今日は、オフラインでは何人かにお話したことがあったけれども文章化するチャンスが無かったことを、オンラインの読者の方にも伝えたくなったのでまとめてみます。

 

アイデンティティには他者が必要。しかし趣味は例外たりえる

いわゆる「何者かになりたい」問題などもそうですが、現代社会を生きる私たちは自分にふさわしいと思えるアイデンティティを求めがちです。

なぜなら、そうした自分自身を規定してくれる構成要素がなければ、たちまち心理的カオナシになってしまうからです。

 

では、心理的カオナシである私達にふさわしいカオとは? そのカオのパーツに相当するのがアイデンティティです。

アイデンティティの主な構成要素は、私の仕事・私の家族・私の友達といった自分に関わりがあり、かつ、自分自身を他人とをアイデンティファイしてくれる諸々になるでしょう。

 

前近代社会では、そうしたアイデンティティの大半は生まれながらのものによって構成されていました。

どういうイエや身分に生まれついたのか、どういう地域の人間なのか、どういう社会関係のメンバーなのか。

 

そうした構成要素は私のものであると同時に地域のもの、イエや身分のもの、ひいてはゲマインシャフトのもので、わざわざ求めるまでもない反面、そう簡単に捨てることのできないものでもありました。

私たちは個人としてはカオナシだったに等しく、他方、イエや地域の一員としては生まれつきカオアリで、アイデンティティに匹敵する立場や身分を持って生まれてきていたのでした。

 

しかし近代以後、とりわけ個人主義が全国に浸透して以後はこの限りではありません。

個人主義社会で暮らす私たちの場合、アイデンティティはあくまで個人的なもので、その多くは誰かからの承認、または社会からの承認を必要とします。

アイデンティティは個人主義の産物であり、どこまでも個人のものであるはずなのに、たとえば友達、たとえば自分の所属組織といったものは自分だけでは決められないのです。

 

ですから、友達みんなにそっぽを向かれたとき、交友関係に根ざしたアイデンティティは成立困難になってしまいます。

仕事にしても、クビになったまま「私の天職」「私に合った仕事」と思い込むのは通常は不可能です。家族でさえ、最近は離婚など珍しくなくなり、誰もイエのような旧来のシステムを省みなくなりましたから流動的で、あてになりません。

 

こんな具合に、アイデンティティの成立には意外なほど他人または社会からの承認が必要で、それ抜きでアイデンティティを強引に成立させようとするなら、現実を無視し常人離れした思い込みの強さが必要になってしまいます。

 

他方、他者からの承認が(比較的)薄くてもアイデンティティにできるかもしれないものもあります。

趣味領域のアイデンティティ、それからコンテンツ自身をアイデンティティとする場合です。「推し活」をアイデンティティのよすがとする場合もそうでしょう。

 

よほどひどいことをやらかしてファンクラブから追放されるとか、他のファンすべてから総スカンを食らうとかでない限り、趣味領域やコンテンツのアイデンティティは、他者からの承認を必要としません。

いいえ、他のファンすべてから総スカンを食らっていてさえ、自分がファンだと思いこんでしまえばなんとかなるでしょう。

「同人作家」や「web小説作家」といったアイデンティティを獲得しようとする場合、趣味領域といえども他者からの承認がなければ成立困難かもしれませんが、単に何かのファンであるだけなら自称するだけで自分自身の構成要素の一部にできます。

 

長い付き合いのコンテンツは、もう人生の一部じゃないか

そうしたうえで、『ガンダム』シリーズのファンや、『ポケモン』シリーズのファンのことを考えてみてくださいよ。

アイデンティティについてまともなことをまともに語る人は、たぶん、こうした趣味領域のアイデンティティ、とりわけIPとして名前が挙がるようなコンテンツをアイデンティティとしてあまりあてにしないというか、真面目に取り合わないんじゃないかと思います。

 

しかし、私のSNSのタイムラインなど眺めていると、『機動戦士ガンダム』シリーズのことを延々と、それこそインターネットの黎明期から今日までずっとずっと話し続けている人がけっこういるわけです。

最新作である『ガンダムジークアクス』が放送された今年の上半期などは、大変な騒ぎでした。

この国には『機動戦士ガンダム』シリーズのことをずーーーっと追いかけてずーーーっと愛好している人が相当な数、実在していると言えます。

 

『ポケットモンスター』シリーズだってそうですよね。初リリースから四半世紀以上の歳月が流れ、親子でポケモンという家庭はまったく珍しくなくなりました。

『ガンダム』同様、『ポケモン』をずーーーっと追いかけてずーーーっと愛好している人の数は相当なものです。

しかも『ポケモン』はガンダム以上にグローバルなIPです。10月16日に発売された最新作『Pokémon LEGENDS Z-A』もきっと売れるでしょう。

 

