情と、最近出会ったとある小説の話をします。

 

共感してくれる人がいるかどうか分からないのですが、ゲームを遊んでいてそろそろ終盤、エンディングも近いかなというところで、「これ以上先に進めたくない……」と思ったことってありませんか?

 

先が見たくて見たくて、けれどそのゲームを終わらせたくなくって、何日も、何週間も続きが遊べなくなったことってないでしょうか?

 

私は、今までに何度もそういう心理状態になったことがあります。

ゲームだけではなく、漫画でも、小説でも、そういう気持ちを経験したことがあります。

終わりが見たいけど、そのコンテンツを味わう時間を終わらせたくない。自分の中で「楽しさの区切り」をつけたくない。

 

その物語の終わり方が自分の期待と違うことが怖くて、ストーリーを読み終えた後自分の中でだんだん面白さが風化していってしまうのが怖くて、だからそのストーリーをそれ以上進められなくなってしまう。

いってみればエンディング恐怖症です。

 

例えば、昔のスーファミのゲームですが、「ヘラクレスの栄光3」が私にとってそんなゲームでした。

余りにも完成されたストーリーと演出に衝撃を受けて、そろそろエンディングというところで「先が見たいんだけどこれ以上進めたくない」症状を発症してしまいました。

 

まだ暑い頃にゲームを買って、そろそろ涼しくなってきたかなという頃に電源を入れられなくなって、ようやくクリアしたのはそろそろ年が変わるかなという頃でした。

それでも、エンディングを見た後二日くらいはぐったり虚脱していました。超面白いですよね、ヘラクレスの栄光3。

 

「ガイア幻想記」も「ゴーストトリック」も、「十三機兵防衛圏」もそうでした。

「ああ、そろそろこのゲームを遊びきってしまう」と思うと、「どうしてもその先を見たくない」という気持ちと、「どうしてもその先が見たい」という気持ちが妙なバランスで釣り合ってしまって、そもそもそのコンテンツに触れられなくなるのです。

 

もったいない側面もあると思います。コンテンツを楽しむのにも勢いというものはありまして、「面白い!」という気持ちが新鮮な状態で、要はその世界にどっぷり浸りきったままでコンテンツを最後まで楽しんでしまった方が、100%そのコンテンツが楽しめるのかも知れません。

 

少なくとも、時間が空いてしまうことで頭に余計なノイズが入ってきたり、序盤の展開を忘れてしまったり、ということはないでしょう。

 

だから私は、ヘラクレスの栄光3を、本来はそのままの勢いで終わらせるべきだったのかも知れない。

 

ただ私自身は、「先が見たい、けれど見たくない」という状態の、このもやもや、ふわふわとした感覚が嫌いではありません。

これは、「終わらせるのが怖くなるくらい、そのコンテンツを好きになれた」ということの、一つの証明でもあります。「もやもや出来た」ということ自体が、私にとって案外重要なのです。

 

ところで最近、私はとある小説でこの「エンディング恐怖症」にかかって、現在進行形でもやもやしています。

 

長男が学校の図書館で借りてきて、「これ面白いから読んでみて!」とおススメされて、読んでみたら本当に面白くて。6巻全冊をまとめ買いして、既に手元に全巻揃っているというのに、5巻まで読んだところで手が止まってしまい、1巻から5巻までを何度もループしています。

 

本来はシリーズ全てを読み終えてから語るべきだとは思うのですが、たまには、この「先が読みたいんだけど読みたくない」という心理状態のまま、自分の心象を交えて本を紹介するのもいいのではないかと思ったので、今日はこの状態のままで書きます。

 

「いなくなれ、群青」を一冊目とする、いわゆる「階段島」シリーズの話です。一冊目の発売が2014年で、2019年に最終巻が出ています。

基本的にはネタバレなしで書きますが、最低限設定の話をしてしまうことはご了承ください。

 

***

 

まず、作品自体の紹介をします。映画化もされた人気作品ですので、ご存知の方も多いとは思うのですがご勘弁ください。

 

