「日本で一番高い山は富士山だが、じゃあ2番目は?」
この慣用句はよく2番目以降は無名であり、1番にならないと意味が無いという事を説明するのに使われる。
ちなみに日本で2番目に高い山は山梨県にある北岳で、3番目に高い山は山梨と静岡にまたがって存在する間の岳である。
この2つは驚くべき事に山頂同士が峰から峰で繋がっており、縦走する事ができる。つまり…気合をいれれば日本で2番目に高い山と3番目に高い山はセットで制覇可能なのである。
「2年前は富士山に登ったし、ここいらで2番と3番も登ってみるかな」
ふとそう思い、日帰りピストンを企画して実行した。
毎日12キロ走ってるし、気合を入れればなんとかなるだろうと思ったのだ。まあ最初に書いておくが、目論見は失敗したのだが…
というわけで今回は反省の念も込めて、北岳・間ノ岳登山の感想と学びを書いていこうかと思う。
前泊すれば6:30から登れる
北岳に登るには広河原という登山道に行く必要がある。広河原へは自家用車ではたどり着けず、バスやタクシーを用いて行く必要がある。
ハイシーズン期間は甲府駅4:30頃からバスが出ており、これに乗れば6:30頃から北岳登山を開始する事が可能だ。残念ながら4:30に甲府駅に始発電車を乗り継いで到達するのは無理なので、このルートを用いたい人は甲府駅付近での前泊が求められる。
甲府駅に向かう帰りの終バス時刻は16:40なので、日帰りを目論むのならだいたい10時間以内に行って来いをやる必要がある。
もちろんそんな事は普通の人には厳しいので、山小屋に宿泊したりテントを張ったりして複数日を跨いでのチャレンジも可能である。
北岳はさすが日本で2番目に高いだけあって険しい道が続くのだが、森林限界を超えた先にある世界はこのように見事なものである。
富士山がほぼ火山灰のみの登山道が続く事と比較すると、北岳の登山は珍しい高山植物もみられたりして、楽しい。
こんな感じで補給を織り交ぜつつスタスタと歩みを進めていき、10:40頃には北岳山頂に辿り着く事ができた。
この時点で上りのコースタイムは4時間だったので、残りは6時間である。
思っていたよりも余裕でここまでこれてしまったなというのが正直な感想であった。体力もまだまだあるし、全然いけるやろという事で、そのまま間ノ岳を目指して突き進む事にした。
稜線は見た目はキレイだけど、歩くと大変
峰と峰を結び道の事を稜線という。よくレンタカーなんかで山をみると、山と山って意外と繋がってるなーなんて思ったものだが、そこを歩くことができるのに妙にウキウキしてしまった。
途中で幸運にもライチョウの親子に出会う事ができた。すまんな、おっちゃん君の友人をよくフレンチで食っちまうんだ。
実はこの時点で思っている以上に時間が押していたのだが、つい「もうちょっとで2位と3位を制覇できるんだ!」と諦められない下心が働いてしまい、引き返すチャンスを失っていた。
そうして13:00頃に間ノ岳の山頂にたどり着いた。
残り時間は3時間40分。ここまでの消費時間は6時間20分ほどだ。まあ下りだし、気合い入れていけばギリギリ大丈夫じゃろうと思っていたのだが、残念ながらこの見通しは甘かった。
下りで大腿四頭筋が崩壊する
よく山登りでは上りよりも下りの方が筋疲労が激しいと言われているが、ぶっちゃけた事をいうとこの時点ではそれが何を本当に意味するのかがわからなかった。
「まあ振動は凄いのかもしれないけど、重力使えるし下りって楽じゃんね」
そう思いガンガン進んでいったのだが、途中で驚くぐらいに踏ん張りがきかなくなり、大腿の前面部分にある四頭筋が見事に売り切れた。というかこれを書いている今も痛い。3000メートル峰の下りマジやべぇ…フルマラソン以上や…
こうなると、もう全然スピードが出せない。
ああ、よく登山家がストックを持ってきてるのは、この大腿四頭筋の売り切れを先延ばしにできるからなのかという事に、ようやく気がつく有様である。
こうしてルート途中にある山小屋付近で100%日帰りが不可能だという事が確定してしまったので、16:30頃にルート途中にあった山小屋で宿泊をお願いした。
ありがたい事に快く受け入れて頂き、そうして僕の日帰りピストン計画は見事に頓挫した。負けたという気持ちで一杯であった。
悔いを残せない人間は、全部もっていかれる
結局、そこから更に1時間30分ほど帰路に必要だったので、僕の見込みは90分ぐらい足りてなかった。
間の岳の山頂を目指すのを途中で辞めてれば帰宅できたのに…と、最初はただただ悔しかったのだが、ふと
「ってかちゃんと無事に怪我なくここまでこれたし、たまたま山小屋が途中にあって空きもあったし、僕ってメチャクチャ運がいいんじゃないか…?」
と思い直し、急にアドレナリンの酔いから醒めて自分が相当に無茶な事をやっていたなとゾッとした。
四頭筋が崩壊するような高速ペースで降りていたのだから、崖から転落していても全然おかしくなかったし…
結局、この日は興奮していたのと大腿四頭筋がバッキバキになっていたという事もあって全く寝れなかった。
そして布団の中で途中でアドレナリンの勢いにまかせて無茶をするんじゃなくて、冷静に数歩手前で諦める決断ができなかった自分の弱さがジワジワと滲みた。
「考えてみると今までも自分って、こうやって”無理を通して道理を蹴っ飛ばす”みたいなのがカッコいいっていう思いがあったよな…」
「けど、本当にちゃんとした大人をやるんなら、こういうゴリ押しスタイルばっかで何でも解決ってするんじゃなくて、やりきれない思いだとか中途半端なところで途中停止する事もキチンとおぼえないといけないよな…」
そう反省し、布団から出て夜空を眺めに行き、その事の大切さを教えてくれた南アルプスの雄大さを星空の中で感じ入った。
そしてゆっくりと休み、自分の幸運と帰る場所がある事のありがたさを脚の痛みと共に実感し、帰宅した。想定とは全く異なる展開となったが、とても濃密で素晴らしい時間であった。
本当の自分はどこにいる?
