過去に生きる情けない人間の話です

昔話を書く。よかったころの話だ。「よかったことが少しでもあってよかったな」と、自慢のように受け取る人もいるだろう。

結局のところ単なる自虐か、という人もいるだろう。でも、一番多いのは「中年になっても子供時代の話しかできない、情けない人間だ」というものだろう。

 

おれだって、こんなことはだれかに聞かせたい話じゃない。結局、空虚に人生を終えるであろうつまらない人間のひとりごとだ。

 

さて、それはなにか。それは「おれは他人に『なにものかになれるのでは?』と思わせてきた人生だったな」ということだ。

なにも、大きなエピソードはない。自分の頭の中から消えない小さな記憶の粒を取り出して並べてみるだけだ。

 

なぜかプロになれそうにみえる子供

おれはちょっとなにかすると、「将来プロになれそうだな」と言われることが多かった。みんな言われているかもしれないが、みんながどうかしらない。

ちょっと絵を描けば「イラストレーターになれそう」と言われ、麻雀をすれば「プロ雀士になりそう」と言われた。

 

おれの絵がうまかったのか? 麻雀が強かったのか?

そんなことはなかった。ド下手ではなかったろうが、少し上手か少し下手くらいのものだった。ただ、雰囲気でそう言われた。

 

一番おかしかったのは、音楽の授業で楽器を手に持ってみる、ということがあったときのこと。

おれはギターを持っただけで、「すごく上手そう」と言われたことだ。おれはといえば、小学校のころから楽譜も読めず、リズム感もなく、ギターなんて触ったこともなかった。ただ、見た目でそう言われた。

 

そんなことを言われて、まあ悪い気はしない。しない一方で、「なんで言われるの」と、当時から感じていた。

たとえばおれが背の高い眉目秀麗の好男子であれば、「見た目がいいからか」と納得できたかもしれないが、おれはとりわけ特徴のない学年一番のメガネかけたチビにすぎなかったのだ。

 

空疎で無駄な自信だけはついた

まあしかし、「悪い気はしない」から「ひょっとしておれ、将来なにものかになれるのでは?」みたいな気持ちが芽生えたのは否定できない。

なんかわからんが、おれにはなにかがあるらしい。何に適性があるのかわからないが、何かの分野でやっていけるんじゃないのか。そういう漠然とした希望を抱いた。それを希望というのかしらない。

 

というわけで、おれはとくになにもしなかった。「まあ、なにものかになれるだろう」という余裕からだ。

さて、それでどうなる。なにもしないでときが過ぎるだけだ。「なにものか」に向かって勉強することも、努力することもできるはずがない。だって、なんだかわからないのだもの。

たとえば、手段や分野を問わず、「お金持ちになってやろう」というほうが、まだましだ。どうやったらお金を稼げるのか、自分に向いたお金の稼ぎ方とはなにかと考えることができる。

 

だが、「まあ、なんとかなるだろう」では、なんにもならんのだ。いま、これを読んでいる若い人がいるとは思えないが、もしもいるのだとしたら、嘘でも仮でも偽物でもいいから、なんらかの「目標」を定めておくべきだ。興味なんてなくたっていいが、たとえば「将来は植物に関わる仕事をしよう」とか決めてしまえ。

 

もしも本当のなにかが見つからなかったら、しかたなくそれを選べばいいし、なにかが見つかったらさくっと消してしまえばいい。

なにもないのだけは最悪だ。あ、若い人じゃなくても、子供とかいたら適当に(あくまで適当にですよ)、将来の夢くらいは聞いて、なかったら適当に授けてやってもいんじゃないでしょうか。本気はだめです。夢を押し付けるのはよくないことになりがちです。たぶん。

 

「魂を入れ換えろ」と言われたことは二度あった

とにかくおれは、なにもしない、怠惰な青春時代を送ってきた。青春と呼べたかどうかもわからない。中高男子校で恋愛らしい恋愛もなく、部活も帰宅部を早々に選び、学校帰りにゲーセンに寄るばかりであった。

 

そんなある日の放課後、友人たち(おれには友人がいる時期もあうあるが、やがて一人になるということを繰り返してきた)とだべっていた。五、六人くらいだったろうか。校舎と校庭の境目みたいなところに腰掛けていた。内容はといえば、たぶんくだらない話である。男子中学生というのはくだらない話かスケベな話しかしない。

 

そこに、老齢の国語教師がやってきた。小柄なその人は河東碧梧桐の弟子だと言っていた。

授業中、雑談になると、戦時中、街なかでグラマンの機銃掃射を受けたことをよく話した。赤い顔をしたパイロットの顔を確かに見た、と言っていた。

 

