今年の8月はずっと寝てばかりいた。

8月にはお盆の帰省や先祖のお墓参りもある。それらはやってのけたけど、実家ではひたすら横になっていた。私は昼夜を問わず眠り続けた。身体が眠り続けることを許容してくれている、いや、求めているらしく、昼間にどれだけ寝ようとも夜になれば眠りが訪れ、朝もかなり遅い時間まで眠りが持続した。

 

「人間は寝貯めできない」とはよく言われる。けれども今年の私はあまりにも仕事を積み上げ過ぎ、あまりにも働きすぎていた。

ある土曜の昼、ゴロッと横になって自分が疲れ切っていること、今は迷わず休むべき時であることに気付いた。9月に入っても本調子とは言えないが、疲労に気づけたことも、底抜けに休めたのも私にとって幸運だった。休む、というのは簡単なことのようで、しばしば簡単ではない。

 

休めない背景はいろいろある

「自分自身を休ませる」ことには、人によって相当な向き不向きがあるように思う。『ドラえもん』ののび太は、枕を置いてから2秒で眠れるというが、「休む才能」という観点から見ると天才だと思う。

「休む」から怠惰をイメージする人も多かろうし、実際、のび太自身は怠惰かもしれないが、のび太のように「休む」ことができたら、疲労回復は易しいし、免疫機能をしっかり働かせる点でも有利になる。

逆に、簡単に休めない人は疲労回復が困難になり、身体が免疫機能をしっかり働かせる時間が確保できなくなる。

 

なかなか休めない人の、休めない状態のバックグラウンドにはいろいろなものが想定される。

ひとつはごく単純にものすごく忙しく、休んでなどいられない場合。たとえば客商売の稼ぎ時で、一生懸命に働いている最中に眠くなることはあまりない。

戦場で撃ちあいをやっている兵士も同様だ。交戦時間が長引いてくる場合はこの限りではないが、戦いが始まってそれほど時間が経っていない場合には、交感神経が亢進することで、身体が休むよりも戦うこと・動くことに適した状態に自動調整される。

 

しかし、仕事や戦いが一段落したからといって、誰もが必ず休めるとは限らない。

ものすごい量の仕事を抱えていて、そのタスクに忙殺されている人が、職場を離れても、風呂に入っていても、就寝時間になっても、仕事のことが頭から離れなくて休めない、ということは起こり得る。

そうした状態が持続すれば睡眠不足となり、不眠症に陥るだろう。本格的な精神疾患まであと一歩だし、なんなら精神疾患になってしまっているかもしれない。

 

仕事に限らず、ストレスな出来事がずっと頭から離れなくて、そのことばかり考えてしまって眠れない・休めないという事態も珍しくない。

そうした時は、寝床に入っても緊張や不安が抜けきらず、手足が冷えていたり、汗ばんでいたりするかもしれない。こうした状態も長期化すれば不眠症、ひいては精神疾患へと発展していく可能性はあり得る。

 

さきほど、「戦場の兵士は交感神経が亢進し、身体が休むよりも戦うこと・動くことに適した状態に自動調整される」と書いた。

しかし交感神経が亢進しっぱなしでは緊張や不安が抜けず、まともに休めない。

そんな時、交感神経にかわってスイッチオンになるのが副交感神経だ。副交感神経は、休息やリラックスを司る。副交感神経が優位の時には睡眠がとりやすくなり、食事も消化しやすくなる。免疫機能も、副交感神経が優位の時のほうがよく働くことができる。

 

この、交感神経と副交感神経をまとめて「自律神経」と呼ぶことがあるが、世間でいわれる自律神経失調症とは、この交感神経と副交感神経のスイッチングがうまくいっていない状態、特に副交感神経へのスイッチングがうまくいっていない状態を指していることが多いようにみえる。

 

自律神経失調症は、精神疾患としての診断病名としては何も言っていないに等しく、診療情報提供書に自律神経失調症という名前が載っていると眉をしかめたくなる。

他方で、自律神経失調症とどこかで診断されたり指摘されたりした患者さんは、実際問題、交感神経がオンになりっぱなしで副交感神経がオンになりにくくなっていることが多く、「自律神経のスイッチングがおかしくなっている点までは間違っていない」ことが多い。

