過去にわたしが在籍していたコンサルティング会社では、マネジャーになると、部下の「評価」の仕事が与えられた。

成果と働きぶりを見て、その人の翌年の仕事、そしてそれに基づく給与や役職を決める仕事だ。

 

が、「評価」は、控えめに言っても、とても嫌な仕事だった。

 

というのも、「高い評価」の人が存在すれば、必ず「低い評価」の人が存在する。

その「低い評価」の人に、低評価を告げるのが、とにかく大変だったからだ。

 

 

我々の部署では、評価に誤差を生じにくいように、できるだけ「客観的な数値」をもとにした評価をしていた。

 

例えば

・コンサルティングを担当した社数と金額

・クロスセルの件数

・クライアントから回収したアンケートの回収率/評価

・社内提案施策の採用された件数

・社内で行われる知識確認テストの成績

・勉強会で獲得した評価

といった項目だ。

 

こうした「数値」をもとに、総合的な評価点が計算され、昇給などが決められていた。

この評価方法は、恣意的な要素が少なく、ほぼ「数値通り」の評価になる。

 

最終的な評価の確定は「社長/役員/直属の上司」が行っていたが、他によほどの不祥事を起こさない限りは、点数=評価 と思って間違いはなかった。

 

 

しかし、これほど客観的、透明化されている評価であっても、「低評価の人」の多くは不満を持った。

 

例えば、

・いい仕事が回されない

・クロスセルのしにくい客だった

・クライアントがアンケートを返してくれない

・ペーパーテストで評価がきまるのはおかしい

・勉強会の日程調整が難しかった

 

といった、評価項目そのものへの不満などが聞こえてきた。

要は、低評価は自分のせいではなく、お客さんや会社のせいなので、「理不尽である」という訴えだ。

 

しかし逆に、「できる人」はそういう事態を見越したうえで、自分から環境を変える。

 

いい仕事が回ってくるように、社内営業をし、

過去客を回ってでもクロスセルを行い、

アンケートはプロジェクト開始時から念を押し、

ペーパーテストは必要だと割り切り、

何か月も前から日程を押さえておく。

 

だから「低評価」に、あまり情状酌量の余地はなく、単純に彼らの能力、あるいは行動量の不足としか言いようがない結果だった。

 

 

だが、繰り返しになるが、「低評価」を告げるのは、上で述べたように「イヤな仕事」だった。

あなたの評価はこのくらいで、昇給に必要な成果を満たせていません、だから昇給無しです、と告げると、中にはいい大人なのに、我を忘れて怒ったり、涙ぐむ人もいる。

 

しかし、そもそも、評価基準と数値が公開されているから、かなり前から、評価はほぼ分かっていたはずだ。

 

高評価と昇給を勝ち取りたいなら、行動すればいいし、その方法は誰にでも公開されている。

だから低評価は「自業自得」としか言いようがない。

 

だから、期末はいつも、心が重かった。

 

 

その評価が近づいたある日、わたしは上司に

「評価を告げる仕事は重いですよね……」

と、こぼしてしまった。

「低評価は、あらかじめわかっているはずなのに、なんで怒ったり泣いたりするのですかね」と。

 

すると、上司は言った。

「低評価をもらうと、その人たちは、「人間の価値」と「働きぶりの評価」を混同してしまうんですよ」

 

どういうことですか、と聞くと、彼は言った。

「仕事で低評価をもらうと、お前の存在価値はない、と言われたように感じる人が多いんですよ。本当はこの1年間、たいして成果を出せなかった、と言われているだけなんですが。」

 

なるほど、と思った。

低評価をもらったときの、あの感情の昂ぶりかたは、存在を否定されたように感じていた、ということなのだ。

 

上司は続けて言った。

「だから、評価を告げる前にできるだけ「あなたの人間性とは関係ないですよ、あくまで仕事の評価に過ぎないですよ」と告げておいた方がいいと思います。」

 

 

それ以来、私は

「あくまでも、この評価は直近1年の、仕事の成果に関するもので、あなたの人間性や、考え方を否定するものではないです

と前置きしてから、低評価を告げるようにした。

 

すると面白いことに、中には反応が大きく変わる人がいたのだ。

 

反省し、素直にアドバイスを求める人も出てくるようになった。

評価がやりやすくなり、面談もポジティブなものが増えた。

 

わたしは、上司の人間に対する本質的な洞察には、驚かざるを得なかった。

 

 

「仕事の評価」と「人間としての価値」は別。

当たり前のことなのだが、それを告げるのと、告げないのとでは、大きく人間の反応は異なる。

 

仕事ができないからといって、彼らへの配慮が必要なくなるわけではない。

最低限のプライドが維持できるよう、言葉遣いに気を配るのも上司の役割、ということなのだろう。

 

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

安達裕哉

元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。

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