ちょっと前になるが、Xで印象的な投稿を見かけて、「いいね」せずにいられなくなった。
ライブ配信におけるNGワードが年々厳しくなり、最近は「死にたい」すらダメらしく、口にした瞬間BANされることも珍しくないので「あーもう無理、死にたい……あ、嘘!いまの嘘です!死にたくない!死にたくない!」みたいな発言が頻繁に飛び出し、どこの国かと思うことがある
— ゼロ次郎 (@zerojirou) January 24, 2025
「死にたい」と口にしたら即座にBANされる動画配信プラットフォームでは、ついうっかり「しにたい」と口から洩れた人が大慌てで「いまの嘘です!死にたくない!死にたくない!」と言い訳するわけか。
私は、これを読み「『ユートピア』ってこんな風にできあがるんだな」と思った。
みんながニコニコしている国、みんなが「この社会はすばらしい」と賛美している国があるとする。そこで暮らす人々を報じるテレビ番組は、人々が喜んで働いているさまや、肩を並べて国や指導者を賛美する歌を歌っている様子を報じる。表向き、その国には不幸がどこにも見当たらないように見える。
言うまでもなく、そのような「ユートピア」の正体はディストピアである。情報統制が行き渡り、密告が横行し、全体主義的な体制が敷かれている国において、しばしば「ユートピア」は爆誕する。なんのことはない、喜んで働いていない人間、国や指導者を賛美しない人間を BAN しているだけのことだ。
「ユートピア」をつくるにあたり、心からの博愛主義や幸福になるソーマは不要である。秘密警察と独裁者と全体主義的体制さえあれば簡単に「ユートピア」はできあがる。
そうした反面教師的「ユートピア」を念頭に置きながら、冒頭のSNS投稿を思い出してみよう。
くだんのライブ配信者は、うっかり「しにたい」と言ってしまった後に、慌てて「いまの嘘です!死にたくない!死にたくない!」と言ったという。なぜなら、動画配信のプラットフォーム上では「しにたい」と言った人はBANされてしまうからだ。
ライブ配信者はBANされるのをおそれて、「しにたい」という言葉を急いで訂正した。上掲のXの投稿は、そこに全体主義体制の独裁国家に似た一面があることを指摘するものだった。
これに私は考えさせられた。
動画配信のプラットフォームは全体主義国家そのものではない。しかし、ある程度までは「ユートピア」的だ。動画配信のプラットフォームには配信者の言動をチェックするシステムが介在し、みずからのプラットフォームにふさわしくない言動をする人をBANする力が働いている。
「しにたい」に限らず、動画配信プラットフォームにふさわしくない言動と判定された人はBANされていなくなる。結果、動画配信のプラットフォームには、そこにいるにふさわしい動画配信者だけが残ることになる。
だから、動画配信のプラットフォームには「しにたい」人などいませんよ、ということになる。それ以外の不穏な言動をする人もBANされ続けているだろう。
もちろん、動画配信のプラットフォームの運営者たちは独裁者や秘密警察になりたがっているわけではあるまい。一企業としてコンプライアンスを遵守し、動画配信者の健全性を守り、動画視聴者への悪影響をかわすために必要な措置として、「しにたい」をはじめとする言動をサーチし、その源となる人を rule out している。
2025年の先進国でまっとうな商売をやる続けるうえで、それは必要な措置だろうと理解できるし、どこの企業でもこれに類する注意は払っているに違いない。だから、たとえばYoutubeだけを槍玉に挙げ、「あそこはディストピアなプラットフォームだ!」などと言ってもはじまらない。まともな企業なら、どこもYoutubeと似たり寄ったりだからだ。
ホワイト企業は「ユートピア」建設の尖兵
今日のまともな企業は、コンプライアンスの遵守を心がけ、かつて言われた「ブラック企業」の正反対のありよう、すなわちホワイト企業たろうと努力している。
セクハラやパワハラをする人は矯正の対象であり、懲罰の対象であり、解雇の対象である。また、厚生にも尽力しなければならないから、「しにたい」といった言動がみられる社員もそのままにしておかない。現在の日本社会では、そのような言動の社員は医療に委ねられることが多い。そして医療に委ねられてもなお、そうした言動が現れてしまう社員は、結局のところ職場に復帰しきれない。
この観点でみると、社員を守るはずのストレスチェックが「ユートピア」的にみえてしまうことがある。厚労省主導のストレスチェックは、表向き、社員の福利厚生を守るためのものだし、実際、それに救われた人も少なくない。
しかし本論のアングルから眺めると、ともあれ職場に居続けたいならストレスチェックに合格できるよう回答しなければならない、とも言える。本当はしにたい気持ち満載な人や、もともと気難しくてイライラしやすい人も、職場で働き続けたいならストレスチェックをパスしなければならない。ほとんどの人にとって、ストレスチェックは社員ひとりひとりの福利厚生を支援し、企業のコンプライアンスを守るためのシステムでしかない。ところがある種の人々にとっては、BANされ得る人間をピックアップするための監視のシステムとして、あるいは「私はここにいても大丈夫な人間です」と宣誓するためのシステムとして機能し得る。
「しにたい」とうっかり漏らしてBANされることを怖れる人にしか、「しにたい」がBANされる動画配信プラットフォームがおそろしく感じられないのと同様、ありのままストレスチェックに書いたらまずいことになるかもしれないと危惧したことのある人にしか、ストレスチェックが監視や宣誓のシステムとして機能し得ることはわからないだろう。
もちろんこれは、ストレスチェックだけに限った話ではない。仮にストレスチェックが無かったとしても、結局職場ではイライラしてはいけないし、泣いたり怒鳴ったりしてはいけない。なぜならコンプライアンスの守られたホワイトな職場を維持するためには、ネガティブな言動をとおして周囲の人にストレスを生じさせてはならないからだ。
