最近、妻から「先生をバカにする」小学生がいるという話を聞いた。
学級崩壊の原因にもなっているらしい。
昭和の「怖い先生がたくさんいる」小学校に通っていた私からすれば、信じられないような話だ。
なぜそんなことになっているのか。
篠原信によれば、小学校の教師よりも「学歴の良い」親が増え、彼らが先生をバカにする、という考察があった。
90年代後半から、保護者の親に質的変化が起きた。学校の教師をバカにするという空気。親御さんに大卒が増え、教師よりも偏差値の高い大学・学部を出たと誇る親が目立つように。
これは、私も実際に見たことがある。
また、中学受験をする子供たちが増え、「学歴の良い」塾の先生にも、そのような発言をする人がいると聞いた。
実際、10年以上前の記事だが、こんなことを言っている人も存在している。
当然のことながら彼らエリート中学受験生は、小学校の先生よりはるかに頭がよく、はるかに多くのことを知っている。
特に理科や算数のような科目ではできる子供は際限なくできるので、小学校の教員の無能さには耐えられなくなる時が来る。
当時ひとりの生徒が「うちの学校の先生はぜんぜんわかってなくて、よく間違ったことを教えるんだ。あんな授業受けたくないよ」と僕に打ち明けてきた。
その時、僕は「馬鹿な人に馬鹿といって自尊心を傷つけてしまうととんだ災難に巻き込まれてしまうことがある。そういうときは先生が馬鹿なことに気付かないふりをした方がいい。理不尽と思うかもしれないが、君が大人になったらきっと今日僕がいったことがわかるようになる時がくる」と答えた。
だから、「自分で自分の教育をしなくてはならない」という発言が出てくるのだろう。
最後のイチロー杯でイチローが伝えたメッセージ 深い
・厳しく教える事が難しい時代だ。先生より生徒が強くなっている。自分で自分の教育をしなくてはいけない時代に入ってきました。
今のみんなが生きる時代はそれがすごく大切であることを覚えておいてほしい。
・積極的に外へ出てほしい。 pic.twitter.com/2jckYvixmx— ガッテム竹内(元ハガキ職人)in音漏れ隊卒業 (@gtt214214) December 22, 2019
先生がちょっときつくしかると、たちまち親からクレームが来る、という今の状況は、先生にとってはやりにくいだろうな、と思う。
公教育の担い手が不足するのは当然だろう。
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確かに、能力の低い教師もいるし、努力している教師ばかりではないのは事実だと思う。
子供時代にどんな先生に接したかは重要だ。
が、それにしても「子供の前でわざわざ」、学歴などに関して、先生をバカにするようなことを言わなくてもいい。
というよりも、子供の前でのその手の発言には、かなり気を付けたほうがいいと思う。
なぜか。
いくつか理由がある。
一つ。
経済学者の中室牧子が著作「科学的根拠(エビデンス)で子育て」で、示したように、「学歴」や「IQ」は将来の生活レベルや幸福とあまり関係がないこと。
かつては認知能力が重要だと考えられてきたのですが、2000年前後から、「認知能力が将来の収入の変動の一部だけしか説明できない」ことを示すエビデンスが増えてきました。たとえば、学力テストの個人差は、将来の収入の個人差のせいぜい17%程度しか説明することができないし、IQの個人差に至ってはたった7%程度しか説明できないというのです。
学歴やIQよりも、よほど「好奇心」「思いやり」「利他性」などの「非認知能力」の方が、長期的には重要となる。
二つ。
先生は、学歴と関係なく、勉強をうまく教えられるよりも、社会性を身につけさせる人の方が影響が大きいこと。
将来の成果に与える影響を見てみると、認知能力で計測された付加価値よりも、非認知能力で計測された付加価値の影響のほうが大きいということです。(中略)
性別、勤続年数、出身大学の偏差値などのさまざまな教員の特徴と非認知能力で測った付加価値のあいだにはほとんど相関が見られなかったのです。
勉強を教えることはあまりうまくなくとも、「キッチリと社会性を身につけさせる」教員は、とても貴重なのだ。
三つ。
子供時代に、偏った人間観を身につけてしまうと、かなり損をすること。
バカな教師でも尊敬しなさい、とまで言う必要はない。
ただ、自分から学ぼうと思えば、人間は誰からも学ぶことができる、と思うことそのものが重要なのだ。
特に、普段どうしようもない人物だったとしても、「百歩譲って、この人の優れたところは何だろうか?」という考え方を持っている人は、非常に強い。
なぜならば、これはリーダーシップに不可欠な考え方だからだ。
なお、リーダーシップは将来の収入にきわめて大きな影響がある。
分析の結果、高校時代にリーダーシップを発揮した経験がある人は、そうした経験のない人に比べると、高校を卒業して11年後の収入が4〜33%も高くなることが示されたのです。
大人になればすぐに、「万能の人」はおらず、誰もが欠点を抱えており、リーダーは清濁を併せのんで、メンバーを使っていかねばならない。
それが身につかないと、大したことはできない。
「尊敬できない人」からでも、学びを得られる人は本物。
私の恩師はこういっていた。
「尊敬できない人」からでも、学びを得られる人は本物である。
現代では、何かを成し遂げたり、成功を勝ち取ったり、富を得たりするには、「学び」が不可欠となった。
しかし、「勉強」と違って、「学び」は難しい。
コミュニケーション力
リーダーシップ
忍耐力
自制心
やり抜く力
こうした力を他人から学ぼうという時には、最大限、偏見を排して謙虚に振舞うことが必要とされる。
しかし、自分の目的とする能力を、必ずしも自分が尊敬している人が持っているとは限らない。
だから「学歴」といった、偏った指標で人間を評価し、人を馬鹿にするような態度を身につけてしまうと、生涯、学びに苦労することになる。
柔軟な子供の時に、「あの先生は低学歴だから言うことを聞かなくていいよ」などと、子供の前で言ったり、そのような態度を見せたりすることが、いかに危険で、子供の未来を奪う行為か。
いうまでもない。
【著者プロフィール】
安達裕哉
生成AI活用支援のワークワンダースCEO(https://workwonders.jp)|元Deloitteのコンサルタント|オウンドメディア支援のティネクト代表(http://tinect.jp)|著書「頭のいい人が話す前に考えていること」76万部(https://amzn.to/49Tivyi)|
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