ネットでは「教養」の話が定期的に盛り上がる。その様子をみるに、「教養」という言葉は一種のバズワードで、それぞれが勝手な定義を持ち、その定義に沿って言いたいことを言い合っているようにみえる。
または、「『教養』という言葉にはいろんな側面がある」と言ってしまうべきだろうか。
今日は、そんな「教養」のいろんな定義や側面のひとつとして、「すごーいといえるための教養」についてオススメしてみたい。
「教養は役に立つ」を、俗っぽく考えてみる
教養談義の定番のお題、「教養は役に立つか否か」。
だが私に言わせれば教養は役に立つに決まっているのであって、ただ、役に立つように教養を身に付けたり運用したりしていない人がいるだけだと思う。
では、どのように教養を役に立たせるのか?
教養を役に立てる方法は色々あるが、今回はあえて単純化して「すごーいと言えるための教養」、というお役立ちを紹介してみたい。
ビジネスパーソン向け雑誌や書籍の表紙にはしばしば、「教養を身に付ける方法」だの「サラリーマン必読の教養」だのといった文字が躍っているが、「すごーいと言えるための教養」も、そのお役立ちのひとつである。どういうことかというと、教養がある人は、上司や同僚や取引先の人に「すごーい」と言いやすくなるのである。
たとえば、取引先の人とレセプションで同席した時、その人が会話のなかで平家物語のパロディを織り交ぜてみせたとする。
そういう時に、気付いて目を輝かすことができたら、取引先の人の印象はちょっと良くなるだろう。なにせ、わざわざそんなパロディを会話のなかに組み込むぐらいだから、そこは気付いてもらいたいポイントのひとつに違いないからだ。
もちろん織り交ぜられる教養は平家物語のようなかしこまったものとは限らない。『機動戦士ガンダム』や『ドラゴンボール』の登場人物のセリフのことだってあろうし、そうしたセリフについて知っているおかげで話が弾むことだってある。
喫煙所や懇親会で何気なくかわされる会話のなかにも、ユーモラスな引用やパロディがしばしば混じっている。よほど気難しい相手でない限り、そうした引用やパロディがわからないからといってコミュニケーションが必ず失敗に終わるわけではない。
しかし、そういう引用やパロディに気付くことができ、打てば響くようなリアクションが取れるなら、コミュニケーションに弾みをつけることができるし、案外、そうしたところが後押しになることもある。
そして稀にだが、そうした引用やパロディを一種の足切りテストのように繰り出してきて、それに気付いて反応する人間にだけ面白い話をしてくれる人もいる。
こうしたことを考えると、ビジネスパーソンに教養は必要か、控えめに言っても教養があったほうがコミュニケーション上のアドバンテージをとりやすい、と言えるんじゃないだろうか。
もし教養がコミュニケーションにプラスの影響を与えてくれるなら、そして面白い話を引き出す魔法の鍵たりえるなら、それだけでビジネスパーソンに役立つと言えるし、ビジネス雑誌に繰り返し登場するのも道理というほかない。
「すごーい」と言える時に教養は輝く
さて、そんな会話術のサポーターとして教養を考える際、威力絶大なのは、「すごーい」である。
人間、誰しも「すごーい」と言ってもらえるのは嬉しいものだ。「お詳しいのですね」「博学ですね」「なるほど!」も「すごーい」のバリエーションと言えるだろう。そういえば、ホステスやキャバ嬢の世界でも「すごーい」は重宝されている。
男性が喜ぶ褒め言葉「さしすせそ」
「さ」さすが
「し」知らなかった
「す」すごい!
「せ」センス良い
「そ」そうなんだ!
これがマイナビウーマンの記事で紹介されていることが示すように、「さしすせそ」はホステスやキャバ嬢の独占物ではない。
もちろん男性のビジネスパーソンだってどしどし使ってかまわない。
問題は、この「さしすせそ」が一番ちゃんと刺さるのは、実際に相手のことを「さすがだ」「知らなかった」「すごい」と思えている場面に限られる点だ。
上掲のマイナビウーマンの記事にも書かれているが、この「さしすせそ」は、大げさ過ぎたりわざとらし過ぎたりしたら逆効果になってしまうおそれがある。つまり、たいしてすごいと思っていないことをわざとらしく「すごーい」と言ってもバレてしまって良くないのである。
同じく、自分が興味関心をもっていない分野の話で「すごーい」と言っても、わざとらしさが目立つ可能性が高く、相手が白けてしまうリスクが高いだろう。
では、どうしたら「すごーい」とナチュラルに言いやすくなるのか?
