モブの人生

先日、はてな匿名ダイアリーでこんな話を読んだ。もちろん、匿名ダイアリーなので、これを書いたのが女子中学生という可能性もある。

中年になってモブ人生が確定してマジでつらい

結婚しているやつはいいわな。パートナーと楽しく生きろよ。
子供いるやつもいいわな。子育ての醍醐味を味わって生きろよ。
仕事で自己実現できているやつもいいわな。その調子でスキルアップしなさいな。
で、この三つがどれもできていないおっさんはどうやって生きていけばいいわけ?
生まれてからずーっと、人に言われたことだけやって、我慢料として安い給料を渡されてさ。
誰かを稼がせるためにロボットのように働いて、動けなくなったらポイでしょ。
七時ごろに仕事が終わって、飯食って、酒飲んで、寝る。誰かを稼がせるためにそれを繰り返す。
自己実現できていない会社員って置き換え可能なbotでしかないわなぁ。むなしくなる。

後半では「生産的な趣味」を持つことについてなども語られていて、いろいろの人の人生観などを刺激したのか、かなり注目された記事であった。

 

しかし、言っちゃ悪いが、ありがちな人生のむなしさが語られている。

そして、ありがちということは、人間の、というか少なくない中年独身男性に共通する、簡単には解決できないむなしさでもある。

 

おれもあらためて、自分の人生、生活、すなわちライフに思いをはせてしまった。そんなたいそうなことじゃないか。でも、タイトルの「モブ人生」というところが、なんともなにか、それだよな、と思わせるものがあった。

「モブ人生」があるのなら、逆に「主人公の人生」もあるはずだろう。それってなんだろう?

 

そんなことを考えたおれは、この記事に対してこんなメモを残した。

生きてきて、周りの誰かに「この人は主人公だなー!」って思ったことあるか? おれはない。幸いなことだ。

しばらく経っても、まだちょっとこのことについて考えている。 おれ自身はどうなのか? そもそも本当にそうなのか?

 

自分の人生の主人公

あるロックバンドが「自分が自分の世界の主人公ではないなら、大人のふりをするな」というようなことを歌っていた。不死身のエレキマン。

おれが初めて聴いたときは、まだ若かった。大人の年齢ではなかった。だんだん歳を重ねるにつれ、曲の聴こえ方が変わってきた。

そう、それこそ「モブ人生」のような話を見ると、「自分は自分の世界の主人公だろうか?」と、頭に曲が流れるようになってきたのだ。

「瑞巌彦和尚、毎日自ら主人公と喚び、復た自ら応諾す。」とか読んでも流れてくる。

 

要するにおれも自分が「主人公」かどうかにとらわれていた。

「いた」。過去形か? 過去形なのだろうか。過去形にしてしまってもいいような自分もいる。言い切れない。

 

おれはいま四十代半ばだ。では、四十代に入ったときどうだったか。三十代の半ばではどうだったか。少し前を思い返すに、まだなにか煮えているものがあった。そう思う。

二十代のころはどうだったか。そのころは本当に貧困のレベルだったので、目の前の生活に精一杯ということもあった。

ただ、二十代、それも前半となると、煮込みはまだ早かった。ねたみ、そねみ、ひがみの薄暗い炎をで焼いていたと思う。煮込みが似合うのは中年以降だ。若やつは焼いて食え。

 

ニート時代の衝撃

またさらに遡って、まだ実家があって、大学中退したニートとして、ぬくぬくとゲームと競馬三昧の日々を送っていたころのことを思い出そう。あのことを思い出そう。

あれはなんだ、二十何時間テレビだ。おれはニートで暇人なので、ボケーっとそれを見ていた。エンディングを見ていた。そうしたら、恒例の新人アナウンサーによるスポンサー企業の読み上げになった。そこに現れた一人のアナウンサーに目が釘付けになった。おれの短い大学時代、同じサークルにいたやつだ。

 

かたや、親の金で競馬ばかりしているニート。かたや、花形の就職先であるキー局の新人アナウンサー。テレビのこっち側と、あっち側。

これは衝撃だった。世の中にはいろんな人間がいて、いろんなニートがいると思う。

おれは「へー、あいつアナウンサーになったのか」と流せるタイプのニートではなかった。なにか、ひどく悪い夢を見せられている気がした。人生についた圧倒的な大差。イクイノックスでも差しきれない。いや、その頃はイクイノックスじゃなくて……とか、そんなのはいい。

あ、そのころ、テレビのアナウンサーなんてのは、本当に花形の成功者、って感じだったから。今でもそうだろうが、今よりすごかった。

 

