※おれはおれを「アルコール依存症」だと自己規定しており、セルフチェック(AUDITなど)でも十分そのようだとわかっていますが、医師の診断を受けたわけではないので「多量飲酒者」としました。それは客観的な事実だからです。あと、「末路」というのは単に好きな言葉です。
でかいペットボトルの焼酎を買わなくなった人間の末路
おれは以前、「でかいペットボトルの焼酎を買う人間の末路」という記事を書いた。
スコッチや本格焼酎を飲んでいた人間が、いつしか安くて味もへったくれもない甲類焼酎に手を出してしまった、という話である。
その末路がなんなのか、というか、もうその時点で末路ではないかと思われてしまった。
しかし、その後おれは甲類焼酎が飲めなくなった。アルコールくささのようなものが気になって仕方なくなったのだ。
結局どうなったかといえば、飲みやすいすっきりした本格焼酎を見つけ、それを飲むようになった。むろん、スコッチもジンもラムもウオッカも飲む。度数の高い酒をゴクゴク飲むのはかわらなかった。家で、一人で。
して、この前、「自分はギャンブル依存症ではないか」ということで、依存症、嗜癖(アディクション)に関する本を読んだ(https://blog.tinect.jp/?p=83423)。
この本で最初にとりあげられていたのは「アルコール」である。
おれはあらためて「自分はアルコール依存症だよな」と思った。思いながら、この本で参考文献としてあげられていたこんな本を読んだりもした。
『人はなぜ依存症になるのか 自己治療としてのアディクション』、これである。
人はなぜ依存症になるのか?
訳者の松本俊彦医師によれば、「人はいかなる快感にもすぐに倦んでしまう生き物」だという。
それなのに、なぜある人は依存症になってしまうのか。やめられないのか。
薬物の性質だから、だけでは説明がつかない。習慣的な使用者のすべての人が依存症にはなるわけでもない。
そこでこの本が提唱するのが「自己治療仮説」というもの。どんな説なのかは本書を読むなり、ネットを検索するなりして調べてください。
で、この説のなかで面白いなと思ったのは、物質がもたらす快感、いい気分だけでなく、物質がもたらす苦痛、自己破壊も依存症を成立させている場合がある、という話だった。
「ドクター、俺たちは、薬物を使用するのは、自分が安堵感を求めているからだと思い込んでるけど、実際は違うよね。安堵は10%、90%は悲惨さだよ」。
薬物依存症のグループ治療で、ある参加者が言った言葉である。臨床の現場において、こういうことを言うやつは少なくないらしい。どういうことなのか。
薬物使用を試み、その効果を自らの身体を通じて体験した依存症を抱える人は、薬物が安堵をもたらしてくれるだけでなく、感情をあいまいにし、自らを混乱させることで、逆説的にセルフコントロールを実現できることに気がつくはずである。つまり、彼らは、薬物の効果によって現在における苦痛の状態を緩和するだけでなく、あいまいで混乱した感情体験を受動的なものから能動的なものへと変えることができる。依存症を抱える人は、これまで受動的に体験してきた苦痛や不快、あるいは空虚感などが混ざり合ったものを、薬物使用と使用後のさまざま影響がもたらす無痛状態や安堵感、さらに不快や苦痛などの混ぜ合わさったものへと積極的に変えているのである。
受動的な苦痛や不快を能動的なものにする。それも自己治療に含まれる。
彼らは、自分には理解できない不快感を、自分がよく理解している薬物が引き起こす不快感へと置き換え、それによって、コントロールできない苦悩をコントロールできる苦悩へと変えている。
ここがおもしろい。依存症をかかえる人間は「深刻な感情的苦痛に苛まれている」というのが本書の中心であり、前提だ。
