もうずいぶんと昔、西オーストラリアの州都・パースに行った時のことだ。

シドニーやケアンズに比べ知名度が低い気がするが、インド洋に面した砂浜が広がる美しい都市である。

豪州大陸の最西部で、歴史的にヨーロッパが入植を開始した拠点になった街といえば、ピンと来る人も多いだろうか。

「欧州の流刑地」としてのオーストラリア、まさにその始まりがこのパースだ。

 

17世紀の末、オランダ人船長が初めてこの地に上陸してから300年余り。

先住民を虐殺・支配するなど、大航海時代の象徴のような歴史が刻まれているパースに興味を持ち、シンガポール経由でバックパッカー的な安旅行をしようと思い立ったのが旅の始まりだった。

 

もう20年以上も前のことなので、今もそうなのか正直わからない。

当時のパースは「世界一住みやすい街」と称えられ、街中を流れるスワン川流域には誰でも無料で使えるBBQコンロが設置されているなど、ちょっと日本には無いような“高級都市”だった。

 

そのスワン川流域の高台では当時でも、200平米(≒60坪)ほどの家ですら日本円で1億円以下では買えないと現地の日本人から聞き驚く。

「流刑植民地」「先住民を駆逐しできた街」

そんなキーワードからおよそ想像もできないほどに、高層ビル群と高級住宅街が併存する、ちょっと不思議な街である。

 

とはいえ、そんな「高級都市」にももちろん、“裏通り”というものがある。

1泊4000円くらいだっただろうか、チャイナタウンにある安宿を拠点に1週間ほど滞在した。

昼・夕食などあろうはずがなく、かろうじて朝食だけ、宿代の範囲内で喰わせてもらえる。

 

とはいえ、パンとスクランブルエッグだけの“ビュッフェ”を、会議室のような机とイスで食べるスタイルだ。

滞在中メニューが変わることなどなく、エサを与えるようなスタイルが逆に清々しい。

 

街の中心であるパース駅までは、徒歩で25分ほど歩いた。

空気を感じたかったので夜な夜な、駅近くのパブにも繰り出す。

「Chinese?」

「No, Japanese」

キャッシュオンデリバリーのBARカウンターでビールを注文すると、必ずそんなことを聞かれる。

白人男性が、蔑むような笑いを浮かべる。

 

(KoreanかChineseと答えたら、どんな顔をするのだろうか…)

そんなことを思いながらふと、1年ほど前のことを思い出していた。

 

「選択肢などありません、やらせて下さい!」

久しぶりのバックパッカー的な海外旅行に行きたくなったのは、大きな仕事に一段落をつけることができたからだった。

今だから言えるが、私の20代など、ろくな人生ではなかった。

 

新卒で入った大和証券を数年で逃げ出し、1990年代末から始まった“ITバブル”で一攫千金を夢見て、IT企業に転職する。

CFOとしてVC(ベンチャーキャピタル)などから6億円ほどの出資をお預かりしたが、3年ほどで全て溶かした。

 

会社が立ち行かなくなると、出資をして下さっていたVCの担当者さんに泣きついてまわる。

「恥を忍んでお願いします。私が役に立てそうな再就職先を紹介してもらえないでしょうか」

 

当然のことながら、誰も相手にしてくれない。

そんな中で唯一、あるメガバンクの投資部長だけが大阪・本町のベローチェで話を聞いてくれた。

「率直に言うけど、ウチを含めてあれだけの投資を溶かしたんやで。桃野くんの信用も地に堕ちてるに決まってるやん。再就職先の紹介なんか無理や」

冷酷ではあるが当たり前の言葉に、コーヒーがただただ苦い。手元を見詰めながら、無意味に手指を持て余す。

 

投資部長は、親子ほども年齢の離れた人だ。

若い頃にはNY支店にも配属されるなど、同期のエース級だった経歴を持つ。

上海支店長も務めたそうだが、しかし何かの事故で左遷され本線を外れたと聞いたことがあるものの、詳しくは知らない。

 

「だけどな、俺も人生でいろいろあったねん」

そういうと、苦労が刻まれた彫りの深い笑顔を崩し、何かを思い出したように一気に話し始める。

「一回の失敗で終わるような日本の文化、俺は好きじゃない」

「…」

 

「ウチの大口投資先で、法的整理寸前の会社がある。目先は資本注入で乗り切ったんで、債務超過は解消されてるんや。でも、キャッシュフローは大幅なマイナスや。この意味わかるよな?」

「はい、時間の問題ということですね」

 

「そうや。そこでも良ければいくか?ただ桃野くん、バツが2回つくとさすがにもう、CFOとして再起不能やで」

「やります、選択肢などありません。やらせて下さい!」

“しているフリの仕事”

そんな経緯で、若干29歳にして従業員800名を超える会社の役員に就いた。

しかしながら、歴史ある会社でもあり、8名いる役員は全て親子ほども年の離れたオジサンばかりである。

加えて私は「大口出資元から送り込まれたスパイ」という構図でもあり、まともな意思疎通すら困難だった。

 

しかしCFOとして2回会社を潰せば、もう人生に後はない。

遠慮なんかしている場合ではなく、初日から全力で仕事に取り組む。

 