まあ、おれの心は乱れに乱れた。やばい、やばすぎる。そう思った。

そう思ったおれはどうしたか? チャンネルを変えた。その後、テレビでそいつが映るたびにチャンネルを変えた。なぜかわからないが、その後、あまりテレビに出なくなったのは幸いだった。

 

そうだ、おれはべつに一念発起することもなく、チャンネルを変えて、逃げた。そのころは明確な言葉にできなかったが、自分は自分の人生を生きていないなってのがあって、あいつはちゃんと生きていて、成功しているんだって思った。そういうことだ。

しかも、あれだ、こんなことを言うのもなんだが、大学のときは、自分のほうが賢いのではないか、くらいに思っていたのだ。人生の敗者の戯言だと思ってくれていい。

 

……あー、でも、こうやって、しっかり思い返せるし、文章なんかにしていると、嫌な汗が出てくる。

トラウマとは言い過ぎだが、まだなんか残っている。そして、いま現在かれがどういう地位でどういう仕事をしているのかしらないが、零細企業勤めで安月給、隙間風吹くボロパートで独り酒を飲むおれとはさらにそうとうな差がついていることだろう。

あれ、やっぱりまだおれ、さっき過去形って書いたけど、違ったかな。

 

テレビの向こうの主人公たち

最初のほうのおれのメモに戻ろう。

生きてきて、周りの誰かに「この人は主人公だなー!」って思ったことあるか? おれはない。幸いなことだ。

というわけで、「おれはない」って嘘じゃね? 少なくとも、テレビの向こうのアナウンサー氏にはそういう感情を抱いたし、今もなにか解決はしていない。

向こうはテレビのあっち側に行ってしまった。でも、テレビのあっち側は「周り」ではないような気もする。完全に関係の切れて数年後の話だ。

 

だいたい、「主人公」ってだれだ? それこそ作品世界ならそのあたりはっきりしている。群像劇とかあるじゃん、とか言い出したらきりはないから、そういうことにしておく。

現実世界ではどうだ。そうだな、フィクションを超えたような活躍者はどうだろうか。

たとえば大谷翔平。大谷翔平は主人公ではないだろうか。

 

もちろん、野球に全く興味がない人にとっては、世界の主人公と言い難い。

でも、市場価値、わかりやすい評価基準として、マネーでみたらどうだ。少なくとも、「自分の人生の主人公」でない人間が、あの高みに達することはできない。

 

あるいは、将棋の藤井聡太はどうだ。彼もまた主人公に違いない。あるいは、ボクシングの井上尚弥、そして……、あげていったらきりがない。いろいろなジャンルに、それぞれ主人公みたいな人がいる。

 

でも、一般人が彼らに嫉妬するだろうか。彼らと自分を比べて、「自分はモブだな」と思うだろうか。

ちょっと、比較にならなすぎて、実感がわかない。おれは昭和の人間なのであえてこう表現すると、やはり「テレビの向こう側」なのだ。

いまの時代でいえばなんだろうか。ネットはへんなふうに有名人と繋がってしまうところがある。でも、動画配信者と見る側を隔てるものはある。投げ銭する側とされる側、か。

 

ただ、大谷翔平と一般人。一般人と大谷翔平。世の中はこの二つで成り立っているわけでないのも確かだ。そのことも忘れてはいけない。

 

たとえば、プロ野球選手になれた人。これはもうこれだけでもすごいことで、普通の野球プレイヤーにはできないことだ。プロ野球選手。それだけで主人公といえるだけの人生といってもいい。

その位置にいることが平凡な人間からは特別なのだ。野球でなくても、自分の好きなジャンル、属するジャンルに置き換えてください。

 

アマチュアから見て、雲の上の存在のプロが、さらにその最高峰を見るとき、どう思うのか。それは想像もつかない。

ただ、主人公かどうかはあくまで相対的なものに違いない。だいたい、大谷翔平だって、WBCの決勝の前に、名だたるメジャーリーガーの名前を挙げて「今日だけは憧れるのをやめましょう」と言った。大谷翔平ですら、それ以外の日はだれかに憧れている。

いや、そういうおごりたかぶらないメンタルだから、主人公になれるのかもしれないが。

 

身近に「主人公」がいたらどうなっていたか

世界の頂点のようなところから、自分のところに話を戻す。生きてきて、おれの周りには「主人公だな」と思える人はいなかった。せいぜい、アナウンサーの彼がテレビに映ったあの瞬間くらいだ。では、周りにいたらどうだったのか。ちょっとわからない。

 