まあいい、その先生がつかつかとやってきた。べつに自分たちは校則違反もなにもしていないので、なんだろうと思っていると、一直線におれの前に来るではないか。

そして、ほかのだれにも目をくれず、「魂を入れ換えろ!」と言った。言って、去っていった。あれは、なんだったんだろう。

 

今でもあの光景は記憶に残っている。だが、いきなりなんの説明もなく「魂を入れ換えろ」と言われて、入れ換わる魂がありますか? ポカーンとするばかりだった。

なぜ、おれだけ? みたいに思うばかりだった。よく思えば、おれだけにはなにか見どころがあったのかもしれない。

 

しかしまあ、おれは変わらなかった。

 

そして、もう一つ忘れられないことがある。大学に入ってすぐくらいだったろうか、おれは上りの東海道線に乗っていた。

車内に、一人でブツブツなにかつぶやいているおばさん、あるいは老人がいた。日本語ではないように聞こえた。車内のだれもが無視していた。おれも無視していた。

 

が、その人がまたおれの前につかつかと歩いてきて、いきなりこういったのだ。「ちゃんと勉強しなさいね。フランス語の勉強しなさいね。勉強しなきゃだめですよ」、と。

 

おれはビビった。話しかけられたことではなく、おれが第二外国語でフランス語を選んでいたからだ。「え、なんでわかったの? 魔女?」みたいに思えた。白っぽい服装だったが、そんな印象もあった。

おれはなにも言い返すことができず圧倒された。そのあと、おれが電車を先に降りたのか、彼女がどこかに去ったのかも覚えていない。

 

この二つの、どうにも説明しにくい、なにかありそうで、なんにもないような気のするエピソード。目的もなければ、根拠もない自信だけは少しあった自分、「摩訶不思議なことがあるくらい、おれにはなにかあるのでは?」と思う理由にしてしまった。

 

その後おれはフランス語の活用を覚えるのが嫌になったこともあって、大学を中退した。

 

文章を褒められる

おれがいままでなにかになれそうと言われたなかで、一番多かったのは文章だ。

 

最初に見知らぬ人から文章をほめられたのは、小学校の文集だった。よく書けたものだけが印刷されて冊子になった。

そのなかに、おれの作文が入っていた。内容はよく覚えている。朝起きてから、学校に着くまでのことを書いた。遠足や運動会の話ではない。日常のエッセーだ。いや、おれは小学生のころから東海林さだおを読んでいたので、コラムといったほうがいいかもしれない。そんなつもりで書いた。

 

これを、友人宅にいたとき、そこのお母さんから褒められたのだ。「黄金頭ちゃんは、本当に大人の人みたいな文章を書くのね」と。

いや、うれしかったな。いや、おれが作文で褒められるのは当たり前だろうくらいに思っていたかもしれない。それでも気になったのは、起床時刻を一時間間違えていたという、書き出しの書き間違いだったのだが(それでよく内容が破綻しなかったな)。

 

話はだいぶ飛んで、大学一年生のころになる。英文学の授業でレポートが課された。かなりの分量だったと思う。おれは途中で「このレポートはセントレジャーのように長い」というような閑話を入れた。文字数を稼ぎたかったのもある。

そこを、年配の教授に授業で「おもしろかった」と褒められた。さすが英文学の教授ならイギリスクラシック三冠の最長距離レースのことも知っている。というか、場違いに偏差値の高い大学に入ってみて、そこで褒められたのもうれしいことではあった。

 

文章が褒められる。これについては、「単にギターを持って構えてみただけ」とは違う。一応、実体がある。見知らぬ人から霊言を授けられたのとも違う。

 

ということで、おれは文章についてだけはちょっとだけ空疎ではない自信を持った。すごい。そもそも早生まれのチビで人間関係も大の苦手で友だちもなかなかできず、できても喧嘩別れしたり、そのあといじめられたりして、卑屈さと劣等感ばかり抱いてきたのだが、文章ならちょっとやれるんじゃないかと思った。

 

で、ちょっとやりはじめたのがブログだが、これがもう二十年近くになる。長いこと誰にも読まれていなかったが、少し読まれるようになった。ちらほら文章を褒めてくれる人が出てくるようになった。

 

そして、ふとAmazonの「ほしいものリスト」を公開してみたら、酒や食料品や電気ポットやピアスが贈られてきた。いろんなものをたくさんお恵みいただいた。すごかったのは、新幹線とホテルのチケットが送られてきて、一人旅してください、というものだった。

いや、順番なんてつけられない。八十代の読者もいる。おれの書くものと、写真を褒めていただいた。住所もご存知なので、クリスマスカードや年賀状をおくっていただいている。おれも年賀状をおくる。ブログってすごい。

 

しかし、一番奇妙なのは、「同人誌を出してもらった」ことだろうか。同人誌は自分で作るものではないのか。それを、ブログのなかのエントリーのチョイスから、編集、DTP、印刷入稿、イベントでの販売まで、すべてやってもらったのである。こんなことって、あるだろうか?