最初に明らかになった大きな問題は、誰も定量的に経営を把握していないという、ちょっと信じられない状況だった。

製造部長は、製品の原価構造を全く把握していない。

営業部長は、工場の損益分岐点になる稼働率が何%であるのかも把握していない。考えたことすら無い。

生産総数は大きく変わらないのに、月ごとに労務費が10%以上変動する理由も、誰も説明できなかった。

 

そんな状態では、「なんとなく頑張っている感」を出すことが社員の仕事になり、「なんとなく指導している感」を出すことが上司の仕事になる。

それでも「明日会社が潰れるわけではない」ので、皆がそれぞれの“居心地の良い”仕事に逃げ込み、余計なことなどしなくなる。

数カ月後には確実に、その居心地の良い場所がぶっ壊れるにもかかわらずだ。

 

そんな会社に、全ての数字を可視化し、定量的に仕事の工程管理を求めるようなCFOが闖入した時の雰囲気が想像できるだろうか。

「既存顧客のケアに精一杯で、新規開拓に回せるリソースがないんや!」

「熱源を電気からガスに変えたりしたら、シフトを一から組み直さんとあかんやん!」

 

形ばかりの無意味な日報を廃止し、現場のムダな作業を減らそうとした時でさえ、事業部長はこう反対する。

「この日報は昔からこの形でやってて、皆が慣れてるんや!余計なことせんといて欲しいなあ!」

 

“しているフリの仕事”を引き剥がされることに対する、壮絶な抵抗である。

言い換えれば、“居心地の良い毎日”を壊そうとする私への、憎しみを伴った攻撃だ。

その目には「若造に何ができるねん」という根拠のない侮蔑と、力ずくで排除しようとする強い意志が溢れる。

 

「この会社はあと半年で潰れることを、理解しているのですか?何もせず、半年後に全社員を路頭に迷わせるのですね?」

「…そんなこと言ってへんやん」

「ではやって下さい。やらないならまずあなたが辞めて下さい」

 

そんな強い言葉で、半ば強引に仕事のやり方を上書きした。

多くの仕事で定量的な成果に基づく工程管理を導入し、成果の出ない“しているフリの仕事”を一つ一つ潰した。

結果、なんとかタイミリミットギリギリまでにキャッシュフローがプラマイ0にまで回復し、目先の危機を脱する。

そして落ち着いた頃合いを見計らってまとまった休みを取り、少しバックパッカー的な旅行に出かけることにした。

 

「夢じゃねえからな」

想像以上に心身とも疲れている自覚があったので、旅行に出た。

それが冒頭の、西オーストラリア州・パースへの旅だった。

「Chinese?」

「No, Japanese」

パブの白人店員さんが、ビールを注ぎながら蔑むような笑いを返す。その時に思い出していた1年前の出来事とは何だったのか。

 

(あぁ、必死に俺を排除しようとした、あの時の部長たちと同じ目をしてる…)

皮肉にも、心身の疲れを癒そうと出かけた海外で、“同じ目”に出会う。

 

考えてみれば、豪州はつい近年まで白豪主義を取り入れ、有色人種を徹底的に排除してきた「差別の本場」だ。

「かつて自分たちがしたことを、今度は自分たちがされるのではないか」

先住民を駆逐・征服し作り上げた国に、多くのアジア人が流入したことで、“居心地の良い毎日”を奪われるという、漠然とした危機感を持っているのかもしれない。

 

複雑な思いで酒が美味くなくなり、ホテルに戻ると早々に寝ることにした。

すると深夜、真っ暗な部屋の隅っこにボーっとした人影のようなものが現れ、枕元まで来るといきなりこう叫ぶ。

 

「俺は日本人が嫌いなんだよ!二度とこの国に来るな!」

「うわああああ!!」

 

飛び起きるように目が覚め、電気を付けると、ただの夢だった…。

時間はまだ、深夜2時30分。しかしリアルな夢だった…めっちゃ怖かった…。

少し落ち着きを取り戻し、冷蔵庫に入れていたビールを飲んで一服すると、冷静さを取り戻す。

 

(なんか怖いんで、電気をつけたまま寝ようかな…)

そんなことをボーっと考えていた次の瞬間、耳元に気配を感じると小さな声が直接、脳内に響く。

 

「夢じゃねえからな」

「うわああああああああああああああああああああああ!!!」

 

次の瞬間、ベッドから落ちて目がさめた。気が付けば、朝になっていた。

なんちゅう手の込んだ夢なんだよ…。いやもしかして、コレも夢じゃないだろうな?

 

人生史上、一番怖い夢の一つというお話だ。

パースという街の持つ歴史と空気が、そんな夢を見させたのか。あるいは思っていた以上に、会社の立て直しで心身が疲れていたのか。もしくはその両方なのか。

土地だけでなく、会社や組織にも根付く「居心地の良い毎日を守りたい」という人の想いは、時に怨念化するのかもしれないと思った出来事だった。

 

 

 

 

 

 

【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など

あの時、部屋には本当に何らかのオバケがいたと思ってる…。
でも、脳内には日本語で話しかけてきたので、案外日本人のオバケなのかも…。

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