長めのうつ

月に一度の通院をして会社に戻る途中のことだった。おれはあまり行かないコンビニでコーヒーを飲むことにした。

おれは病院と薬局に行くと、なにか嫌だということもないのに、不思議と力を吸い取られたようになってしまう。そこでコンビニのコーヒーくらいの贅沢は自分に許す。

 

レジにいたのは小柄な外国人女性だった。名札にはミャーミャーだかモーモーだか、そんな名前が書かれていた。これは彼女の本名なのだろうか、ちかごろ流行りのコンビニ従業員用ニックネームだろうか。それとも、彼女自身のニックネームなのだろうか。

 

「サイズは?」

「Lで」

 

「L」と書かれたカップを手渡された。おれはスマートフォンで「L」の金を払った。コーヒーマシンで、「L」のボタンを押した。しばらく待って注ぎ終わった。

おれはおどろいた。コーヒーのカップのふちぎりぎりまで注がれていたからだ。こぼれそうじゃないか。

 

おれは「L」用のふたをはめてこぼれないようにした。が、ふたのサイズが合わない。ふたが大きい。というか、カップが小さいのだ。

これは、「M」サイズのカップなんじゃないのか。でも、もうコーヒーは注がれてしまった。今からやりなおしもないだろう。

おれはその場で熱いコーヒーを一口、二口すすって、合わないふたを乗せて、こぼさないようにゆっくりゆっくり会社へ歩いた。

 

20万円でも人は死ぬ

 

おれはいろいろな心労が溜まって、自分としては長くて重い抑うつに陥った。

一方で、零細企業のつらいところもあって、社員の一人が入院してしまい、なんとか出社しなければいけない状態が続いていた。

 

もう体力はなにも残っておらず、土日などは部屋で昼過ぎに起きて競馬をする以外なにもできない。

ただ、土曜の夜にコンビニに東スポを買いに行くだけだった。土日で同じことが繰り返され、その土日がさらに繰り返された。

 

平日はもう朝なんとか起きて、夕方はヨロヨロになって帰宅した。そんなのが続く。

 

インプットがなくなる

インプットがなくなった。夜は疲れて早く眠ってしまうので、まず深夜アニメが見られなくなった。

毎シーズンごとに5、6本、有名なものから個人的に好もしく思う「クソアニメ」まで見た。この習慣は10年以上続いていた。

 

が、それがぷつんと切れた。まったくアニメが見られなくなった。見る気も起こらなかった。自分の生活のなかから、まったくアニメというものが消えてしまったようだった。

 

不思議な感覚だ。放送がなくなったとか、テレビが壊れたとか、そんなきっかけがあったわけでもない。すべてはおれの側にある。

 

本も読めなくなった。読む気が起こらなくなった。インプットというものがなくなった。

こうなるとどうなるか。アウトプットがなくなる。この場合、インプットの内容とアウトプットの内容が対応しているわけではない。アニメを見て、アニメの感想を書く、というものではない。全般的に、入ってくるものがなくなると、出てくるものもなくなるのだ。

 

だから、「アニメなんか見ても得るものはないよ」とか、そういう話ではないのだ。得るものもあるだろうし、得るものがないのかもしれない。

どっちでもいいのだが、なんであれ入ってくるものがなくなる。そうすると、出るものがなくなる。「garbage in, garbage out」なんて言葉もあるが、それでもなにかアウトプットできるだけマシだ。

 

人間、なにか入れていないとだめになる。もちろん、おれのアウトプットといってもたいしたものじゃない。

ブログが書けない。こちらに寄稿する原稿が書けない。さらにはXでつぶやくことすらできなくなった。完全にできないわけじゃあないけれど、その数は減った。

 

「だからなんだ?」と言われたらそれまでだ。だが、おれは長くなにかネットに放流し続けてきた人間だ。だれが見るわけでもなく、やってきた。それが、できなくなる。

 

おれにとっては、少し悲しいことだ。ただ、強烈に悲しむこともなく、淡々と受け入れているようでもある。

 

身体を動かさない

おれはちょこざっぷの会員だ。ちょこざっぷに通っていた。

ちょこざっぷで運動する習慣がついてから、抑うつで寝込むことが少なくなってる……ような気がする

 

この、ちょこざっぷにも行かなくなった。行けなくなった。行く気が消失した。

毎日のように重い足を引きずって帰るその帰り道、とてもじゃないが寄る気がない。土日は動けない。

 

一回絶たれると、絶たれてしまうものはある。行けなくなるから、行かなくなる。行かなくなるから、行けなくなる。

おれは小学生のころにちょっと登校拒否のようになったことがあるのだが、それに似ている。そう感じる。

 

ただ、おれは左手の手首も痛めている。そういうこともある。仕事で使うPCが代わって、指使いがおかしくなって、それが手首に移った。

これではマシンも使えないだろう。そんなことも、おれをちょこざっぷから遠ざけている。言い訳ではある。

 

ちょこざっぷに行かなくなって、少しずつだが体重も増えてきている。おれは毎日体重を測る。ほかにろくに運動もしていない。

そして、中年は太るものだ。自然に太る。おれは20年以上ほとんど体型が変わっていないが、いよいよ来るべきものが来たのかもしれない。

 

おれはおれの体重が増えて、体型が変わるのはいやだ。いやだが、ちょこざっぷに行くことができない。散歩すらあまりできない。

 

カロリーのあるものに目が行くようになる

人は金がなくなると、安くてカロリーのあるものを食べる。運動しなくなったおれは、さらにこれを言いたい。

 

「なに、そんなの常識だろう。アメリカの貧困層は安いジャンクフードばかり食べているから肥満が多いとはよく聞く話だ」と言われるかもしれない。

 

