ひねくれ者のせいか、私は昔から、ドキュメンタリー映画やそれ系の物語が、全く好きになれない。
例えば、人気バラエティ『月曜から夜ふかし』でおなじみのフェフ姉さん。
自堕落だった彼女が心を入れ替え、キックボクサーを目指し過酷な練習を重ね、プロテストのリングに上がるお話だ。
必然的に視聴者は、彼女が対戦相手をKOし見事プロデビューを果たして欲しいと願う。
少なくとも、そう誘導する構成になっている。
だがこれは、どう考えてもアンフェアだ。
フェフ姉さんに勝って欲しいと願うことは、すなわち対戦相手の負けを願うことを意味する。
しかし対戦相手にだってフェフ姉さんと同様に、人生やキックボクシングに賭ける熱い想いがあるだろう。
デビューへの想いやこれまでの努力などの情報が偏る中、一方的なドキュメンタリーに感情移入し相手選手の負けや悲しみを願うことなど、できるわけがない。
その延長なのだろうか。
最近の高校野球には、何か言葉にできない漠然とした違和感がある。
「自分の住む都道府県、あるいは出身都道府県の代表を応援する」
ことに対する、そこはかとない違和感である。
もちろん人は、本能的になんらかのコミュニティに帰属意識を持つ生き物だ。
郷土愛という自然な感性の延長で、属性の近いチームを応援したくなる感情があって当然である。
だからこそ、サッカー日本代表の試合なども多くの人が熱狂し、応援する。
しかし最近の高校野球には、そういった想い入れが、少なくとも個人的には全く機能しない。
この違和感の正体は、一体何なのだろう。
「結婚してくれなきゃ死んじゃう!」
話は変わるが、昭和に子供時代を過ごした世代が好きなアニメと言えば、『ドラえもん』を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
大山のぶ代さんの時代で、今のように洗練されたアニメではない。
どこかアナログタッチな絵柄だが、娯楽の少ない時代には誰もが夢中になって観ていた、思い出深い作品の一つだ。
そんなドラえもんについて、子供心に今も一つ、どうしても納得できない話が強く印象に残っている。原題「プロポーズ作戦」である。
少しだけ、要旨をご紹介したい。
ある日の夕食時、ママの玉子はご機嫌で料理を作っている。
のび太とドラえもんがその理由を聞くと、今日はパパとママの12回目の結婚記念日で、そのお祝いのディナーを作っているということだった。
やがてパパも帰ってきて、家族4人で幸せな食卓を囲む野比家。
するとのび太は、両親にこんなことを聞く。
「二人が結婚した時のことを聞かせて!」
「いいわよ。パパがね、結婚してくれなきゃ死んじゃうって言ったの」
「何いってんだ、あべこべだろ!結婚してくれと涙を流して頼んだのは君じゃないか!」
やがて激しい口論になり、収まりがつかなくなる。
そのためドラえもんが二人をうそ発見器にかけるのだが、どちらも嘘をついていなかった。
真実を調べようと、二人が婚約したというデート記念日にタイムマシンで向かうのび太とドラえもん。
そして若き日のパパとママが、公園で待ち合わせをしているシーンに降り立つ。
しかし、約束を1時間過ぎても現れないパパにママがイラついており、かなり空気が悪い。
するとそこに慌てて走ってきたパパがとんでもないことを口走る。
「やあ玉子さん、遅れてごめんなさい!時計が狂っちゃってて。これだから安物は困るんだ。ハッハッハ」
「…それは私がプレゼントしたんですけど」
こともあろうに遅刻の理由を、ママからのプレゼントである“安物腕時計”のせいにしてしまったのだ。
怒ったママは、帰る素振りで駆け出す。
さらに事態は紆余曲折し、お互いに誤解を重ね、パパ、ママともに別れた途端に新しい相手を見つけたと思い込んでしまう、最悪の展開になった。
「まずい、このままではキミが生まれなくなるぞ!」
「なんとかしてよ、ドラえもん!」
するとドラえもんはひみつ道具『ヒトマネロボット』を取り出し、パパに変身させるとママの下へ行かせて謝罪させ、こんな言葉を言わせた。
「結婚してくれなきゃ死んじゃう!」
