「みんな平等に緩やかに貧しくなっていけばいい」
一昔前のことだが、社会学者・フェミニストとして知られる上野千鶴子氏のそんなインタビュー記事が大炎上した。
要旨、日本の人口減少は避けられないので、衰退を受け入れ皆が貧乏になればいいというようなお話だ。
その当否はともかくとして、日本、とりわけ団塊の世代やその前後の人たちは特に、こういった発想をする人が多いと言えば、言い過ぎだろうか。
「誰かだけが楽をしたり、幸せになることが許せない」という思想だ。
結果、足を引っ張り合って皆が不幸になり、貧しくなっていく。
警察官が制服姿でコンビニに行くのは許せない。
バスの運転手が勤務中にお茶を飲むとはけしからん。
自分には1mmも関係ないそんなことで腹を立て、「楽をする」ことを許さず無意味な苦行を強いて生産性や効率を阻害する。
結果、皆で不幸になり、貧乏になっていく。
「おい、先輩もまだ働いてるのに、自分だけ先に帰るつもりか?」
昭和生まれの世代であればきっと、そんなことを職場で言われたことが何度もあるだろう。
「お前だけ先に帰って楽をするなど気に入らない」
という、全く意味不明な“指導”だ。
結果、無意味な心身の疲労が蓄積し、生産性も上がらず「皆で平等に貧しく」なっていく。
そして、そんな日本のリーダーが抱える病理が、未だに社会に根強く染み付いていることを実感する出来事があった。
「頑張っててエライ!」
話は変わるが、自衛隊には「戦力回復」という考え方がある。
先進国の軍隊であれば必ず持ち合わせている概念で、文字通り一人ひとりが最大のパフォーマンスを発揮できるよう、心身の休息や娯楽を仕組みとして組織に組み込む考え方だ。
そのため自衛隊の場合、起床時間である6時よりも早く起き、例えば5時30分から歯磨きをしたり洗顔をしようものならめっちゃめちゃ怒られる。
正規の隊員はもちろん、体験入隊の一般人でさえめちゃめちゃ怒られる。
寝るのも休むのも、適切な「戦力回復」のための大事な仕事だからだ。
始業の1時間前に出社するような社員を「頑張っててエライ」などと褒める勘違いアホリーダーなど、そこには絶対にいない。
軍事組織では、当然の常識である。
人の心身は決して強いものではないこと、また疲労に伴う判断力や戦闘力の低下を定量的に理解していた米軍では、この考え方は先の大戦の時にももちろん存在していた。
そのため、日米最大の激戦地の一つ、ガダルカナル島で米軍は、まだまだ激しい戦闘が続いている中でもテニスコートを設営し、またアイスクリームを製造する機械を持ち込んで兵士に配る。
激しい戦闘であればあるほど娯楽と遊び、休息こそが重要な要素であるためだ。
米軍の宿営地に偵察に出た日本兵は、米兵がアイスクリーム片手にテニスを楽しむ姿を見て、驚愕したという。
当然のことながら、その“余裕”をみた日本軍兵士の士気にも、大いに影響を与えたのだろう。
しかしそれは、実は余裕がないからこそ大事な「戦力回復」というものである。
戦後、もちろん自衛隊でもこの考え方は取り入れられ、徹底される。
2004年から2006年にかけて行われた陸上自衛隊イラク派遣の際には、派遣当初から厚生センター(売店などの福利厚生施設)が現地にも設営され、隊員たちの心身を癒やした。
派遣当初は少しばかりの飲料やお菓子程度だった品揃えが徐々に充実されていき、最後には無料ゲームコーナーや日本との衛星電話、ビール(ノンアル)、映画室やゴルフの打ちっぱなしまで設置されたほどだ。
日々、現地の武装勢力からロケット弾を撃ち込まれるなど極度のストレスに晒されていた隊員にとって、それがどれだけの息抜きになったのか、容易に想像できるのではないだろうか。
余談だが、陸上自衛隊は2006年にイラクを撤収するのだが、その撤収部隊に参加していた幹部自衛官とお話しした時のこと。
「おそらく最後の部隊だったら、厚生センターもかなり充実してたのでしょうか」
「桃野さん、逆なんです。派遣当初こそ充実してたのですが、撤収準備の中で次々に備品・設備が片付けられ、最後には何も無くなるのですから。辛かったですよ…」