 

もちろん、ここにこうして自分の文章が掲載されている(いや、掲載されるかどうかは現時点でわからないけれど)ということも、一つの事実だ。

「ビジネスについてなんて書けません」と一回お断りしたのだが、なんかそれでいいということになって、こんなことを書いている。

 

おれは書くことが好きだ。

そんなおれがたまに言われるのが「小説家になればいいのに」だ。

 

Fake it till you make it.

というわけで、いよいよおれの「なにもの」かが見えたような気になった。おれにもなにか書ける。いや、小説を書くのだ、と。そう心に決めたのが去年のことだった。

 

結果、一文字も書けなかった

 

なぜ書けなかったかは、上の記事に書いてあるはずだ。まあとにかく、あかんかった。

 

だが、去年の話だ。今年はちょっと違うかもしれない。……と、言いつつ一文字も小説を書いていない。

そもそも、一ヶ月の半分くらいの半日をベッドの上で固まって過ごす人間には無理だろ、とも言いたくなる。それでも午後から会社に行って全休していないのはえらいが。

 

しかしなんだろうか、最近またチャールズ・ブコウスキーの本を読んだ。書簡集だ。

 

ブコウスキーとおれにはいくつか共通点がある。くそったれな少年時代を送り、競馬好き、酒好き、女好き、そして書くことが好きだ。そして、そうでありながら、貧乏ぐらしをしながらも、勤め人をわりと長くつづけた。おれもわりと長く働いている。

そして、ブコウスキーが売れはじめたのは四十代半ば以降だ。

 

あらためてそれを思うと、おれもまだ遅くないんじゃないのかと思えてくる。

酒にはいつも救われた。今もそうだ。それに、正直に言って、わたしは書くことが好きで好きでたまらなかった! タイプライターを打つ音。タイプライターがその音だけ立ててくれればいいと思うことがある。そして手元には酒がある、スコッチと一緒にビール、マシーンのそばには。そしてさっきまで吸っていた葉巻の吸い差しを見つけると、酔っ払ったまま火をつけて鼻先をやけどする。

わたしは作家になろうと必死で努力していたわけではなく、ただ自分がご機嫌になれることをやっていただけの話なのだ。

必死で努力していたわけではなく、だ。

ブコウスキーの墓碑には「Don’t try」と刻まれている。

 

ただ、自分が好きなこと、狂えるくらいに好きなことをつづけていたら、人生の半ば名誉と金が入ってくるようになった。もちろん、ブコウスキーはそのあとも、死ぬまで書きつづけた。

 

おれも、まだ、キーボードの音を聴くのは嫌いじゃない。まだ、遅くない。ブコウスキーはこうも書いている。

何もかもいちばんうまくいくのは、何を書くのが書き手が決めるのではなく、書かれることが書き手を選ぶ時だ。

この精神だ。「書かれること」が向こうからやってきて、おれを選ぶ。そのとき、おれはセリーヌが『夜の果てへの旅』を書いたように、ヴェネディクト・エロフェーエフが『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』を書いたように、一発打てるかもしれない。そのためには、打席に入りつづけて、来るボール、来るボールを打ち返していく必要がある。いま、こうしている瞬間も……。

 

などと、おれはいま必死に「こいつ、なにものかになれるのでは?」と思わせたくて仕方がない。そこまで落ちぶれている。子供のころに褒められた記憶を再現したいと思っている。この歳になって情けない。

 

でも、期待されるのは嫌だが、期待されないのはもっと嫌だ。でも、世間の目はおれが思っている以上に鋭い。おれの底なんてとうに見透かされている。

けれど、Fake it till you make it. だ。十人、いや五人くらいの人間、あるいは一人でもいい。「こいつにはなにかあるかも」と思わせておきたい。おれが死ぬまでの間でも。でも、もしおれがフェイクじゃなくなったら単勝万馬券だ。百円くらい買っておいても損じゃないだろ?

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

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