これまでのあらすじ

軽い血便が一回あって、「40歳半ばになるのに一回も胃カメラも大腸内視鏡もやったことないな」というお気楽な気持ちで検査。結果、大腸にやや大きめのポリープが一個あり、生検検査送りになったところ、「癌疑い」の結果。すぐに市大病院送りに。

中年の異常な執念、あるいは私は如何にして大腸内視鏡検査を受けるようになったか

お気軽に大腸内視鏡検査受けたら癌疑いの診断が出た話

希少がんがほぼ確定して地獄のなかにいる

 

市大病院であれこれの検査をしたところ、NET(神経内分泌腫瘍)ではないかということになった。

ほぼ、そうなった。NETは「希少がん」(国立がん研究センター希少がんセンターではそう分類している。「人口10万人あたり6例未満」らしい)の一つで、希少ながんだ。

希少だからといって即悪性度が強いわけではない。とはいえ、ふつうのがんと同じように悪性度が低い場合もあれば、高い場合もある。高ければ死ぬかもしれない。

 

CTもやった、PET/CTも検査専門病院でやった。最初のクリニックの病理検査で「カルチノイドではない(なので「癌疑い」)」とされたサンプルも、大学病院で取り寄せて再度検査された。

その結果が10/20に言い渡される。それと同日に、手術のことも言い渡される。おれはその日を非常におそれておかしくなってしまった。そんなことを前回に書いた。

 

希少がん宣告

おれははじめ、早く10/20が来てほしいと思っていた。とっととおれの希少がんの進行具合や転移について知らせてくれ。どんな手術をするのか、人工肛門になるのか、それとも手術も手遅れの状況なのか知らせてくれ。早く終わらせてくれ。そう思っていた。

が、10/20が近づくにつれて、だんだん気持ちが逆になってきた。ようするに話を聞くのが怖くなってきた。想像はより悪い方へ悪い方へ進むことは多くなったし、抑うつの感覚はより強まっていった。正直に告白すれば、酒を飲んでいなければやっていられなかった。

 

が、当日は意外に落ち着いていた。朝、起きることもできた。コーヒー一杯飲んで、自転車で市大病院に向かった。少し寒くなってきていた。おれはユニクロのロングTシャツに、ユニクロの黒いジャケットを着ていたと思う。

ずいぶん早く到着した。ずいぶん早く到着するのも予定通りだった。病院内のカフェコーナーで、またコーヒーを一杯飲んだ。朝から市大病院は人でいっぱいだった。このなかにはおれよりもずっと軽い人もいるだろうし、おれと同じくらいの人もいるだろうし、おれよりもはるかに重い病気の人もいるのだろう。傍目にはわからない。

 

トイレに行ったあと、診察室近くの待合席に行く。ほとんど埋まっている。今日はやけに人が多くないか? ここで待っていて、ポケットベルが鳴ると中待合というさらに診察室に近い席へ移動する。

予定の時刻は11時。ぜんぜん鳴らない。まあ、混んでいるし。iPhoneを見ながら時間を潰す。少し緊張はある。だが、「いつ呼ばれるのか」というおれならではのどうでもいいことに対する緊張も大きかった。

 

そのまま30分が過ぎた。この日は2つ予約が入っていて、11時から内視鏡科で結果を聞き、11:30から外科で手術の話という段取りだった。が、外科の時間がきてしまった。「もし、先に外科のコールが入ったらどうしよう」などと、また余計な心配を始める。

それからさらに15分後くらい、ようやくアラームが鳴った。順番通り。中待合に行く。

 

中待合に座っていると、廊下の方から男性の怒鳴り声が聞こえてきた。完全にブチギレている人間の声だ。院内放送で「2階◯窓口でV案件発生」と流れる。V案件だったかな? なにかヴァイオレンスを感じさせたと思う。

すると、診察室から男の医師などが出てきて、そちらに向かう。廊下の方を見ていると、警備員が向かうのも見えた。病院にはこういうこともありがちなのだろう。少ししたら、また放送で「2階案件解除です」と流れた。

 

そんなことは、どうでもいい。中待合でもしばらくまった。ようやく、呼ばれる。ノックしてドアを開ける。中田翔に似た医師が座っている。「こんにちは」と、荷物を置く。

ここからは言われたことの内容も、口調も、順序も再現できない。やはり聞くことで精一杯で、記憶にまで気が回らなかった。

 

最初に言われたのは、クリニックで採った最初の生検についてだったと思う。

「うちで調べたら、やっぱりただのNETでした」という。

これでMiNENとかいう超レアで予後もよくないやばい混合状態ではないということになった。そして、診断書を渡されながら、「NET G1」という診断だと言われた。G1は悪性度を示す。ほかに小さな字で「Ki-67陽性率は3%未満」というのも見えた。なにかWHOの基準だったはずだ。あまり重くないのではないか?