その感情的苦痛、わけのわからない、受動的な、どうしようもないような苦悩を緩和するだけでなく、コントロールできる苦悩にあえて置き換える。置き換えようとする。そこに自己治療があり、依存症を形成する一因があるとする。
して、おれは「深刻な感情的苦痛に苛まれている」のだろうか。
答えはイエスとしか言いようがない。子供の頃から生きにくく、学校にもあまり馴染めず、友人関係も長続きせず、いじめられもした。家庭でも父親は精神的に不安定な人間で、やがて経済的にも崩壊して一家離散した。おれは大学を中退してひきこもりをやっていたくらいであって、その後の人生も地を這うようだ。
双極性障害というコントロールできない不快
さらに三十代になって追い打ちをかけてきたのが双極性障害(躁うつ病)、これである。この本にもこのような記述がある。
双極性障害は、物質依存症の併存率が最も高い精神障害である。当然ながら、物質使用障害は、双極性障害のなかでも、特に不機嫌躁病[訳注:dysphoric mania.焦燥感と気分不快が病像の前景に立つ、一種の躁うつ混合状態]のような難治性の臨床亜型との関連が強い。また、双極性障害を併存する物質使用障害患者は、双極性障害の症状が物質使用の理由になっていることが少なくない。最近の研究では45名の物質使用障害が併存する双極性障害患者のうち、42名がうつ気分(77.8%)や焦燥感(57.8%)をはじめとする双極性障害の症状への対処として、物質使用を始めたことが明らかにされている。さらに注目すべき知見は、患者の大半(66.7%)が物質使用によって双極性障害の症状が改善したと感じている、という事実である。
ああ、なんてことだ、おれにはそれがよくわかる。おれがうつ状態でないときには「不機嫌躁病」的な不安、怒り、緊張が多く出る。
でも、それよりだ、「うつ気分」をどうにかしたいがために酒を飲むんだ。わかるだろうか。わかる人にはわかると思うが、まあわからない人のほうが多いだろうか。
どうにもならない倦怠感、嘘みたいに動いてくれない身体。よくない状態で仕事をして、ぐったりして家に帰って、さて晩ごはんを作ろうにも気力がわかない。身体が動かない。
そんなとき、なにを飲む? そんな状態をぶち上げてくれる処方薬なんてものはない。あったら双極性障害なんて解決したも同じだ。じゃあなんだ?
アルコールだ。アルコールがガソリンになって、精神のエンジンを駆動してくれる。そんな気持ちになる。そして実際、アルコールによって、おれは動く。料理もできる。頭の回転もよくなる。飲めば飲むほど頭は冴えわたって、意識がはっきりしてくる……「と感じている、事実である」。
実際のところ、おれにはもうかなりの耐性というものがあって、多量飲酒(純アルコールにして60g)なんて、まったくなんてことはない。気つけ薬みたいなものだ。
多量飲酒をしていても、前後不覚になったり、気を失うように寝てしまうこともない。ちゃんと歯を磨いて、薬を飲み、マウスピースを装着して、ベッドで寝る。それができるし、そうしている。
おれはおれのなかで酒と折り合いがついている、と感じている。
減酒宣言
しかしおれは、先日自分のブログにおいて「減酒宣言」をした。
なぜか?
一定のところまで飲んで酔ってしまったあと、さらに飲んでも酒が減るだけ、そしておれの身体を害すばかりということになる。これはなんだ、損じゃないのか。おもしろくない
とか書いてある。ちょこざっぷに通い、ちょこっと肉体改造を始めたことなどが書いてある。
が、正直なところ、自分でもよくわからない。それが本音。
依存症関係の本を読んでいるうちに、なんとなくそんな気になった、というのが正しいかもしれない。
いずれにせよ、おれは減酒することにした。
一日60グラム以上が多量飲酒とされる。おれの精神科の主治医はいつも「20グラム」という。厚労省の定めた「節度ある適度な飲酒量」の目安らしい。そんなもの、スコッチや焼酎だとどのくらいの量だ?
