色々と話題になっているので映画バービーをみてきた。

 

感想だが、普通にビックリする位に面白かった。

自分は男性だが、途中で2回もガチ泣きしてしまい、当初の想定とは全く異なる形でこの映画を楽しめた。

 

知らない人も多いだろうから映画バービーのあらすじを簡単に書くと、この映画はバービーランドという理想上の世界で生きるバービー(女)とケン(男)が、フェミニズムや男性社会をモチーフにアレコレと慌ただしい展開を辿る作品だ。

 

そのテーマ性から、この映画はフェミニストやアンチフェミニストが喧々諤々の議論を繰り広げる作品となっており、一部の界隈では話題沸騰となっている。

 

ぶっちゃけ…もうこの時点で9割の人は「あっ…そういうの別にいいんで…」となるように思うのだが、個人的にはフェミニズム等に興味がない人でも十分すぎる位にこの傑作を楽しめると思う。

というか絶対に見た方がいい。なぜなら人生の真理が描かれているからだ。

 

というわけで今回は僕が映画バービーをどのように読み取っていったのかを書いていこうかと思う。

 

新しい思想は常にラディカルである

映画バービーは冒頭から凄い。

なんとバービー人形を手渡された幼女達が、それまで可愛がっていた赤ちゃん人形をぶっ壊しまくるシーンからスタートするのである。

 

この映画によると赤ちゃん人形を用いてオママゴトごっこで楽しく遊んでいた幼女達は、バービー人形の登場をキッカケにモデルのように美しい女性像を模倣する事に関心が移ったのだという。

そうして赤ちゃん人形はダサい存在へと二軍落ちとなり、バービー人形が幼女の遊びの首座を勝ち取ったんだそうだ。

 

この歴史的事実を書くにあたって幼女が赤ちゃん人形をぶっ壊すシーンを入れる必要はない。というかこんなにも暴力的なシーンをポリコレ社会である今の世の中で挿入するのは、それなりに気合が必要だったはずだ。

 

それにも関わらず何故こんなエグいシーンを入れたのか。

それはこのシーンが「新しい思想は常に古い思想を徹底的に、暴力的な程に駆逐する」という重要なメッセージを伝えたいからだ。

 

ジェンダーとはある種の思想でもある

冒頭でも書いたが、映画バービーはフェミニズムやマッチョイズムといった男女のジェンダーについてを描いた作品だ。

 

ジェンダーは生物学的な性であるセックスではなく社会的に生み出されたとされる性の事であり、人々はそれをドレスコードのように用いてその身に魅力をまとう。

 

バービー人形は姿形は普通に可愛いお人形さんではあるが、実際には非常にメッセージ性の強い存在だ。

美しい女性とは何かという理念を象徴するバービーの姿は、幼い女の子に”女性としての美しさ”が大変に素晴らしく、また社会的な尊敬を集める存在であるというメッセージを流布させた存在として、作中では表現されている。

 

1人の人間として見られなかったケン

そんなバービー人形の世界で、パートナー役として描かれているのがケンだ。

ケンはあくまでバービー人形の世界においては、バービーの引き立て役でしかない。主役は常にバービーであり、ケンは存在は許されるものの、決して主体性や個人としての主体性のようなものはバービーランドでは許されてはいない。

 

彼は作中で自身のその卑屈な立場に鬱屈とした思いを持ちつつも、それでいてそれを打開する術を見いだせない。

 

そんな彼が、あるキッカケを元にバービーと現実世界を訪れる事になり、そこで男性が尊敬される存在として立ち振る舞う事が可能だという”ラディカルな思想”を学ぶ。

 

ケンはそのラディカルな思想を手に、再びバービーランドへと戻り、バービーランドをケンダムとして男性中心社会として再編するのだが、ここでも”新しい思想は常に古い思想を徹底的に駆逐する様”が描かれている。

 

真剣勝負しないと、人間は時にコミュニケーションが取れない

結局、このケンの目論見は現実世界に再び戻ったバービーにより転覆され、バービーランドは再び女性社会へと元通りに戻る。

ここで重要なのが、なぜバービーはケンと腰を据えて話し合うのではなく、ケンとキチンと選挙という手段を通じてバトったかである。

 

昨今のポリコレ感覚からすれば、争いごとは常に避けるべきであり、まずは徹底した話し合いによる平和的な解決が”良いもの”として描かれていたとしても全く不思議ではない。

 