 

が、医師は重いとも軽いとも言わなかった。

「というわけで、このあと……外科の予約とってあるね。時間過ぎているけど、向こうも遅れているから大丈夫」と言われた。

 

「じゃあ、こういうことで」。

「はい、わかりました」。

おれは部屋を出た。こちらから「これからどうなるのですか?」などは聞かなかった。聞けなかった。いずれにせよ、すぐにわかる。

 

部屋を出て、とりあえず書類をバッグに入れてトイレに行った。我慢していたのだ。おれが用を足していると、隣に一人立ったのだが、どうもそれは先ほどの中田翔似の医師ではないかと思ったのだが、とくに待って声を掛けることもなかった。

所見をメモしておこう。

Rectum
Neuroendocrine tumor, G1

所見
直腸Rbからの生検検査2個が提出される。
組織学的に、いずれの検体においても、類円形核を有する腫瘍細胞が充実胞巣状あるいは管状、リボン状に増殖している。核分裂像は目立たない(0個程度/2mm^2)。免疫組織化学的に腫瘍細胞はSynaptophysin(+)、Chromogranin A(-)、CD56(+)を示す。Ki-67陽性率は3%未満(hot spot)である。Neuroendocrine tumor(G1)である。

ん、これはなんというか、正式ながんの告知というものではないだろうか。格式張ったというか、ドラマチックに「あなたは、希少がんです」、「(リアクション略)」、みたいなものはなかった。

現実とはそういうものだろう。人によっては「先生、ちょっとドラマっぽく言ってください」とか頼む人もいるかもしれない。いや、いないか。

 

手術の方向性

さて、また待合に戻ったおれは、iPhoneを取り出すと「NET G1 予後」、「NET G1 手術」、「NET G1 人工肛門」などで検索しまくった。

しまくったところでわかりはしない。ただ、読んでいないと落ち着かない。読んだところで落ち着かない。しばらくすると、いったん飽きた。そのくらい待った。

今日は患者の多い日だ。「なにかのミスで予約が忘れられているのではないか」などとまた余計な心配にも襲われる。それでもコールが鳴らないので、今度は「ストーマ(人工肛門) 援助」、「ストーマ 身体障害者手帳」、「ストーマ 費用」などと検索を始めた。

 

すると、ようやくコールが鳴った。中待合。こんどはわりと早く呼ばれる。ノックして室内に。「失礼します」。

また同じことを書くが、やりとりの詳細については覚えていない。こういうとき、録音などしていいのだろうか。病院ルールとしてアウトだろうか。まあいい。

 

外科の医師とは初対面だった。若くてさっぱりした印象を受ける。

何面かのモニタにはおれの電子カルテ的なものや、腸内の画像が映し出されていた。

 

「最初はなんで?」というようなことを聞かれた。最初というと、最初の最初のことだろうか。

「軽い血便がありまして、この歳になって一度も胃カメラも大腸内視鏡もやったことなかったので、ちょっと受けてみようと思ったんです」と言う。

 

すると、医師は「自分も45歳なんですけど、このくらいの歳になって受けて見つかる人いるんですよ」とのこと。

ほぼ同世代だった。そうか、このくらいの年齢が大腸でなにか見つかるお年頃なのかと思う。

 

診断はつづく。なにやら決定したことを告げられるだけかと思っていたら、モニタにいろいろの資料を映し出したりしつつ、考えているようにも見える。

おれが人工肛門になるのかどうか、まだ決まっていないのか? とはいえ、いまからおれがなにか言ったところで結果が変わるわけでもない。医師とサポートする看護師のやりとりを聞くだけだ。

 

ポリープの画像が映し出される。

「写真だと大きく見えますが11mmなんですよね」。

おれは核心に近いことを聞く。

「肛門からの距離はどのくらいですか?」。

肛門から近ければ人工肛門の可能性が高い。その目安は6cmのはず。「うーん、画像だとわかりにくいですが、3~4cmくらいですかね」。「近いですね……」。

 

医師は診断書の紙になにやら手書きで書き出す。字はおれくらい汚い。「神経内分泌腫瘍」と書いた。

「G1」「G2」と書いて、「G1」に矢印を書いた。神経内分泌腫瘍でG1です、とのこと。それは知っている。

さて、その次だ。「リンパ節に転移しているので切除します。切除はロボットを使います。うちの手術はだいたいこれです」。ロボットとはDaVinciのことだ。あれを使うのか。いや、使うのだろうけど。

 

そして、大腸の絵を描いて、「こことここを切ります。一時的に人工肛門を作ります」。……人工肛門の一時造設!