まずそれを計るのが面倒だし、たぶんほんのわずかだ。まだ酒の入った瓶を目の前にして、そんな少量で止められるだろうか? 飲むのだってあっという間だろう。どうにも減酒にアルコール度数の高い酒は向いていないようだ。
そこで、おれはアルコール度数3%の350ml缶を一本だけ飲む、ということした。
具体的には「ほろよい」という……なんだこれは、チューハイ? カクテル? ともかく、そういうものを飲むことにした。
純アルコールにして……暗算ができねえ、ええと、10.5グラムだ。節度ある飲酒量の半分くらいだ。さらに言えば、おれが60グラム飲んでいるなら1/6、100グラム飲んでいるなら1/10になる。すごい減酒率。
でも、350mlだけではやはり時間が潰せないのでは? ということもあるだろう。
そこで併用するのが炭酸水だ。おれはもとから炭酸水をよく飲むが、そこには水を飲むのとは違うある種の魅力がある。シュワシュワしているじゃあないか。ビールと一緒だ。これを飲むことによって、飲酒気分を継続させようというのである。かしこい。
で、3%で酔えるのかというと、これが意外なことに酔えるのだ。本当に意外なことだった。
たとえば普通のビールなどあまり強くない酒を一本飲んでも、その後二本目、あるいは別の強い酒とすぐに飲んでしまうのでわからなかったが、耐性のついた人間でも酔えるのだな。
もちろん、そんなに強いものでもない。というか、むしろ、変な話だが、多量飲酒時に比べて、頭が妙にぼやっとして、動けなくなる感じすらある。
そして、スマホでネットを見る時間が増えた。飲酒の時間がネット閲覧にそのまま置き換わったというか、見始めたらやめられないという、べつの依存が起こっているようでもある。
あまり生産的ともいえないが、まあ飲酒よりはマシだろう。「害の小さい依存に置き換える」ってやつだ。
とはいえ、毎日3%ではない。チートデイというには多すぎるかもしれないが、翌日が休日の夜は今までどおりやらせてもらう。
それでもまあ、週に5日減酒するのだから、全体で……計算の仕方がわからねえ。まあ、減るのは確かだ。というか、毎日の酒の量を減らした結果、早くも強い酒に少しだけ弱くなっているのを感じる。気のせいかもしれないが。
……というわけで、以上のような自分への「レッテル貼り」をブログでたかだかと宣言した。宣言したところ、公開しているAmazonの「ほしいものリスト」から、ノンアルコールビール(0.7%なので炭酸飲料扱い)と「ほろよい」と炭酸水のケースが贈られてきた。ありがたい。どうもおれの読者はおれの減酒を支持してくれているようだ。
……と、思ったら、ネプモイ(40度。ベトナムのスピリッツ。お米由来の甘い香りが大好き)とスコッチも贈られてきたので、飲んでパワーアップしてほしいという意見もあるようだ。もちろん、ありがたくいただいて、休日前に飲む。
それで、本当に減酒できているの?して、今のところ減酒には失敗していない。証拠などないが、自分のなかで証拠のつもりにしているのは、Xにいちいち「今日の3%」と缶の写真をアップすることだ。
これを始めた。これもレッテル貼りの一種といえるだろうか。ともかく、人目に晒すこと。なんか効果ありそう。
いずれにせよ、平日(金曜を含み日曜を除くので厳密には平日じゃないけど)に一缶というルールを踏み外していない。ノンアルコールの日すらある。一度これと決めて初めてしまえば、どうにかなるんじゃないのか、という気がする。
そもそもおれには強迫性障害的なところがあって(最初に精神科に行ったときはそう診断された)、たとえば毎日同じものを作って食べるとか、絶対に歯磨きだけは欠かさないとか、一度習慣化してしまうと、そこから抜け出にくいタイプの人間なのだ。
よい習慣ならよいが、悪い習慣ならわるい。今回の減酒は、とても悪い習慣を少しだけ悪い習慣に置き換えようという試みということになる。
そんなことで依存症的な習慣をやめられるのだろうか。これはおれが勝手に始めたことであって、べつに精神科医と相談した方法でもない。報告はしたけれど。
