今日はメンタルヘルスの話をしたい。セロトニンの足りない人の生きづらさについてだ。(なお、この文章に関して開示すべきCOIはありません)

 

昨今、生きづらさがさまざまな角度から語られ、なかでもメンタルヘルス領域では発達障害(神経発達症群)の生きづらさがクローズアップされがちだ。

しかし、メンタルヘルスに根ざした生きづらさと言っても本当は色々で、その生きづらさのなかには、統合失調症やうつ病や双極性障害(双極症)といった大文字の精神疾患に限らないものも潜在している。

 

そうした個別の生きづらさのなかには、どうもセロトニンが足りていないよう見受けられる人々、逆に言うとセロトニンさえ足りていれば大幅に生きやすくなる人が含まれているようにみえるので、それについて思うところを書く。

 

セロトニンを補う薬がびっくりするほど効く人たち

精神科の外来にいらっしゃる患者さんの診断名はさまざまで、同じ診断名でも薬の効果や治療後の生きやすさはまちまちだ。

「うつ病」「社交不安障害(社交不安症)」といった病名こそ同じでも、薬の効き具合や治療開始一年後の状態が天と地ほど違うことは珍しくない。

 

私が前々から注目している一群の患者さんがいる。それは、セロトニンを補う薬を内服するとびっくりするほど効果があり、その後の生活が劇的と言っていいほど安定する患者さんたちである。

 

ご存知の人もいらっしゃるだろうが、今日、精神科ではセロトニン再取り込み阻害薬(Serotonin Reuptake Inhibitor:SSRI)という薬が頻繁に処方されている。このSSRIは抗うつ薬とカテゴライズされ、うつ病の患者さんに処方されるが、社交不安障害やパニック障害など、不安に関連した他の精神疾患にも効果がある。

セロトニンは不安やストレスと深いかかわりを持つ神経伝達物質なので、シナプス間隙のセロトニンを増大させるSSRIがさまざまな精神疾患やメンタルヘルスの状態に効果があるのは、薬理学的作用機序からいってわかる気がする。

 

そうして精神科外来でSSRIを処方され、内服している患者さんは数多いるわけだが、長年見ていると、そのなかに、SSRIが本当にびっくりするほど効く患者さんの一群があると感じている。

 

たとえば、ストレスやライフイベントをきっかけにうつ病になる患者さんはごまんといるが、その一部に、SSRIを内服して1か月かそこらで症状が9割がた改善し、それどころか、それ以降も病前よりずっと楽に生活をおくり続けている患者さんがいる。

 

うつ病に限らず、精神科の治療プロセスの合間には「そもそもストレスの発端となった案件を整理・解決するか、考えなくても良いようにする」ことが求められがちだが、この手のSSRIがめちゃくちゃ効く患者さんの場合、そうした整理・解決すべき案件に対して精神科医が助言・介入する必要性があまりないことが多い。SSRIが効果を発揮していくうちに、患者さん自身が案件の整理・解決を進めていくパターンをとることが多い。

 

社交不安障害、パニック障害、なんらかの恐怖症の患者さんなども同様だ。SSRIは効果が出るまでに2週間以上かかり、そのくせ副作用は初日から出てしまうことが多いので、そのことをよく説明し、辛抱強く内服していただく。効果のある人もいればそうでもない人がいるのは種々の不安障害の場合も同じだ。

しかしSSRIがめちゃくちゃ効く患者さんの場合は、2週間ほどではっきりと薬効が現れ、2~3か月ほどで仕事や学業に戻っていく。

 

精神疾患の治りやすさ・治りにくさはさまざまな要素によって左右される。たとえば孤立していたり、発達障害や知的障害が背景にあったり、家庭が揉めていたりすると治療効果は限定的になりがちだ。

しかし、そうした目につきやすいハンディとはまた別に、薬の効きやすさ/効きにくさの大きな個人差が存在している。

 

SSRIがめちゃくちゃ効く人と、セロトニンの恩寵

そういう、SSRIが人一倍効果的な患者さんには共通点があると私はみている。それは、症状がはっきり出現する以前から、なんだかセロトニンの足りてなさそうな人生を歩んできていた、という点だ。

 

たとえば患者さんAは、うつ病に罹患する前から人に言われたことをくよくよと考えてしまいやすく、緊張しやすく疲れやすい性分だった。また患者さんBからは、パニック障害が顕在化する前から気の小さいところがあって、けれども気が小さくてはやっていけない仕事だったから虚勢のような態度で今までやってきたといった話が聞かれたりする。社交不安障害の患者さんCについては、その症状が本格化する思春期の前から人混みが苦手で、地下鉄に乗りたがらず、片田舎での生活を夢見ていた。

 

神経伝達物質としてのセロトニンの恩寵は大きい。不安を減らし、緊張をやわらげ、平穏な精神状態にする。恐怖や怒りといったアドレナリン全開になるような状態を減らし、友好性を増やし、ストレスを低減させる。

恐怖や怒りやストレスへの反応は視床下部-下垂体-副腎系(Hypothalamic-Pituitary-Adrenal Axis, HPA系)が司っていて、そうしたものの発露は野生動物には必要不可欠だが、平和で安全で人口密度が高く、ストレスがあるからといって逃げたり戦ったり激怒したりしてはいけない現代社会においては、かえって邪魔になる一面もある。