「階段島」シリーズは、「捨てられた人たち」が集まる島である「階段島」を舞台にした物語です。

この物語の主人公は、何事も悲観的に考える傾向のある、高校一年生の七草(ななくさ)。彼は、外界と隔絶された島である「階段島」に、数か月前から暮らしています。

 

この島に住む人たちは、自分たちが何故この島にたどり着いたのかを記憶していません。

ただ、島に来た時、「この島は、捨てられた人がたどり着く島である」ということ、「なくしたものを見つけないと島を出ることは出来ない」ということを伝えられます。

 

島の人口は2000人くらいですが、誰も「この島はなんなのか」ということを知りません。

ただ、山の上に向かって長い階段が伸びていて、その上には魔女が住んでいるという噂があって、しかし不自由ない生活を営める程度のインフラは整っていて、そんな島の中で案外七草は平穏に暮らしていました。

 

そんな七草の前に、一人の少女が現れます。少女の名前は真辺由宇(まなべゆう)。

彼女は、七草にとっては二年ぶりに再会する友人であって、七草と同じように島にたどり着いた経緯の記憶を失っていて、そして七草が「彼女にだけはこの島で会いたくない」と考えているただ一人の相手でした。

 

ここから、この「階段島」の物語は、七草と真辺の二人を中心にして語られることになります。

私が「階段島」シリーズを面白いと思った理由は、箇条書きで整理することが出来ます。こんな感じです。

 

・絶妙にお話のスケールをコントロールしつつ配置された謎と、その謎が一つ一つ解けていく時のカタルシス

・「これでもか」と言わんばかりの展開回収と、助詞の一つにも意味があるんじゃないかと思える程の言葉の使い方の丁寧さ

・真辺と七草を中心とした、一言では言い表せない関係性とそこを中核にしたキャラクターの魅力

・掘さんが可愛い(安達もわりと可愛い)(もちろん真辺も可愛い)

・階段島のまったりとした日常描写の楽しさ

 

以上です。順番に説明します。

 

まず一つ目、謎の配置と、それが解けていくカタルシスについて。

「階段島」シリーズの一つの特徴として、「お話のスケールコントロールがとても巧み」という点があげられると思っています。

 

階段島は「青春ミステリ」というジャンルを銘打たれておりまして、ミステリという名の通り様々な謎が出てくるんですが、まずはそれらの謎の「配置」の仕方がすごーく巧みなんですよ。

 

読者は、まず最初に、幾つかの大きな「謎」を提示されます。

階段島とは一体なんなのか。住人たちは何故、どうやって階段島に渡ってきたのか。何故その過程を覚えていないのか。七草や真辺は誰によって「捨てられた」のか、「なくしたもの」とは何なのか。

 

ただ、そういった大きな謎とは別に、場面場面でお話をけん引するのはもっと小さな「謎」だったりします。

たとえば、島の階段に落書きをしたのは誰なのか、とか。通販の荷物が届かなくなったのは何故か、とか。ミステリーというにはちょっと小粒な事件の数々。

 

大きな謎と小さな謎の同時並行多発発生。いわば中ボスの前に雑魚敵が配置されているようなもので、読者がものすごーーくスムーズにお話に入っていくことが出来るんですよね。

 

キャラクターたちの心の動き、会話や人間関係でも色々な「謎」が出てきます。

この人は、何故こういう態度をとっているんだろう?何故この言葉を発したんだろう?