それなのになぜ勝ち負けをちゃんとつけたのか?それは拳を交えて戦わなかったら、理解できない境地というのが確かにあるからだ。

 

資本主義と共産主義がガチンコでバトったから、今がある

いったん男女論から軸足を移してみよう。

例えば現実世界では、ちょっと前に資本主義と共産主義という二つの理念がゴリゴリのバトルを繰り広げていた。

 

結果については皆さんご存知の通り資本主義の圧勝で共産主義は自壊してしまったわけだけど、ここで非常に重要なのが、この資本主義と共産主義の大喧嘩によって資本主義社会がとてつもない発展を遂げ、かつその問題性をキチンと顧みる機会を持てたという事だ。

 

そもそも…共産主義というのは理念だけでいえば非常によく出来た産物だ。

中央政府が方程式のように美しく末端をコントロールすれば、格差のない平和で効率のよい豊かな社会が築けるという、天高く掲げた理想が燦々と輝いていたからこそ、人々は共産主義に熱中したのだ。

 

また、共産主義が指摘する資本主義の問題点についてはキチンと学べば大変に耳に痛い部分を指摘したものだというのも事実である。

 

トマ・ピケティがずっと後になってr>gと、投資の方が汗水垂らして働くよりメチャクチャ簡単に儲かるぜと指摘して界隈が一時期ざわついていたが、これにしたってロジックだけでいえば共産主義はずっと昔から指摘していた。

 

そう…共産主義は結果だけみれば大馬鹿者の思想なのだけど、少なくとも「人間が頭で考えて理念を構築し、理想郷を語る」という点においては非常によく出来た体系だった思想なのだ。

 

よくできた美しい物語は、現実世界では必ずどこかで破綻する

しかしこれがまた面白いところで、このような人間が頭の中だけで考えた”よく出来た”物語というのは、現実社会で実際に実現してみようとしてみると…まったく上手くいかない。

みなさんも過去に一度ぐらいは試験勉強の計画や旅行の計画を企ててみて、それが思ったとおりには全然いかなかったという経験があるはずだ。

 

計画は綿密に綿密にたてればたてるほどに破綻しやすい。

いや、実際には上手く行かないというのなら実際にはまだマシな方で、共産主義やらカルト宗教のように、人間が頭の中で生み出したよく出来た美しい物語は実際にやると地獄をこの世に簡単に生み出してしまう。

 

実はそれはフェミニズムやマッチョイズムにしたって同じ話だ。

インターネットをみればよくわかるが、フェミニズムは一部の女性を救いはしたかもしれないが、その代わりに大量のワガママ娘を生み出した。

マッチョイズムも勝ち組男性には無限の恩恵を与えたかもしれないが、その代わりに多くの惨敗兵を生み出した。

 

とはいえ思想はこの世に美しいものもキチンと生み出す

このように…よく出来た思想というのは常に美しいものと地獄の二つをセットでこの世に生み出す傾向がある。

しかしここで大変に重要なのが、その過程で生じた美しいものというのは過去には存在し得なかったほどに素晴らしいものであるというのも、また事実だという事だ。

 

作中でバービーはフェミニズムを50年は後退させたと指摘するシーンがあるが、バービーのようなモデルが存在した事で、女性が美しい存在へと加速するスピードは間違いなく高まっただろう。

現にスーパーモデルという存在は賛否両論はあれど”美しい”のは間違いない。

 

マッチョイズムもそうだ。男社会は男にとってだってメチャクチャに息苦しい世界だが、それがあるが故に僕らはこうやってハイテクを駆使して豊かな社会を享受できている。

スティーブ・ジョブスやイーロン・マスクに対しても賛否両論はあるだろうが、彼らがiPhoneやらテスラを始めとする素晴らしい産物を生み出してこの世をワクワクするものにしてくれているというのも、また事実なのである。

 

競争は進化を望むのなら避けられない戦である

しかしこの素晴らしいものが成立するにあたって、絶対に避けられない点が一つだけある。それが競争だ。

 

トップモデルが美しいのは彼女らが厳しい競争社会で揉まれたからだし、ジョブスやマスクが凄いのは、彼らがライバルと切磋琢磨し続けてきたからだ。

少なくとも平和な話し合いの果てに彼・彼女らは居ない。ちゃんと真剣に戦って、その上で勝ったからこそ、彼・彼女らは尊いのだ。

 