だが、ちょっと待ってほしい、そういうことじゃないんだ。身体が自然にカロリーを求めるのだ。

これは、昔、やはり会社の状態が悪くて金がなくなったときにもなった。覚えのある習性だ。

 

具体的にいえば、昼食のコンビニで惣菜パンなどに目が行ってしまう。惣菜パンのカロリーは高い。弁当もカロリー高いが、値段も高い。それが、120円くらいですごいカロリーだ。そういうものに、思わず手が伸びる。カロリーたくさんだ。

 

平常時の自分は、できるだけサラダ(という名前のキャベツの千切り)から昼食を構築しようとする。

まず野菜ありきだ。野菜を食べないと大変なことになる。睡眠と運動と瞑想も大切だ。まず食べるのは野菜だ。

 

以前、こんな話を聞いたことがある。「スーパーなどでなにか食べたいと目についたら、その食材の栄養分を身体が求めているのだ」と。魚が食べたいと思ったら、魚に含まれているなにか。肉なら肉に含まれているなにか、果物なら果物に含まれているなにか。

 

もっとも、おれは毎晩同じものを食べるという習性(もちろん野菜中心だ)があるので、あまりそういう気持ちにならないように自分を調律してはいる。

 

「食べたいと思ったものは、身体が求めているもの」。根拠のある話ではない。ただ、人間もものを食べて進化してきた生き物だし、そういう直感が働いてもおかしくないかもしれない。

 

まあしかし、たとえば氷を食べるのは鉄分が足りないなどという話はある。

 

氷食症というらしい。これは機序がわかった話ではないが、マウスの実験でも再現されているので、なにかあるのだろう。

ちなみに氷をガリガリ噛んで食べるのは、歯にものすごくよくないらしい。おれはアイスコーヒーなどの氷をガリガリ噛んて食べてしまうタイプだ。行儀も良くないし、いつか歯が欠けてしまうかもしれない。そして鉄分も足りていないのかもしれない。

 

鉄分の話はどうでもいい。カロリーの話だった。ひょっとしたら、おれは単にカロリーが足りていないだけかもしれない。

 

おれはこのところ毎晩湯豆腐を食べている。その前は毎晩冷しゃぶサラダを食べていた。

そのサラダが厳しくなった。胃が生野菜を受け付けなくなった。生のキャベツがチクチク胃を傷めるようになった。

生野菜はチクチクと痛い。消化は遅い。どうすればいいのか。人類には火がある。火を使ってものを食べてきた。やはり野菜は茹でるに限る。豆腐もやさしい。

 

ただ、おれは夜に炭水化物を食べると、これも胃の調子が悪くなる。だから食べない。

朝はまったくなにも食べない。夜に摂取するカロリーが少なすぎるのかもしれない。どうしていいかはわからない。わからないまま、寝る前に飲む栄養ドリンクなどを飲んでいる。少しは効果があるような気もする。

 

あなたもきっとなるだろう

なにかおれがとりとめのない話をしていると思う人もいるだろう。その人は正しい。おれはこのテキストを書くのに何日もかかっている。何日もかかって、いま書けるだけのことを書いている。インプットがないからアウトプットもない。体力もないし、頭の調子も悪い。もとから悪い頭の調子がもっと悪くなっている。それが全体的な抑うつだ。

 

とはいえ、短期的な躁状態がないわけでもない。先日は、会社の運転資金が底をつくというので、二十万円出した。

前のことがあってから、投資信託を売却して、現金を作っていたのでそれができた。そうしたとき、おれはどうだったか。

暗く沈んでいたか? どうも違う。金を出したあとさらにうつになったのか。それも違う。

 

むしろ、なにかいい買い物をしたあとのようにすがすがしい気分になった。ウキウキといっていいかもしれない。

これは完全にいかれている。いかれているからおれは躁うつ病(双極性障害)なのだし、手帳も持っている。

 

もし、あなたにこんな変なウキウキがあったら、躁うつ病を疑ってもいいかもしれない。単極性の躁病というのはないことになっている。

とはいえ、このあたりの判断は非常に微妙なので、とにかく医者にかかってください。精神科にかかれない? かかりたくない? そう言われてしまうと、おれにはなにも言えない。

 

躁状態はちょっと特殊だ。だが、抑うつはどうだろうか。これは誰もがなりうる。うつ病(大うつ病性障害)を「心の風邪」というのにおれは反対だが、「抑うつ状態」なら「心の風邪」といってよい場合もあるだろう。

 

なにかあったら、あなたもなるだろう。そのとき、おれがだらだらと書いてきた、そんな状態になるかもしれない。参考にしてほしい。

 

だがしかし、おれは処方箋を書いていないので参考にならないかもしれない。「風邪」であるなら時間が経てば治るものかもしれない。精神活動も、肉体的な健康習慣も戻るかもしれない。

でも、そうではなかったら? やはり医者に行けとしか言いようがない。しかし、医者に行ったところでどうにかなるとも言えない。おれは主治医に「薬ではどうにもならなくてごめんね」と言われている。

 

人はうつ病にもなるだろうし、躁うつ病にもなる。いろいろな病気や障害がある。そうでなくても抑うつ状態になる。

そのとき、どこまで自分のことを客観的に見られるだろうか。それはよく見たほうがいい。そのときのために備えておいたほうがいい。おれが言いたいのはそれだけだ。

 

あと、最初に書いたコンビニコーヒーの話だけれど、「L」って「LAWSON」の「L」だったのかもしれない。

そろそろ次の通院日だ。もう一度「L」を頼むべきだろうか、「M」を頼んでみるべきだろうか。おれの悩みは尽きない。

 

 

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【著者プロフィール】

黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by :Steve Johnson