 

主人公である七草が、とにかく一筋縄ではいかない思考法の持ち主で、読者にも思考の全てが開示されるわけではないので、一つ一つの台詞に滅茶苦茶考えさせられるんですよ。「こいつ、なんでこの場面でこんなこと言ってるんだ?」というのが、視点人物なのにいちいち気になる。

 

ミステリの醍醐味は、なんといっても「読者に考えさせる」ことだと思います。

気持ち良く考えさせてくれるミステリは、とても楽しい。その点、階段島の構造はミステリとして極めて良質です。

 

謎を提示されて、その謎が解けていく過程はもちろん気持ちいいものなのですが、この作品では色々な謎が絡み合って、お話の世界の中のルール上できちんと収束するように出来ています。

絡み合った謎が解けていく様子が、ジグソーパズル解答の高速再生を見ているようでとても爽快感があります。

 

それと表裏一体になっているのが、二つ目の展開回収の話。

この階段島シリーズって、何が凄いってとにかく「話の回収が丁寧」なんですよ。

 

階段島の文章中には、分かりやすい「謎」だけではなく、細かい疑問点、「ん?」と思ってしまうような引っかかりが、実際読んでみるとあちこちに散らばっています。

さらっと読んでいると読み飛ばしてしまいそうな、けれどよく読むとなんかおかしいぞという、ちょっとした違和感みたいな謎です。サイゼの間違い探しみたいなやつです。

 

そんな細かい疑問点も、実は色んなところでもっと大きな謎と繋がっていて、だいぶ後になって展開が回収されて「このことだったの!?」「それをここでやるの!?」とびっくりすることが再三あるんですよ。

これも、飽くまで作中世界のルールに基づいていたり、その人ならではの行動原理に基づいていたりで、ちゃんと根拠があって作中のストーリーに説得力を持たせている。

 

本当、注意深く読む程謎が出てくる、宝探しみたいな小説なんです。

うっかりすると助詞の一つにも何か意味があるんじゃないかと思えてきて、何度も何度も読み返したくなる。

丁寧に読めば読む程面白い、同時に自分も言葉を丁寧に使いたくなる、とても言葉を大事にした作品だと感じています。

 

そして、キャラクターの魅力と、その描写の魅力。

主人公である七草とヒロインである真辺は、本当に様々な意味で対照的なキャラクターです。

 

七草は基本的に悲観主義、どんなことでもさっさと自分の中で折り合いをつけてしまうタイプで、人当たりは良いし気遣いも出来るけれど、どこか他人との距離を保つようなところがあります。嘘もつくし相手を騙すこともあります。

 

一方の真辺はどこまでも真っすぐ、極端な程の理想主義者で、世界の全ての問題は話し合いで解決すると堅く信じています。自分が信じたことには一直線に突き進み、なに一つ諦めようとしません。

根は素直で他人思いだけど、言葉を飾ることは一切ありません。結果的に周囲から浮きがちな真辺が起こす様々な騒動に、けれど七草はどこまでも付き合い続けます。

 

こんな対照的な二人が、けれど色んな面でお互いを必要としていて、別に自分の気持ちを隠しているわけではないのにその会話は一直線ではなくって。この二人を中心に織りなされる人間模様が、このシリーズの一番の肝であることは間違いないでしょう。

ヒロインなのにある意味ではヒーローのような真辺と、主人公なのにある意味ではヒールのような七草、この二人の関係性描写はそれだけで一読の価値があると思います。

 

真辺のキャラクターは実に極端で、彼女の挙動は一種痛快でもあるし、一方「これは周囲から浮いてしまうのは仕方ないなあ」と思える側面ももちろんあります。

しかしそんな極端さにも理由があって、けれど底抜けに優しくって、七草と思い合っている部分もちゃんとある。真辺由宇というキャラクターが、この作品の重要なエッセンスの一つであることは間違いありません。

 

この二人だけではなく、周辺キャラクターもとてもとても魅力的なキャラばかりなんですよね。

その淵源は、やっぱりキャラクターそれぞれの「行動原理」がしっかりとしていて、それによって言葉や行動に納得感が出ていることだと思っています。

 

七草の友人ポジションである佐々岡、委員長ポジションの水谷、何故か仮面をつけた担任の先生であるトクメ先生、郵便局の時任さん。

皆、ありきたりではなくそれぞれの「ルール」みたいなものを保持していて、そのルールに基づいてお話を織りあげている。決して表面上だけの役割ではなく、物語上みんな「その人にしか出来ない」役割を持っている。

 