おれの人間関係はひどく狭い。ダンバー数の二十分の一も使っていないくらいだ。幼稚園、小学校、中学高校、大学と、ステージが変わるたびに人間関係をすべて断ち切ってきた。

ニートのころは家族くらいしか関係のある人間はいなかった。一家離散のあとは、かつての同級生たちがおれを追おうとしても、もう行方不明になっている。追う動機もないだろうが。

 

逆におれがなぜか急に昔の同級生に連絡を取りたいと思っても、その手段はなにもない。探偵でも雇えばどうにでもなるだろうが、その動機もないし、もう名前も覚えていない。

おれの現在の日常的なリアルの知り合いは十人以下だ。その中でいちばん主人公っぽいのはだれかというと、親会社の社長か。

上場企業の創業者社長。ビジネスパーソン全体から見た確率としてはかなりレアだ。でも、毎月一回、我が雨漏りするボロビルに訪れる社長と話しても、そこまで別次元の人と思うわけでもない。

もちろん、話すことは明瞭で冴えている。地位も資産も圧倒的な差があるが、それをもって「自分はモブだ」とは感じない。

 

でも、もし、身の周りに「主人公だ」と思える人がいたら? 身近な間柄で、圧倒的に自分の人生を生きて、世間的な成功をおさめている人がいたら。

あるいは、おれはこうしてちょっぴりものを書くが、文筆で成功する人がいたら。

 

おれは日々嫉妬して生きるだろうか。ひがみ、そねみ、ねたみの沼にはまっていただろうか。

その可能性は、高い。そうでないことは、幸いだ。

 

おだやかな余生

幸いにして、おれの身の周りには、おれ自身と比較してどうこう思う人はいない。立派に家庭を築いていたり、すばらしい技術や深い知識を持っていたりする人はいるが、嫉妬心のようなものはない。

その上、自分もこの歳になると、だんだんどうでもよくなってくるものだ。向こう側の著名人、ネットの主役たち、みんなもう自分より若いのが当然だ。

 

よく、子供が産まれると自分は人生の主人公ではなくなる、とも言われる。子供が主人公になる。そういう人生というものもあるのだろう。結婚とも子供とも関係ない自分には縁のない話だ。

ただ、ユズリハだったら、おれは散る葉であって、若い人たちがこれから生きればいいと思う。勝手に生きればいいと思う。それはおれの知った話ではない。

 

生まれてくること自体が地獄だと思っている自分には、べつに良い世界を後世に残そうという気はない。自分の生活に手一杯で、そんな余裕はない。不幸にも生まれてきてしまった同胞として、せめて殺し合わないくらいの関係でいよう、と言うくらいだ。

そう言うおれは、おれの人生を生きているのか。自分の人生の主人公だといえるのか。「自分はモブに過ぎないから、なんとかして主人公にならなくては」という気持ちはない。少なくともそれは言える。少しはあったかもしれない。今はもうほとんどない。

 

考えてみれば、好きな人といい関係にもなれたし、憧れのミュージシャンの演奏を生で聴くこともできたし、すばらしい芸術作品をこの目で見ることもできた。すばらしいアニメのイベントに行ってすばらしい声優さんのパフォーマンスも見たし、総火演で戦車の砲音も耳にした。及川サトルの実況を現地で聞きながら、トーシンブリザードが大記録を達成するのに立ち会った。もう十分だ。やり残したことはない。

 

今はもう、精神疾患を抱えつつ、日々衰えていく肉体をなんとか動かし、先行きの見えない零細企業で働き、ぼんやりと生きるだけ。その人生を受け入れていて、なにかあがこうともしない。終わりがきたら終わるだけ。だれに指図されるわけでもないし、だれにも指図しない。そんなんでも、毎月給料が決まった額もらえるようになったし、今が人生の最高潮だ。あとは下っていくだけだ。

 

それでも、まったく夢がないわけではない。宝くじが当たったりするかもしれないし、なにかの奇跡的なまぐれ当たりが絶対に起こらないとも言えないだろう。

だるい人生、ぬるい夢。

けれど、おれはいくつもの小説で、さえないろくでなしたちが、しょうもない人生を送るのを読んできた。そんなやつらも主人公といえば主人公だったし、おれも似たようなものだと言えないこともないはずだ。

 

それにおれは、書くことができる。自分の言葉をはける。それができるかぎりは、だれかのなにかではない。精神も肉体も老いていくばかりだろうが、それだけはやめない。そうであるかぎりは、おれはおれの人生を生きている、おれは主人公だぜ、とうそぶいてやろうか。あなたはどうだろうか?

 

 

 

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(2024/4/21更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by :Aziz Acharki