 

「思考」のトラブルは奥が深い

交感神経/副交感神経という自律神経のスイッチングの問題に加えて、思考の問題もある。

「明日の遠足のことが頭から離れなくてなかなか眠れない」

「悩み事を寝床でも思い出してなかなか眠れない」

といったことは、たいていの人が経験するものだ。

ちょうど、ホリィ・センさんがこのポストでしゃべっているように、「休む」際には「何かについて思考しない」ことがとても大切だ。

身体を横たえていることも大切だが、頭のなかでせわしなく思考が行き来しているようでは気が休まらない。それにつられて交感神経が亢進してくるようなら身体もあまり休まらないだろう。

 

ホリィさんも書いておられるが、余計な思考をしないための方法のひとつとして「身体感覚に注意を向ける」方法がある。

私自身は、なかなか眠れない時には自分の呼吸に注意を集中するようにしている。呼吸を少し止め気味にするのが好きだ。呼吸を少し止め気味にすると、脈拍が少しゆっくりになる。それから肺が自動的に膨らんできて、自動的に空気を吸い込む。

それを続けているうちに、呼吸が意識的なものから自律的なものになっていく。その変わっていくさまを体感するのが心地良い。いつも成功するわけではないけれども、成功することもある。

 

最近知ったが、この呼吸法はアメリカ海軍が採用している自律神経を調整する box breathing (ボックス呼吸)にかなり似ている。また、ある程度まではマインドフルネスにも似ているように思う。副交感神経を優位にしたい時には試してみるといいかもしれない。

 

メンタルヘルスがそれほど損なわれていない場合、こうした方法はある程度有効だと思うし、最悪、一晩眠れなければ次の日には前日よりも眠たくなって眠れることが多い。

しかし世の中には、思考がもっと深刻にトラブルを起こし、それが著しい不眠をもたらしている場合がある。

 

その際たるものが統合失調症だ。統合失調症の症状として有名なのは幻覚や妄想だが、それらもひっくるめて、統合失調症の本態を思考プロセスの障害とみる考え方がある。

統合失調症には不安や恐怖を伴うことも多く、それらが交感神経をオンにしてしまって「休む」が妨げられていることも多い。が、それだけではなく、まとまらない思考が(幻覚や妄想との境目もはっきりしないまま)すごい勢いで頭のなかで回転しつづけて、まともに考えられないのに思考が暴走し続けているような、恐ろしい感覚に見舞われることがあると聞く。

こうした統合失調症における思考プロセスにまつわる症状を、私たちの業界では「思考障害」と呼び、統合失調症の診断と治療において重要視している。

 

双極性障害などでみられる躁状態においても、思考が止まらなくなりがちだ。躁状態の人の思考は高速回転している。

統合失調症の「思考障害」と躁状態の人の思考が高速回転しているさまは、医師国家試験用の問題集においては区別できることになっているけれども、あまりに甚だしい躁状態の患者さんの思考はまとまりを欠いていて思考障害との区別がつかない場合も多い。

 

そして躁状態の思考が高速回転している状態も、当人には制御できていない。

当人は制御できていると主張するかもしれないが、眠ることができないし、立ち止まることもできない。その躁状態が上機嫌なタイプなら、上機嫌と思考の高速回転のまま、社会的喪失をすさまじい勢いで重ねていくだろうし、その躁状態が辛くて仕方がないタイプなら、眠りたいのに眠れない、立ち止まりたいのに立ち止まれない、それはそれで恐ろしい苦しみの境地に置かれる。

 

うつ病の場合、教科書的には思考抑制という症状が有名で、そのとき思考はスローになるとされている。活動できないだけでなく、考えることすら億劫で、考えるための馬力も出ないのがうつ病、という説明は、そこまで間違っていないと思う。

けれどもうつ病の患者さんのなかには、思考にとらわれているケースも多い。重症のうつ病でみられる罪業妄想や貧困妄想と呼ばれる症状、几帳面な人がうつ病になった時にみられる「生きていて申し訳ない気持ち」なども、止めようと思っても当人には止められないタイプの思考だ。