モラハラ、という言葉もある。イライラしたり泣いたり怒鳴ったりする人は、モラハラの被害者ともうつるがモラハラの加害者ともうつる。両者を完全に峻別するのは意外に簡単ではない。どちらにせよ、そのような成員がいる職場はコンプライアンスが乱れた、ホワイトではない職場になってしまう。
動画配信のプラットフォーマーが独裁者や秘密警察になりたがっているわけではないのと同じように、ホワイトな企業も独裁者や秘密警察になりたがっているわけではなかろう。しかし、結果としてホワイトな企業は「しにたい」をはじめとする「有害な」言動とその発言者には神経を尖らせざるをえず、そのためのモニタリングや対抗策をとおしてある種の人々をrule outしている。
安全・安心なホワイトな職場を維持し、コンプライアンスを遵守する姿勢を示すために、それは是非とも必要な態度ではある。だが、本論のアングルから見る場合、ホワイトな企業たちがそうした措置をとおして「ユートピア」建設のための尖兵として機能している、と指摘することは、やはり可能である。
ユートピア/ディストピアはここにある
こうして、動画配信には「しにたい」人は消えてゆき、ホワイトな企業からは「有害」な影響を与える社員は排除されていく。もちろん瞬間的には、個々人はそれらに抵触する言動を弄せないわけではない。
が、そうした言動を継続するのは無理である。この社会の第一線で活躍し続けるためには、どうあれ社会にふさわしい言動や行状を維持しなければならない。できなければ活動の範囲が狭められるか、矯正を受けるだろう。
そうした言動がどこでも差し障る社会では、それらを障害 ━━英語では、秩序の外といったニュアンスのdisorderという語彙で綴られる━━とみなす向きがあるのも、まあ、わからないことではない。
だがこうした社会状況について、私は「ちょっとやりすぎになっていませんか」と言いたくなる。なぜなら私は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉を信奉し、SF小説などをとおしてユートピアとはディストピアでもあると考えるようになったからだ。
善良な市民を自称する人はしばしば、より健康でより安全・安心で企業のコンプライアンスが向上する社会を望み、現状はさらなる向上の途上の段階にあると述べる。そうかもしれない。健康や安全・安心やコンプライアンスの向上を至上命題とするなら、もっと私たちは向上する余地があるだろう。
けれども、ある人々にとってユートピアと感じられる社会とは、そうでない人々にとってディストピアと感じられるような、息苦しい社会ではなかったか。
ユートピアの側につく人々は、えてして、その社会をディストピアだと感じる人々に気づかなかったり、気づいたら気づいたで、やれ矯正が必要だ、やれ治療が必要だといった風に言い始めるのが通例である。そしてその社会をディストピアだと感じる人々のブルースに耳を傾けないし、自分たちはBANする側であっても、BANされる側でないと信じている。
だから私は、ユートピア/ディストピアはここにあるのだと思う。より健康であろうと願い、より安全・安心な社会を期待する私たちの心のなかにもそれはある。本来それはポジティブな祈りであるはずだ。
だが、どんな祈りも過ぎれば他人を、いや私たち自身を縛る呪いたり得る。ますます社会が個々人を簡単にBANするようになっていくとしたら、その背景にどんなに善良な祈りがあったとしても、それはもう呪いと呼ばざるを得ない何かではないだろうか。
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。

<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>
第6回 地方創生×事業再生
再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。
【今回のトーク概要】
- 0. オープニング(5分)
自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」 - 1. 事業再生の現場から(20分)
保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例 - 2. 地方創生と事業再生(10分)
再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む - 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説 - 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論 - 5. 経営企画の三原則(5分)
数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する - 6. まとめ(5分)
経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”
【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。
【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)
【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
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ブログ:『シロクマの屑籠』
Photo:Serhii Tyaglovsky