最近はあまり流行ってはいないように思うが、かつて自分探しの旅というものがもてはやされていた時期があった。
あてどなく世界一周をしたり、東南アジアを格安で渡り歩いたり等、とりあえず日常生活から少し距離を取ってみるのが、この試みの狙いだと自分は理解している。
それに対して「本当の自分は”眼の前”にいるのに、いったい何を探しに旅に行くんだ?胸に手を当てて、自分に向き合えばいいのに」と、まるで幸せの青い鳥の結末のような事を返していた人がいた。
この幸せの青い鳥理論を聞いた時、僕も「そうだよなぁ。自分って目の前に24時間いるもんなぁ」と思ったのだが、じゃあ実際に自分が自分自身にキチンと向き合えていたかと言うと微妙である。
確かに…自分は目の前にいる。しかしだからといって自分の事を理解できるというわけではない。というか本当にそんな事ができるのなら、占い師に誰も自分の運命など述べてもらおうだなんて思わないだろうし、メンタルがヘラる事など無いはずである。
人間は同じ刺激には耐えられない
一体何で私達は目の前にいるはずの自分に向き合えないのか?それは日常がどこか麻痺的な感覚を身体にもたらすからである。
代わり映えのしない平穏な日々は確かに牧歌的で素晴らしいものなのだが、残念な事に私達は似たような刺激をうけ続けていると感覚が麻痺してしまう。
最高に素晴らしい連載作品がのりまくっている少年ジャンプであろうが、数回の連続読破には耐えられても、100回の連続読破は苦行である。
このように人間はどんなに素晴らしいものであっても、同じ刺激の連続となると苦になる。だから目の前に自分がいるにもかかわらず、それが”読めない”のだ。
自分探しの旅は案外ただしいのかもしれない
この輪廻から解脱するのに最も手っ取り早いのが、刺激と環境を変える事だ。
例えばフルマラソンを完走したら、100%それまでの人生では経験したことがないタイプの刺激が心にも身体にも刺さる。
山に登ったり海にダイブしたりすれば、日常生活からはかけ離れた性質の刺激が目と皮膚に突き刺さる。
そうして既知の刺激から遠ざかり、未知の刺激を身体に与える事で、人間は多角的にモノを考える事ができるようになる。
だから自分探しの旅は案外正しいのだ。自分をちゃんとよく見るためには、角度を変える必要があるのだから。もっとも、ちゃんと日常に帰ってくるのが前提ではあるけれど。
困難を乗り越える価値
「道を知っている事と、実際に歩く事はちがう」
これは映画マトリックスでメンター役のモーフィアスが、 救世主になろうと修行中の主人公ネオに語りかける言葉だ。
現代社会はとにかく情報過多で、ちょっとググれば何でも調べがついてしまう。
このような状況が故か、私達はどこか汗をかく事を小馬鹿にし、苦労を買ってくる事をコスパが悪いと忌避しているように思う。
僕も例に漏れず、これまでの人生はどこか安楽椅子探偵のような、机に座って口先だけで全てを処理し、わかっている風を醸し出すのが最高だと思っていた部分がある。
しかし改めてこの歳になって思うのだが、苦労というのはほぼ100%未知に繋がっている。
例えば結婚して子育てをやった事がある人はわかると思うのだが、あれはお金では絶対に買えないタイプの価値がある。フルマラソンや失敗登山もそうで、単純に「はいはいサンクコスト、サンクコスト」と割り切ってしまうのは、あまりにも勿体ない。
人間はよく分からない事と負ける事を極端に嫌がる傾向がある。しかし…この逆であるよく分かっている事と楽勝な事は、自分自身を全く成長させてはくれない。
人間の価値が成長にのみあるだなんて思わないが、それでも無成長な日々しかないというのも大変にシンドい。
観念的には「何からでも姿勢さえただしければ学ぶ事はできる」のだが、実際には恐ろしかったりクソミソに負ける場所を夢中になって必至でくぐり抜けたりしてた方が、怠惰な日々よりも生き生きとし始めるというのも、また事実である。
失敗や負け、打ちひしがれた心と身体、そういうものを愛する事ができるようになった時、人生はもうちょっと別の風景を私達にみせてくれる。
困難を純粋悪と見做さず、敗戦を無かった事にせず、それらをキチンと噛み締める。
困難にもちゃんとメリットとデメリットがある。そうやって、世の中の多面性を愛でられるようになれば、ちょっとはこのクソッタレな世の中も好きになれるというものだ。
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【著者プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
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noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます
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