 

そもそも、思考抑制で思考がスローになっている患者さんの場合も、よくよく耳を傾ければ、けっして思考を自由自在にできているわけではないし、「休む」ができているわけでもない。

身体も中枢神経系も疲弊しきっているのに思考自体は止まっていない→よって休めてもいない、みたいな状態はうつ病にもありがちだ。

 

「うつ病には休息が大切」とはよく言われることである。そのために精神科医はしばしば、労務を避けるよう、職場を離れるよう診断書を発行し、会社に提出するよう提案する。

それでパタリと休める人は良い。回復も早いだろう。しかし現実には、職場を離れて自宅療養していても、思考が職場にとらわれていたり世間体にとらわれていたりすることが珍しくない。そんな場合、「休む」はとても難しい。

 

じゃあ、そんな風になってしまったら?

メンタルヘルスという言葉から、「心」をイメージする人は今でも多い。ケースによっては「心」と呼んでよさそうな領域の問題が重要で、そうした領域の問題を心理療法などをとおして整理していくことが肝心な場合もある。

だが、それはそれとして、思考が制御できないとか交感神経/副交感神経のスイッチングができないのもメンタルヘルスの重大な問題だ。

メンタルヘルスという言葉のなかでも、これらはもっと身体的・神経的な問題といえるだろう。そうした問題のウエイトはかなり大きく、「休む」や「思考する」が根本的に障害された時の深刻さは過小評価してはいけない。

 

「思考」を止めたり「休む」を促したりする方法はいろいろある。

ひとつは考えずにいられない環境や休むに休めない環境から自分自身を切り離してしまうこと。昔から転地療養という言葉が存在するが、あながち間違いとも思えない。特に何かに執着していて思考が止まらないような場合は、執着するものに決して手が届かない場所に転地してしまえば事態の解決になるかもしれない。

交感神経がオフになりやすく副交感神経がオンになりやすい、のんびりとした場所なら自律神経を副交感神経優位に切り替えやすく、休むうえで有利かもしれない。

 

そうした転地療養的な対応のきわみに、精神科病院への入院、という方法がある。いまどきは精神科病院でもスマホを患者さんに持たせている類例が多いが、スマホは世間に、ひいては執着に繋がっているので、転地療養的ニュアンスの強い入院治療にあたっては、私は本当はスマホを患者さんに持たせたくない。

ところが今ではあまりにも多くの患者さんがスマホを持ったまま入院しているから、スマホを持たせず、完全に世間離れした場所として精神科病院を提供するのは難しくなってしまった。

 

ただし、あまりにも症状が重く、なんらか行動制限が必要な水準の患者さんが用いることのある保護室という環境は別だ。

保護室は、一般に殺風景だが、その殺風景さが思考が止まらない患者さんには思考を止めやすい環境として幸いする。行動制限が伴うかたちで保護室を使用している場合、スマホの所持も制限されていることが多く、結果的にこれらが入院治療の転地療養的な意味合いを高め、治療の追い風になる場合がある。

そうした時、保護室の殺風景な環境は閉鎖的な環境というより「ほっとする環境」や「気が休まる環境」として体験されるという。

 

してみれば、スマホというのは魔物である。さきほど、転地療養はひとつの手と書いたが、その転地療養先にスマホやPCを持ち込んで仕事の関係者とコンタクトをとったりしていてはほとんど転地療養の意味はない。

思考を渦巻かせる対象から遠ざかることが治療にとって重要な場合、転地療養先から簡単に俗世間に舞い戻れるような通信デバイスは邪魔である。リモートワークなどもってのほかだ。たまに葉書で家族や友人とやりとりするぐらいの距離感のほうが、療養に専念できるように思われる。

 

実際には薬物療法が重要(だが簡単ではない)

とはいえ、誰でも転地療養できるなら苦労はしない。お金も時間もかかるし、たとえば著しい躁状態で転地療養を試みたら、転地療養先で混乱した振る舞いをやってしまい、法外な費用を支払う羽目になるやもしれない。そこで実際には精神科薬物療法の力を借りることになる。

 

では、どんな向精神薬が選ばれるのか?