図:HPA系の模式図。ストレスに対して視床下部・下垂体・副腎皮質が連動して反応し、コルチゾールやノルアドレナリンなどば分泌し、交感神経が亢進する。そうなると、戦闘したり闘争したりするのに適した身体のコンディションになるわけだが、現代社会でこれが過活動を起こすと動機やパニックや気分変動などを惹起するかもしれない。セロトニンには、この連動反応をなだめる方向に働く。

その、かえって邪魔になりえるHPA系をなだめ、恐怖や怒りやストレスを余計なところで感じにくくさせるのがセロトニンの恩寵、とりわけ現代社会におけるセロトニンの恩寵ということになる。

 

つまり、平和で安全で人口密度の高い現代社会はセロトニンがモノをいう社会で、東京のように人口密度が高いメガロポリスはセロトニンが足りないと生きづらくて仕方ない街だと言える。

 

進化心理学者たちは、「人間は、自己家畜化という生物学的な変化をとおしてセロトニンの恩寵を得やすい身体を獲得し、これが人間同士の協力を、ひいては文明の発達を可能にした」と述べる。ホモ・サピエンスという種全体の進化に関してはそうなのだろう。

しかし、いわゆる発達特性に個人差があるのと同様に、セロトニンの恩寵にも個人差がある。誰もが神経伝達物質としてのセロトニンに満ち満ちているわけではない。恐怖や怒りやストレスへの反応がより起こりやすく、にもかかわらず現代社会においてそれを無理くりにでも抑えなければならない人は、本当は結構いるのではないか。

 

昨今、ニューロダイバーシティーという言葉が登場している。日本語に訳せば「神経多様性」となるが、それはしばしば発達障害、とりわけ自閉スペクトラム症方面の発達特性を意識して語られることが多い。が、SSRIを内服することで精神疾患が治るだけでなく、ストレスの感じやすさや社交関係や社会関係が劇的に変わる一部の患者さんをみていると、セロトニンに関しても神経は多様で、現代社会に親和性の高い人から低い人までさまざまなのだろうなぁ……という思いを禁じ得ない。

 

都市生活とセロトニン

では、人口密度の低い生活に帰ればいいだろうか? それも難しいように思われる。進化心理学者のダンバーは、人間は群れ集まり、集団規模を大きくすることで進歩してきた経緯をさまざまに論じている。

2023年に邦訳されたダンバー『宗教の起源』にもそのさまが記され、その鍵として宗教についてとりあげているわけだが、この本のなかでダンバーは、集団生活について以下のようなことも述べている。

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集団生活の鍵を握るのは結束だが、それを維持するのは容易ではない。物理的に接近した環境で暮らすのは、生活面での負担も社会的なストレスも大きい。哺乳類では、一日の移動時間が長くなったり、食料資源をめぐる争いが激化したりするデメリットがあるのに加え、集団生活による心理的ストレスはメスの妊娠率を顕著に左右する。ストレスによって生理周期を調整する脳や卵巣の内分泌系が停止し、繁殖能力が下がるのだ。こうした損失、とくに不妊による損失を軽減しておかないと、集団は分裂し、消散してしまう。

ダンバーがこの文章のタネにした論文を眺めると、これは哺乳類全般の話で、人間にフォーカスを絞ったものではなかった。だが、人間も哺乳類だから集団生活による心理的ストレスを被る可能性はあるのだろう。

しかし、セロトニンはこのストレス軽減させ、集団生活によるストレスを低減させる。逆に言えば、セロトニンによるストレス低減効果が不十分・不完全な場合は、集団生活、たとえば朝夕の新宿駅のような環境はとてもストレスフルで、やっていられないことになる。

 

ダンバーは、集団生活は集団の力によってそれだけでイノベーティブであることに加えて、集団サイズが大きくなることで集団間闘争に有利になる一面も挙げていて、集団生活のアドバンテージが現代に限らないことをも例示している。

そのかわり、集団生活に属するようになった人間ひとりひとりには、複雑化していく人間関係について判断する高度な計算力が求められるようになり、集団生活によるストレスをどうにかする身体上のカラクリも必要になった。高度な計算力が欠けていても、ストレスをかわせなくても、集団生活にはついていけなくなってしまう。

 

私たちは、有史以来最も規模の大きな集団生活に身を曝している。密度だって高いだろう。

東京で生活していると、そうした人口集中が当たり前に思えるかもしれないが、あのように見ず知らずの不特定多数がすし詰めになるような環境は、動物としての私たちにとって本来はストレスフルなもので、セロトニンの恩寵があるおかげでどうにか対応できているものでしかないのである。

 

そして東京のラッシュアワーほど顕著ではなくても、都市生活には人混み、雑踏、繁華街、収容人数の多い建造物、といったものが遍在している。見知らぬ人とのすれ違いにいちいち緊張していたら発狂するだろう。である以上、セロトニンが足りていなかったら生きるのが辛すぎるだろうし、実際、そういう声を聴く機会は(私には)少なくない。

 

いまどきの都市生活は効率的で清潔で、なおかつ人口集中のおかげでさまざまな選択肢を享受することもできる。

しかし人口集中のおかげでストレスフルになりやすい部分、気になってしまいやすい部分も多分に含んでおり、それをカバーしているのがセロトニンだったりする。私たちはセロトニンが社会適応のカギとなっている社会を生きていて、それが足りていない人には、たとえば東京のような街は案外生きづらいのだ。

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

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ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo:Will Ma