そういう意味では、そもそも平和で争いごとなど無かったバービーランドにおいて、ちゃんと戦って勝つという概念がインストールされているというだけでも、ちゃんとバービー人形たちは真剣に何かを学んだのだ。

 

もし仮にそれまでの常識だけでしか物事が考えられなかったのだとしたら、ケン達と話し合って平和的に物事を解決しようとして、結果的に世の中を何も変えられずに負けた事だろう。

 

そうではなく、敵を真剣に分析し、キチンと相手の土俵に立った上で正々堂々と勝負を挑み、その上で勝ちを収めたからこそ、純粋なる肉弾戦なら絶対に負けないケン達はバービー達に「負けた」事を認めたのだ。

 

敗北は人間社会においては、必ずしも悪い事ではない

そしてその負けは決して悪いものでもなかったのだ。そもそも…かつてのバービーランドには、バービーとケンとの間に”コミュニケーション”は存在していなかった。

しかし最後の最後にはキチンと魂と魂がぶつかりあった結果として、お互いを人間として認めあえるようになれている。

 

少年漫画だと、よく川辺で拳を交えた結果、主人公とライバルがお互いを認め合うだなんてシーンが描かれてたりするものだけど、実際問題として真剣勝負というのは上辺だけの会話以上にコミュニケーションが加速するという事は本当によくある話である。

 

思想と思想の戦いはとても残虐で暴力的だ。しかし真剣にぶつかりあわなかったら絶対に理解できない境地というのは、確かにこの世に存在する。

相手を対等な存在として認めたのなら…策を練って試行錯誤し、正々堂々と戦った相手から何も学ばないだなんて事は絶対に無い。

 

この戦いはバービーにとってもケンにとっても必要なものだったのだ。現実社会に生きる私達も、軋轢を生み出すことを恐れずに、キチンと大切な人と衝突しあう必要があるのだ。

 

ラストシーンは恐らく処女懐妊のメタファー

有識者が指摘する通り、この映画はキリスト教の影響を色濃くうけた作品である。

バービーランドは間違いなくエデンの園であり、バービーは知恵の実を食べてしまったが故に、楽園を追放された。

そのことから読み解くに、恐らくラストシーンは聖母マリアによる処女懐妊のメタファーであろう。では問題は、この懐妊が何を示すかである。

 

作中でも描かれている通り、バービーは股間がツルペタであり、かつケンによるラブロマンスの可能性を思いっきり否定している。

その事を踏まえて考えると、恐らくバービーの身に宿されたのは新しい生命体ではない。では何が宿ったのか?それは恐らく思想だ。

 

そもそも表題ともなったバービーは単なる人形ではない。最初は単に売れることを見込んだお人形だったのかもしれないが、結果的には新しいイデオロギーとしてこの世に流布したものだ。

人間は様々なものをこの世に生み出す事ができる。子供ももちろんその一つであるし、テクノロジーや資産といったものも勿論そうだ。

 

しかし人間がこの世に生み出せるモノ中でも最も凄いものは間違いなく思想だ。本作のモチーフとなったキリスト教は勿論として、他にもこの世に生み出されて後世に強い影響を及ぼしたイデオロギーは多数ある。

 

か弱き思想は子供以上に手をかけてあげなければ、育たない

しかし思想というのは育てるのが非常に難しいものであるというのも、また事実だ。

例えば宗教は信者が居なければ、どんなにロジックが優れていようが成立しないし、ガリレオの地動説にしたって、どんなに理屈の上でも正しかろうが、実際にそれを世の中で汎用化させられるというものではない。

 

ラストシーンでバービーは、それまで見下されていた黒人の少女から大変に尊敬される存在であるという事が示されている。

なぜ彼女が尊敬される存在となったのかというと、恐らくバービーは育むべき新しい思想の萌芽を掴み、そしてそれを産み育てる事を決心したからである。

 

その身に宿された尊い思想を産み育てる為の第一歩を歩みだした彼女の姿は、聖母でありつつも、まるでキリスト教を後世にまで伝えたイエスのようでもある。

 

恐らく…彼女は真の意味で受肉を果たしたのであろう。神という、美しい理念をその胎内に宿して。

生まれ育った思想はラディカルであるが、生まれたての瞬間は誠にか弱いものである。それを現世に受肉させられるか否かは、啓示を受けたもの次第である。

 

きっと今後、バービーはゴルゴダの丘で処刑されたキリストと同じような受難の道を歩むのだろう。その行く末がどうなるのか。とても興味深い話ではないか。

 

 

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【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

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