教科書的には、統合失調症には抗精神病薬が、うつ病には抗うつ薬が選ばれる、ということになる。

医師国家試験の問答集には「双極性障害には炭酸リチウムやバルプロ酸ナトリウム」といったことも記されている。

しかし、そうした記載はそれぞれの精神疾患で基調となる向精神薬のカテゴリーを教えてくれるに過ぎない。確かにうつ病に好適なのは抗うつ薬である。しかし抗うつ薬ならなんでもすぐに「休む」を実現できるとは限らないし、「思考が止まらない」を楽にしてくれるとも限らない。

 

たとえば副作用が多く、安全性でも劣っている三環系抗うつ薬は、現在はうつ病の治療にそれほど多く用いられないが、貧困妄想や罪業妄想など伴うタイプのうつ病の治療ではわざわざ選択されることがある。そうした患者さんの治療に、抗精神病薬が併用されることも少なくない。抗精神病薬は、最近は双極性障害にも頻繁に選択されるようになった。

 

概して、抗精神病薬は「思考が止まらない」タイプの症状に強く、それに伴うトラブルや苦しみを軽くしてくれる。じゃあ、やみくもに処方すればいいのか・必ず処方すればいいのかといったら、そうとも言い切れない。

なぜなら、抗精神病薬にも体重が増えやすくなる・パーキンソン病と同じような症状が出現する・月経サイクルが不順になる、等々のさまざまな副作用が出現し得るからで、万能薬のような感覚で抗精神病薬を処方するのは好ましくない。

 

また、ことに「休む」に関してはベンゾジアゼピン系列の抗不安薬や睡眠薬が活躍する場合もあるかもしれない。ベンゾジアゼピン系列の薬は依存性があるため、長期にわたってたくさん処方するのは現在のスタンダードではない。しかし、絶対に処方しないわけではないし、処方せざるを得ない状態、処方せざるを得ない患者さんは残っている。

海外の治療ガイドラインでも、激烈な興奮を伴う患者さんの場合の治療に、ベンゾジアゼピン系抗不安薬をかなり大量に(ただし期間を区切って)使用することが推奨されていたりもする。

 

が、これもケースバイケースで、激烈な興奮を伴うすべての患者さんにベンゾジアゼピン系抗不安薬を必ず・大量に使うかといったら、そうとも限らない。治療ガイドラインは知っておかなければならないが、事情によってはガイドラインどおりの治療がしづらい場合もある。そうした判断を迫られる場面は、実地の医療ではさほど珍しくない。

 

薬も対応も本当はケースバイケース……だが

今回私は、「休めない」患者さんを「休む」ようにし、「思考が止まらない」患者さんの思考を平穏にするための薬物療法について、意識的に歯切れの悪い書き方で書いた。

医師国家試験の問題集などに比べると、実地の薬物療法にはバリエーションがあり、患者さんそれぞれの事情や体質もあり、Aという精神疾患にA’という治療薬……といったクリアカットな説明にはおさまらない一面を意識していただきたかったからだ。

 

もちろん、治療ガイドラインはとても参考になるし、参考にすべきだが、精神疾患それぞれにみられる「休めない」「思考が止まらない」症状にフィットした薬物選択には相当な個人差もある。お金や時間のことを気にせず、なおかつ転地療養先で混乱に陥らない程度の状態なら転地療養もアリかもしれない。

今回は深入りしなかったが、ADHDの患者さんの思考が、アトモキセチン(ストラテラ)のような専用の薬で整えられる場合もある。

 

しかし、これだけは言えると思う:何日も全く眠れないほど「休めない」や「思考が止まらない」状態で、マインドフルネスや自律訓練法やボックス呼吸ではまったく歯が立たない状態を長く続けるのは絶対に良くない。

そうした状態を薬物療法なしで回復できるに越したことはないが、現代社会で求められるスピード感で治療するとなれば、やはり薬物療法が必要になるだろうと思う。

 

その加減や種類については、つべこべ言っても精神科医が一番ノウハウを持っていると思うので、そうした状態に陥った人はなるべく早く受診を決断していただきたいと思う。

 

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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