そんな中、七草のクラスメートである掘さんの可愛さはひとつ特筆すべき点であると考えます。

普段は殆ど喋らない無口な少女なのですが、週末ごとに七草に長い手紙を出す掘さん。彼女も幾つかの行動原理をもっている一人で、その一番の特徴は「言葉をとても大事にしている」という点。

 

彼女の在り方は、ある意味この作品自体を象徴しているようで、七草、真辺に次ぐ三人目の主人公・ヒロインと言ってしまって良いと思います。

掘さんの挙動、無口っこなのにいちいち小動物みたいで、案外感情も豊かで分かりやすいのが非常にかわいい。普段感情を見せないキャラの感情が溢れてしまうシーン好き過ぎる。

 

中盤で出てくる安達さんは、ヒール寄りというかライバルポジションみたいなキャラなのですが、彼女は彼女できちんとした行動原理があり、そこには共感できる理由もあって、非常に素敵なキャラクターに仕上がっています。

口では色々言いながら、なんだかんだで真辺や掘たちに付き合っているところもとても良い。

 

また、階段島で過ごす人々の、どこか寂しく、けれどまったりとした平穏な日常の描写も、この作品の魅力の一つです。

前述の佐々岡や委員長、寮のハルさんらがわちゃわちゃと生活している描写は、生活感と平穏さが絶妙にミックスされて、「自分もこの島で暮らしてみたい」と考えさせられるような部分があります。

 

海辺を散歩する七草と真辺の描写、商店や買い物、アルバイトのような日常生活、学校や寮での生活。そこには七草たち以外のたくさんの人たちが生活していて、それぞれ楽しんだり悲しんだりしている。

この辺も実に読んでいて楽しくて、モブキャラにもそれぞれちゃんと味わいがあるんですよ。クリスマスパーティの展開好き過ぎる。

 

あまり関係ないんですが、階段島にはゲームセンターもあって、二巻のとある場面で佐々岡がゲームでの対戦をする場面があります。

そのゲームがどう見ても某ひらがな四文字の落ち物パズルで、しかもその解像度がやたら高く、対戦の駆け引きどころか潰しや凝視(※ガチ対戦で出てくるゲーム用語)の話まで出てきていて、こんな細かい対戦描写よく書くなーと感心してしまいました。

 

他にも作中ちょこちょこゲームの話は出てきていて、その編の細かい描写が階段島の日常描写の豊かさに寄与している部分もあると思います。

作者の河野裕さんはグループSNE所属でゲーム制作もされているので、ゲームにお詳しいのは当然とは思いますが、同じゲーム好きとして読んでいて楽しい限りなわけです。佐々岡がポリアンナ聴いてるところ好き。

 

***

 

随分長い文章になってしまいました。

 

最初の方で書いた通り、「階段島」シリーズを私におススメしてくれたのは私の長男です。

彼は、表紙をぱっと見した印象と最初の数ページで「この本面白そう」と判断したらしく、コンテンツを見る目が鋭いなーと感心しきりである一方、それを父親である私にお勧めしてくれるというのも、私としては非常に嬉しいポイントです。

 

以前も書いたことがありますが、「子どもが自分に楽しいコンテンツを共有してくれる」というのは、子どもたちが小さなころから私が思い描いていた夢の形の一つでもあります。

今後も、子どもたちから「この本面白いよ!」とおススメしてもらえるような親であり続けたいなあ、と、そんな風に考えています。

 

「コンテンツを共有する楽しさ」について改めて考えたこと、そして「ぐりとぐら」で第四の壁を越えた話

 

私はシンプルな頭をしているのでシンプルなハッピーエンドが好きな一方、階段島シリーズがどんな終わり方を迎えるのかについてはなかなか、それ程シンプルな終わり方はないだろうなーという予想もあり、冒頭書いたエンディング恐怖症をなかなか克服できずにいるのですが、これが掲載される頃には最終巻のページをめくっているかも知れません。

心してコンテンツを味わいたいなーと考える次第なのです。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

Photo:Tomohiro Nishimurai