ともかく、強迫性障害的な部分でもって、依存症的な部分を制圧する。そういう心づもりである。
というか、考えてみたら、おれは今まで「酒をやめよう」とか「減らそう」と思ったことがなかった。
「飲み過ぎかもしれない」という意識はあったが、べつにだったらなんだ、くらいの話であって、アクセルを踏みつづけてきた。ブレーキを踏んでみたのはこれが初めてだ。だから、過去の失敗という経験もない。未知の領域に踏み込んだということだ。
しかし、成功談はある。禁煙だ。おれはおもに食後にタバコを吸うことを習慣にしていたが、吸わなくなって10年以上になる。
もうちょっと長いかもしれない。厳密には、「好きな銘柄がなくなって、さらに価格が高くなって買えなくなった」というのが正しいが、まあニコチン依存からは脱することができた。
しかしなんだ、強迫的な部分でいえば、自分に「タバコを吸ったあとにアルコールを絶対に飲まない」ということを課して、守っていたっけ。そのころはあまり飲んでもいなかったが、どこかで「タバコの悪い成分をアルコールが胃の中に流し込む効果がある」というようなことを読んで、それは気持ち悪いと思ったからだ。
その当時でさえ、どこのだれが言っていたことかわかっていなかったが、そのイメージだけで、その習慣はしっかり守っていた。しかし、そもそも害のある喫煙自体をやめようと思わなかったので道理には合わない。
なぜ断酒ではないのか?
「そもそも飲酒自体をやめようと思わないのか?」、という声も聞こえてきそうだ。というか、自分の心の中から聞こえてくる。
しかし、それはちょっと難しい。ちょっとアルコールなしには、生来抱えている不安と精神的苦痛、そして双極性障害という病に抗って生きるのは難しい。難しいと感じている。
それに、長年に渡る多量飲酒を習慣にしてきた者、まあ、めんどくさいからアルコール依存症って言っちゃおう、アルコール依存症の人間が断酒するのは難しい。
それは依存症の本を何冊か読んできて感じたことである。「酒はやめた! 金輪際飲まない!」とかいって、未開封のアードベッグを流しに捨てるとか(もったいない!)、そんな極端なことをすると、反動があるんじゃないかと思うのだ。これもおれの勝手な想像だ。
というか、おれはまだ「底つき体験」というものをしたことがないし(べつにそれがアルコール依存症の回復に必須なわけでもないけれど)、AAとかで12ステップですよ、とか、相互扶助ですよ、とか、そういうのも苦手だ。
アノニマスであっても、知らない人と関わりたくない。自分一人でなんとかしたい。
それよりも、とりあえず簡単そうな「減らす」ところから始めたほうがいいのではないか、と。
飲むより飲まないほうがいいのは確かだが、たくさん飲むより少なく飲むほうが少しだけいいのも確かだろう。
と、むろん、これも依存症の人間の言い訳だ。本気でやめる気ならシアナマイドを処方してもらうはずだ。しかし、こんな言い訳をして、「とりあえず減酒で」としてしまう。それだけアルコールは精神を蝕む。そして、精神障害は人生を台無しにする。その証拠の一つがおれだ、と言おう。
というわけで、これが行き着く先がどんなものなのかは、おれにもわからない。ただ、おれが生きていて、ネットに接続できる環境にあるかぎり、おれはなにか書いているだろうし、書かずにはおられないので、経過も結果も観察できることと思う。
むろん、そう書くのも「誰かに見られている」という自分への意識づけにほかならない。
ではまた、「減酒に失敗したアルコール依存症の末路」という記事で会いましょう。
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【著者プロフィール】
著者名:黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
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