「それは思い至りませんでした、撤収部隊ならではの辛さですね。他にはどんなことが辛かったでしょう」
「最後には、メシもすべてレーション(戦闘糧食、缶詰やパックなどのご飯)という日もありました。息抜きはない、メシもレーションとなると、本当にキツかったですね」
ロケット弾を撃ち込まれることでも、命の危険に晒されることでもない。
「娯楽がなくなり、メシの質が落ちること」
それを辛かったこととして挙げられたのが、印象的であった。
人はそれほどに、「仕事だけしか無い環境」に晒されると、容易に心身を壊し、パフォーマンスを落とす。
心身屈強な自衛官でもそうなのだから、一般人ならなおさらである。
「早くに出社して、頑張っててエライ!」
「遅くまで残業してるなんて、キミは本当にマジメだね!」
そんなことを部下に言った事があるリーダーには、ぜひ考えてほしい。
本当にそれは、長い目で見て正しいことなのか。
「なぜまだ仕事してるんだ!」
話は冒頭の、「皆で平等に貧しく」についてだ。
何があって、この病理が未だに社会に根強く残っていると思ったのか。
先日、友人の自衛官と一杯飲んでいた時のこと。
「実は部隊の予算で移動式サウナを買ったんですよ。あ、公費ではなく部隊で積み立てて、皆で買った備品です」
「へー、いいですね、楽しそうです!ちなみに購入の目的は何だったのですか?」
「もちろん戦力回復です」
「…愚問でした、失礼しました!」
「ただこの考え方、なかなか理解してもらえないんですよね…」
聞けばせっかく買った備品なので、地域の公的組織などとの行事やイベントの時にも貸出を打診するのだが、応じるところはほとんど無いという。
「娯楽だから」「遊んでいると思われるから」というような理由だそうだ。
冗談ではない。娯楽も遊びも休息も大事な要素であり、良い結果を出す上では仕事の一部とも言えるほどに重要なことは、先述のとおりだ。
にもかかわらず、娯楽や遊び、休息と思われるようなことはなかなか導入が難しいと考える組織が多いのだという。
こんなものは決して、ストイックとか誠実とかまじめとか、そういうものではない。
長い目で見れば心身を毀損する、人の本質を理解しないエセリーダーの「事なかれ主義」である。
こういう連中が無意味な「外形的マジメさ」を部下に強要し、疲弊させ、効率や生産性を阻害する。
結果として皆が平等に不幸になり、貧しくなっていく。
「イタリア人は遊んでばっかり、休んでばっかりなのに、なぜ日本人よりも生産性が高いのか」
日本と他国を比較してそんなことが言われることも多いが、むしろ逆なのではないのか。
休むと罵られ、遊んでいるとだらしないと叱責される日本社会の風潮がむしろ、長い目で見て私たちの心身を疲弊させ、生産性を低下させているということはないだろうか。
警察官が制服姿でコンビニに行くのは許せない。
バスの運転手が勤務中にお茶を飲むとはけしからん。
こういう連中が一定数、根強く存在する日本社会では、「戦力回復」という概念が今も全く理解されない。
そしてテニスコートやアイスクリームの重要性を理解せず、移動式サウナを拒絶し組織を疲弊させ、長期戦に敗れていく歴史を繰り返しているのだろう。
「休憩室で少し昼寝をしてきたらどうだ」
「定時なんだから、早く帰りなさい」
「子供が熱を出したと言ってたのに、なんでまだ仕事してるんだ!」
そんなことを言えるリーダーが少しでも増えた時こそ、日本はまた生産性を回復し、復活できるのかもしれない。
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桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
私がお酒を飲むのも戦力回復なんです、仕方がないんです!
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