ここで、教養の出番がやって来る。
私たちは、なんにも知らないことやなんにも関心がないことに「すごーい」とは言えない。将棋にまったく興味のない人が将棋の話題に首を突っ込んで「すごーい」と言っても、それは空疎な誉め言葉に堕してしまいやすい。
いくらかでも自分が知っていることや関心があることに対してこそ、自分よりも詳しい語りに「すごーい」と心を込めて言えるのだ。
ときには自分よりも知識が少なそうな人に対して「すごーい」と言える場合もある。たとえば自分よりずっと年下の人が知識の片鱗をみせてくれた時には、賛美の気持ちを込めて「すごーい」と言いやすい。
この場合、「すごーい」の代わりに「よくご存じですね」でもいいのかもしれない。一例を挙げれば、20代のゲーム愛好家が1990年代のゲームについて熱心に物語っていて、内容的にも間違いがない時、私などは「すごーい」「よくご存じですね」という言葉を禁じ得ない。
こんな具合に、教養があればあるほど、より広い範囲に関して「すごーい」と言いやすくなる。「すごーい」と言える状況で「すごーい」と言えば、言われた側はまんざらではないだろうから、心証が良くなるし、相手の舌のまわりをより滑らかにもできる。もちろん、仲良くなりやすくもなるだろう。
人が「教養は役に立つ」と言う時、そこに込めたニュアンスは千差万別だが、こうしたコミュニケーション上のメリット目当てに考えるだけでも教養は十分にお役立ちで、ビジネス誌が紹介するのもよくわかるのである。
「すごーい」のための教養はどうやって身に付けるか
では、どんな教養をどのように身に付けるのが望ましいだろうか?
ここでは「どんな知識も、どんな関心も、きっと教養の一部になりますよ」と言ってみたい。
もちろん、何が教養として通用するかは相手や状況によって異なる。
たとえばホワイトカラーな欧米人と話をする時には聖書や古代ギリシア哲学について知っていたほうが、「すごーい」を言いやすい。というより、ホワイトカラーな欧米人と話をする際に聖書や古代ギリシア哲学について知っていたおかげで、わかりにくいセンテンスの意味がどうにかわかった(逆に、知らなかったらきっとわからないままだった)といったこと私は体験したので、ホワイトカラーな欧米人と話をする時に抑えるべき教養ってやつはあると確信している。
同じく、ホワイトカラーな日本人と話をする時に抑えておきたい教養ってやつもあるはずで、それはきっとドラッカーのビジネス論だったり、マズローの欲求段階説だったりするのだろう。
ユースカルチャー(サブカルチャー)の知識や関心が役立つ場面だってある。たとえば『ポケモン』や『ドラゴンボール』や『NARUTO』について話題を共有できることが助けになる場合がある。相手や状況によっては、『アーマードコア』や『シヴィライゼーション』や『マインクラフト』といったゲームについての知識が役立つこともある。
このほか、音楽、料理、登山、SF小説、美術、あらゆる教養が唐突に「すごーい」と言える機会を、ひいては人と人とをより親密に結びつけてくれる機会を提供してくれる(ことがある)。
そうしたわけで、私は「すごーい」を言えるような教養を特定のジャンルに絞るより、あなたが興味関心が持てるジャンルならなんでもいいよ、と言ってみたい。
なかには仲良くなりたい人が関心を持っているジャンルを事前に調べたうえで、そのジャンルの教養を学んでみようとする人がいるかもしれない。まあ、それを楽しくやれる人はやって構わないと思うけれども、楽しくないことをやろうとするとストレスフルな勉強になってしまい、コスパの悪い学びに終わってしまう可能性がある。
それぐらいなら、自分がちゃんと興味関心が持てるジャンルをひとつかふたつ深堀りし、そこから近隣のジャンルに少しずつ関心を広げていったほうが苦痛が少なく、より効率的に教養を身に付けられるように思う。
どこまで身に付けたら教養と呼べるのか
じゃあ、どこまで知ったり身に付けたりできたら教養と呼べるだろうか?