アニメや漫画の世界でも、ゲームの世界でも、ロングランシリーズを思春期から何十年も追いかけている人はどこにでもいる存在です。

それを言ったら昭和時代からずっと読売ジャイアンツや阪神タイガースの応援をしている野球ファンだってそうですし、芸能活動の応援だってそうでしょう。

そうした息の長いファンたちにとって、ファン活動の対象、趣味の対象はどう見ても人生の一部ですし人生を駆動させるクランクシャフトの一部として機能してきたでしょう。

ファン活動や趣味活動をとおして友達をつくったり、伴侶と巡り合ったりすることも今日日はよくあることです。

 

そういった影響まで考えた時、私は「ガンダムがアイデンティティ」とか「ポケモンがアイデンティティ」といった物言いはそれほどおかしくないように思うのです。

 

ガンダムやポケモン、芸能やプロスポーツが掬っている心理-社会的役割は大きい

今日は、そこからもう一歩先も考えてみましょう。

そうしたアイデンティティの宛先になるようなコンテンツ、活動、活躍を引き受けている人達が社会のなかで果たしている役割って、実はすごく大きくありませんか。少なくとも私はそのように考えます。

 

この個人主義社会において、誰もが絶対に他者からの承認を介したかたちで自分自身の輪郭を定めなければならず、自分自身のアイデンティティをそうして組み立てなければならないとしたら、それは結構つらいことだと思うのです。

それができる人もいらっしゃるでしょうし、そういう人は「簡単じゃん」ってうそぶくでしょう。

でも、いつでも誰でも簡単に……ってわけにはいかないと思うのです。

 

ところがガンダムやポケモンやプロスポーツ団体などは、他者からの承認ぬきでアイデンティティを提供してくれるのです。

そのために必要なのは、コンテンツを選ぶこと、あるいはファン活動や推し活や応援を行うことです。

もちろん、それらは商品でもあるので大小のお金をファンに要求するでしょうし、「商品なんてアイデンティティの宛先としてはダメだ」と指摘する人の声も聞こえてくる気がします。実際、あこぎな商売をしているとおぼしきコンテンツがないわけでもありません。

 

他方、良心的なコンテンツやIPはそこまで多くの経済的対価を搾取することなく、たくさんの人に夢を与え、娯楽を提供し、そうしたことをとおしてアイデンティティの構成要素まで提供してくれています。

世に広く知られ、何十年にわたって永らえているコンテンツやIPは、基本的にはそこまであくどくないと思っています。

あくどくないビジネスをとおしてたくさんの人にアイデンティティの構成要素を提供してくれている、あの会社とかあの会社とかは、実はすごく社会に貢献していると思いませんか。

 

夢を与えるとか、楽しみを与えるとか、そういう仕事は軽んじられることも多く、コロナ禍の最中には「なくてもいい仕事」だなんて言う人もいました。

ですが、そうしたコンテンツ産業やエンターテインメント産業が私たちに提供してくれる心理-社会的価値は本当はかなり大きく、それで救われている人は少なくないのです。

私自身も含めて、ずっとガンダムに生かされてきた人、ポケモンに救われてきた人が今の日本にはたくさんいます。いや、世界じゅうを見渡してもそうした人はたくさんいるでしょう。

 

今の日本にはそうしたコンテンツがたくさんあり、ときにはコンテンツに耽溺しすぎだという批判が集まったりしますが、人は、食料や医薬品だけを消費して生きているわけではありませんし、アイデンティティは仕事や肩書きや人間関係だけから構成されているわけでもありません。

アニメでもゲームでもプロスポーツでも芸能でもそうですが、長く愛され、長く話題になって、永らえているってことは経済的にすごいだけじゃなく、心理-社会的にみてもすごいことだと思うのです。

 

私たちは個人それぞれがアイデンティティを獲得・確立しなければならない社会を生きていて、なおかつ、誰もが十全に仕事や肩書きや人間関係だけをとおしてアイデンティティを獲得できるわけでもないのですから、こうした領域が人間を支えている要素、ひとりひとりがひとりひとりであるために貢献している側面は、もうちょっと真剣に検討されてもいいと思うのです。

今日は、こうしたことを伝えたい人の顔が頭に浮かんだので、ガンダムアイデンティティやポケモンアイデンティについての話を言語化してみました。

たかがユースカルチャー、されどユースカルチャーですよ。

 

 

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo:Michael Rivera