そして次にママに変身させ、パパの下へ行かせると涙ながらに、こんな言葉を言わせた。
「どうか私をお嫁さんにして…」
こうして二人は仲直りし、お互いがお互いにプロポーズした形で(※どちらもしてない)結婚し、無事にのび太が生まれることになる。
そしてめでたしめでたしで、タイムマシンに乗り現代に戻る。
果たしてこれは、本当に“良い話”なのだろうか。
「感動ポルノ」など、もはや通用しない
当時、子供心に納得できなかったのはこんな想いだ。
「のび太とドラえもんって、パパとママが仲直りせず、別の人と結婚してた時に生まれたであろう子供の人生を抹殺してるやん」
のび太目線で見れば確かに、自分が生まれることになって良かったのかもしれない。
しかし、もしドラえもんが小細工しなければ、パパとママにはそれぞれ違う人生があり、違う家族があったはずだ。
それを乱暴にぶち壊した、自分勝手な行為やないんかと。
それから随分と年月がたった今も、そんな想いは変わらない。
誰にだって、成長の過程の未熟さ故に素直になれず、あるいは大事な局面で大事な言葉を伝えることができず遠い想い出に変わってしまった、苦い恋愛の一つや二つがあるだろう。
そんな過去のどこかに未来から干渉し、自然な人生の流れを別物に上書きするなど、大きなお世話というものだ。
“のび太くんのため”という、特定個人の為にチートまでやらかすドキュメンタリーなど、迷惑でしかない。
人生は、”選んだ未来に責任を持つゲームの連続”なのだから、当然だろう。
だからこそ、特定の人の価値観や見方で切り取ったドキュメンタリーは、好きになれないということだ。
フェフ姉さんの人生と頑張りはわかったけど、対戦相手の想いや頑張りはどうなの?と、しらけてしまう。
そして話は、最近の高校野球についてだ。
今の高校野球は、かつてのような“郷土の代表”という色彩は失われ、私立の強豪が全国から、有望な子供たちを特待生として集めている。
中には、地元出身の子供が一人もレギュラーにいないチームすら、珍しくない。
こうなると、学校や保護者、選手を含む高校野球のプレイヤーにはもはや、学校所在地の都道府県を代表する意識など、ほとんど無いだろう。
にもかかわらず、高校野球は今も、こんな建前で運営している。
“都道府県を代表する、若人たちの祭典”
“高校生たちの無垢で無欲な部活動”
しかし実際に、そこから見え隠れするのは学校経営者や指導者、主催者の利益といった、「大人たちのドキュメンタリー」でしかない。
子供たちの爽やかな挑戦という角度で切り取った、“観せたいドキュメンタリー”の裏、本当のドキュメンタリーである。
そんなもの、誰が観たいものか。
だからこそ稀に、地方の公立高校で地元出身の生徒ばかりのチームが勝ち上がると、都道府県に関係なく多くの人がその高校を応援し始め、話題になる。
それこそが、出身地や居住地の高校を応援しようという気持ちが機能しなくなった、大きな理由なのだろう。
つくり手が観せたい形ばかりのドキュメンタリーなど、もはや通用する時代ではない。
「感動ポルノ」というネットスラングが生まれ、定着したのは、そんな風潮を嫌ったからではないのか。
古いオッサン世代のやり口など、若い人たちはとっくに見透かしていることを、真剣に受け止める必要があるということだ。
余談だが、のび太のパパとママの“プロポーズ記念日”は、昭和34年11月3日である。
今の40~60代は、それほど前の時代の漫画で育っていることになる。
新しい知識、情報、価値観に本気でアップデートしついていかないと、すぐに第一線からパージされるに決まっている。
過去の経験や成功など忘れ、危機感を持って時代に適応していかなければならない。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
偉そうな事を書きましたが、正直、ガンダムではやはり連邦を応援してしまってました。
アムロがんばれー!とか言ってしまってたことをここに告白し、お詫びします。。
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