人工肛門か否かはひたすらに考えていたが、一時造設というのは正直考えていなかった。そういうものがあるのも、一時造設した人が閉鎖したとかいうブログも読んだことはあったが、自分のケースに適応されるとは思っていなかった。完全に抜け落ちていた。

 

「閉鎖の手術はあまりたいへんではないのですが、閉鎖のあと頻便になります」。

なんと、閉鎖後(人工肛門を閉じて普通にもどったあと)の話を始めた。

 

「自分、今でも普通に一日4、5回くらいのお通じがあるので」などと言ってみる。

「いや、一回行ったら何度も行きたくなるようなもので。でも、これも三年後くらいにはおさまる傾向にあります」。

 

いや、これ、「三年後」だったか自信はない。三ヶ月後だったかもしれないし、半年かもしれないし、一年かもしれない。ただ、自分の記憶では三年とかいうものだった。動揺は否めない。

 

その後、「ちょっと触診してみますね」ということになった。「え? いきなり」と思った。

診察室にベッドがあって、お尻を出して横になってくださいと言われる。そのようにする。「入れますよ」と言われて、なにかぬるぬるが塗られた手袋の指が入ってくる。

こちらはなんの用意もしていないし、なんなら少し便意があったくらいだ。かなりの緊張があった。ずぶずぶ尻の入口を触られる。苦しい。

 

が、終わったあと、カーテンを閉められて、医師のこんな声が聞こえた。

「この距離なら肛門温存できそうです」。なにかこう、心から救われたような気になった。

 

そのあと、よその検査病院でMRIを受けることなど聞いて、手続きをしてこの日は終わった。10/24にMRI。11/5に手術前の最終診察という予定になった。

 

今の心境

おれは死ぬということよりも、具体的に人工肛門が怖かった。そのことは書いてきたとおりだ。死へのイメージが足りなすぎるかもしれないし、人工肛門を恐れすぎているのかもしれない。でも、そのあたりは人それぞれの感覚、価値観だろう。

 

結果、人工肛門の一時造設となった。これはなんなのだろうか。聞いた瞬間は「九死に一生を得た」と思った。が、一時とはいえ三ヶ月から半年は人工肛門で過ごすことになる。閉鎖後も、頻便などいままでどおりとはいかないかもしれない。

 

それに、手術もある。開腹手術ではなく、ロボット支援によるものとはいえ、腹になにかが突っ込まれて、切ったり貼ったりする。人工肛門も作る。おれは基本的に病院を信頼しているが、なにかがないとは言えない。

あるいは、「実際に中を見てみたら、永久人工肛門です」という可能性もある。まだまだ安心はできない。

 

このようなことになった思い浮かんだイメージは、「休戦協定」というものだ。

こういうことに戦争を比喩に使うことが適切なのかどうかわからないが、他の比喩が思い浮かばなかった。おれの体内でNETという反政府勢力が活動を始めていた。リンパ節の一部なども支配下におさめていた。そこに、大腸内視鏡検査などの偵察が入った。NETの活動が発見された。

 

できることなら、NETの勢力を武力攻撃によって一掃したかった。が、NETもそれなりに育っていた。ここで、医師という仲介者による交渉が始まった。結果として、「一時的な人工肛門の造設」というところを条件として、休戦した。

休戦。そういう印象がある。再発、というものもある。終戦ではない。がんとの戦いは死ぬまで終わらない。いや、五年で寛解だったかもしれないが、そのイメージはまだ抱けない。

 

自分の知らない間に、自分の身体の中で戦争が起こっていた。自分の身体のなかのことなのに、まったく気づいていなかった。一度の血便があったとは言ったが、べつに「痔だな」といってやりすごしていた可能性もある。

たまたまそんな話をLINE通話でしていたら、相手が自分の会社の近くのクリニックを調べて、「今すぐ予約入れなさい」と言わなかったら、今、このときも、おれは大腸についてなにも考えずに過ごしていただろう。たまたま、あのとき、ノリで、「じゃあ予約するか」とならなかったら、こうはなっていなかった。

 

「こうはなっていなかった」という言い方にはやや自分の迷いがある。

大腸内視鏡検査を受けていなかったら、通院も検査も手術もなく、普通に過ごしていたかもしれなかった。普通に過ごして、なにやらべつの原因でさっさと死んでいたかもしれなかった。そういう思いがないわけではない。

 

おれは、おれの事情をもって、「ある年齢になったら大腸内視鏡検査を受けたほうがいいです」、「できるだけ早めにがん検診はしたほうがいいです」と言う気は「ない」。逆に「がん検診なんてしないほうがいいですよ」と勧めないという気も「ない」。それぞれが自分の価値観にしたがって行動すればいい。そこは考えてほしい。

 

ただ、おれの事情を読んで、受けようと思った人がいれば、なんとなくうれしい、というのは否定できない。

なにやら最悪の状態で無条件降伏するよりは、条件付き休戦のほうがましではないか。そのように思う。おれのような独り者はどうでもいいが、養う家族などがいる人にとっては大きな問題だろう。

 

まあ、というわけで、診断の結果と手術の方針という一応の一区切りはついた。しかし、これはなにか? 終わりか? 終わりではない。始まりだ。治療への始まりだ。できることならば、このあとも、入院、手術、人工肛門について書いていきたい。

それも、おれと同じような目にあっているやつの参考に少しでもなれば悪くない気がするからだ。この世にはおれ程度に苦しんでいるやつもいるだろうし、そういうやつにはおれ程度の体験談が助けになるかもしれない。そのように思いたい。

 

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

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