もし教養を、虚栄心をみたすためのマウンティングのツールとして用いたいなら、とにかく人より多くのことを知っておくに越したことはない。教養を鼻にかけたい時、「おまえ、そんなことも知らないの? プププ~」って言われたくないでしょうからね。
しかし「すごーい」と言えればそれでいい人は肩肘張って勉強する必要はない。
かえって知りすぎないほうが都合が良いかもしれないぐらいだ。
ビジネスにせよプライベートにせよ、コミュニケーションのなかで「すごーい」と言うために必要なのは、適度な関心と、いくらかの知識だ。特に年上や先輩を相手取る場合には、相手のほうが教養が深く、自分のほうが教養が浅いほうが自然と「すごーい」と言いやすく、話を弾ませやすいだろう。
一例を挙げてみる。
私はワインが好きで、教養としてのワインにたびたび助けられてきた。
ワインに詳しい年長者は、いろんなヴィンテージを飲み比べていたり、今では目が飛び出るほどの価格のワインを若かった頃に飲んでいたりする。そういう人たちとワインの知識や経験で競争するのは愚の骨頂である。しかし、そういう年長者と会話する際にワインの基礎的な知識があれば、合いの手を入れることができる。
相手「そうしたわけで、私はロマネ・コンティ社のワインを箱買いして、そのグラン・ジェセゾーを毎週飲んでいたんですよ」
私「ロマネ・コンティのグラン・ジェセゾーなら、熟成期間も相当なのでは?」
相手「それがですね、当時はまだ、ヴィンテージのこともよくわからなかったから、ろくに熟成もさせないで毎週飲んでいたんです(笑)。それでもすさまじい美味さでした、美味いものは早飲みしても美味いんです。」
上記は、ある人からロマネ・コンティ社のワインが安かった頃の昔話をうかがったものだが、「高級ワインは熟成期間が長めのほうが望ましい」という基礎知識があったから、話が弾んだ。この人との会話では、「ヴィンテージがハズレの時は熟成期間が短めになりがち」「ヴィンテージによって、同じメーカーのワインでもどっさり作られる年もあれば、僅かしか作られない年もある」といった知識も役に立った。そのおかげで、ロマネ・コンティ社のワインがまだ安かった頃の逸話をたくさん拝聴することができた。
しかも、そのお話をしている時、相手の人はとても楽しそうだったのである。
この例に限らず、「すごーい」というための教養は、ジャンルの頂点をきわめるほどでなくて構わない。
それこそ、ビジネスパーソン向けの教養書に載っているレベルのことがわかれば「すごーい」というには役立つし、ワインの場合もフランスやカリフォルニアの名醸地のどれかについてある程度の知識と経験を持ち、他は色々とつまみ飲みしていれば十分だ。ソムリエ並みになっておく必要はあない。
古典についてもそうだと思う。たとえば『源氏物語』は現代語訳でも全部読むのはなかなか大変だが、漫画『あさきゆめみし』を読めば大雑把なことはわかる。
大河ドラマもいいだろう。大河ドラマは各時代の物語を楽しく見せてくれる。現在放送中の『光る君へ。』もそうで、歴史学徒になるには不十分でも、平安時代や平安貴族の話になった時に合いの手を入れるには十分だし、「『光る君へ。』は毎週見ていました」と言えるだけでも役に立つことがある。
どうやってその教養を身に付ける?
そうしたわけで、「すごーい」というための教養を身に付けるだけなら、難しい専門書を読まなければならない道理はない。少しフィクションが入った作品でもかなりいける。たとえば塩野七生『ローマ人の物語』は読み応えのある作品だが、「すごーい」というための教養を身に付けるにもうってつけだ。
魅力的なノンフィクション作品でローマ帝国の歴史を一望できるのは素晴らしいことだ。これも、精確なローマ帝国史を学ぶには不十分だが、「すごーい」というための教養、ビジネスパーソンのやりとりの具材としての教養としてはこれで十分だし、かえってこれがいいぐらいかもしれない。
こういう視点で考えるなら、教養のインストール元としては、司馬遼太郎の『坂の上の雲』でも、漫画の『チェーザレ』や『キングダム』でも『なんて素敵にジャパネスク』構わない。テレビなら『ヒストリーチャンネル』や『ディスカバリーチャンネル』も素晴らしい。それらをとおして頭に入ったことも、コミュニケーションには十分に役に立ってくれる。
そして今日では、アニメやゲームも教養の一端たり得るかもしれない。たとえば『ガンダム』シリーズや『Fate』シリーズについて知っているおかげで意思疎通が捗ることもあるだろう。もちろんこういうのは「上司の知っていそうなカラオケの曲を練習する」」みたいな事態になりかねず、わざわざ知るのに抵抗がある人もいるはずだし、私自身、そういう目的のために過去の作品に目を通す気にはなれない。
が、しかし、いくらか興味のある人は、たとえば『ガンダム』シリーズだったら最新作の『水星の魔女』や『閃光のハサウェイ』だけ目を通しておいて、ガンダムの話題が出た時には「あ、『水星の魔女』だけは観てみましたけど」みたいに言えると便利かもしれない。
ちなみに、『ガンダム』については「初代から見るべきだ」みたいなことをいう愛好家がいるが、ガンダムの全容を知りたいのでない限り、やめたほうがいいと思う。最近のアニメを見慣れている人には最新作のほうが楽しみやすく、わかりやすいだろうし、若い人なら「最新作だけ見てみました」というスタンスが自然に見えるだろうからだ。
実践上のおことわり
最後にもう一度おことわりを。
この「すごーい」というための教養は、ビジネスパーソンが社交に資するための教養、コミュニケーションの触媒となり、相手に気持ち良くしゃべってもらい、その過程をとおして相手への理解を深めたりするための教養であって、知識の正確性や、ひとつのジャンルの求道性は考慮していないので、そこを間違えないようにしていただきたい。
と同時に、自分が気持ちよくトリビアを開陳するための教養、自分の自尊心や虚栄心をみたすための教養でもない。
教養をとおして心理的充足をみたす方法にも色々あるが、ここで語った「すごーい」というための教養は、相手に楽しい時間を過ごしてもらうこと・相手に色々なことをしゃべってもらうためのものなので、そういう心積もりのうえで運用していただけたらと思う。
しかしまあ、こうして文章化してみると、なるほどビジネスパーソン向けの教養書が流行るのも道理ですね。教養は、適切に使いこなせるビジネスパーソンには強い味方になってくれるサブウェポンだと思います。
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著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
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