年末年始は、Xで見かけた「陰キャでも陽キャでもない無趣味な人に用意された、ドーパミン供給装置としての推し活」というセンテンスを反芻していた。
「推し活」って趣味というより高度にパッケージングされた消費行動でしかなくて、才能を持った他人の人生に相乗りして成功体験をインスタントに得ているだけ。
本質は疑似恋愛とかじゃなくて疑似成功体験なんだよな。
陰キャでも陽キャでもない無趣味な人に用意されたドーパミン供給装置としての推し活— なぎ (@nagijanaiyo) December 4, 2025
1800万回以上表示されたというから、なかなかのバズだ。書き方も巧妙で、投稿者は「無趣味な人にドーパミンを供給する装置としての推し活(があり得る)」というエクスキューズ含みの書き方を選んでいる。
つまり、「推し活をやっている人々=無趣味」とは言い切っていないのだが、そういう風に解釈し、感情的なリアクションをとる人が集まりやすいつくりにもなっている。
ドーパミン、ひいては報酬系は人間を社会適応へと駆り立てていく御者のよう
本来、ドーパミンは役割の多い神経伝達物質で、パーキンソン病や幻覚、血圧や利尿などにも関連している。
それらを全て紹介したらきりがないが、この文章で重要なのは、「報酬系」という人間の行動制御やモチベーション制御を司っている制御系のなかでドーパミンが大きな役割を担っている点だ。
昔からよく知られているのは、ドーパミンが出る→気持ちが良い→もっとやりたくなるといったプラスの動機付けだろう。
人間が快感をおぼえたり感動したりする状況、たとえば長時間かけて大きな達成を成し遂げた瞬間や、旅行中に絶景に出会い目を奪われた瞬間や、あり得ないほどの美食に出くわした瞬間に際しては、きっと私たちの脳内でドーパミンが分泌されている。
社会的承認が得られた時にもドーパミンは分泌されるので、大きな達成に他者からの称賛が伴えばドーパミンはますます出るだろうし、さぞ気持ち良いだろう。それが、これからのモチベーションやさらなる努力に繋がっていくことは言うまでもない。
これは、人間の社会適応にかなり役立つ仕組みだと言える。価値の高い体験をするとドーパミンが出る・達成感を感じるとドーパミンが出る・社会的承認を感じるとドーパミンが出る……ということは、そうした行動を人間がリピートしたがるよう、報酬系はドーパミンという「ニンジン」を使って人間の行動をコントロールしているわけだ。
嫌悪感にもドーパミンが一枚噛んでいるらしいことまで含めて考えると、報酬系は、まるで「ニンジン」と「鞭」をつかいこなして人間を社会適応へと駆り立てていく御者のようだ。少なくともうまくいっている時、ドーパミンひいては報酬系はそうして人間のモチベーションをうまく司り、人間の社会適応に大きく貢献する。
でも、良くない動機づけが起こってしまうこともある
ところがドーパミンはそうでない場面でも案外出てしまう。その最たるものはギャンブルにおけるドーパミンの分泌だ。射幸心をあおる賭博場で大当たりを当ててしまった時、私たちの脳内ではドーパミンが分泌され、それは気持ち良く体感される。
ソーシャルゲームのガチャだってそうだろう。最近のパチンコやソーシャルゲームガチャには煌びやかな演出が伴い、それもドーパミンを分泌させやすい状況に一役買っている。
すると、人間はもっとギャンブルしたくなったりもっとガチャを回したくなったりしてしまう。なぜなら、当たるか当たらないかわからない体験と当たった時のきらびやかな演出によって、ドーパミンが分泌されやすい状況ができあがってしまうからだ。
状況が嵩じればギャンブル依存やガチャ依存ができあがるかもしれない。この場合、報酬系とドーパミンは人間の社会適応に貢献するというより、むしろ社会適応にとってマイナスの方向に人間を動機づけてしまう。
また、一部の薬剤、特にドーパミンの分泌に関連する向精神作用のある薬剤は、この報酬系に強い影響を与え、その薬剤が我慢できないようにしてしまう。
報酬系とドーパミンは、気持ち良さを通じてモチベーションを強化するだけでなく、神経細胞間のシナプスの繋がりが変わることでモチベーションが一層強化されてしまうことがある。
薬物依存において、信じられないほど薬物が我慢できない身体になってしまう人を見かけることがあるが、おそらく神経細胞間のシナプスの繋がりもすっかり変わってしまって、そういう脳になってしまっているのだろう。
精神科臨床でみかける依存症、薬物嗜癖や行動嗜癖のたぐいを眺めていると、単なるドーパミン欲しさ、単なる快楽追求とはまったく次元の異なる依存や嗜癖に出会うことがしばしばある。
さきほど書いたように、報酬系は人間を社会適応に駆り立てていく御者のような存在、あるいは司令塔的存在だから、これが特定の薬物等に執着するよう書きかわってしまったら、それはもう大変なことになる。
社会適応にプラスに働く活動でドーパミンが出る時、報酬系は人間をますます社会適応に駆り立てていくが、社会適応にマイナスに働く活動でドーパミンが出る状態をおぼえてしまった報酬系は、人間をむしろ社会適応から遠ざけてしまう。
こう考えると、「気持ちが良いこと」「モチベーションを強化してくれること」とは案外怖いものだ、と思わずにいられなくなる。ドーパミンさえ出ればなんでもいいと考えるのは危ない。
推し活はドーパミンの宛先としてどこまで安全か
これらを踏まえたうえで、冒頭のXの投稿を思い出していただきたい。
推し活をとおして非日常の華やかさを体験する時や、推しが自分には叶えられない夢を切り拓いていく時、神経伝達物質としてのドーパミンがいつもより分泌され、いつもよりも心地良さを体験している可能性は高かろう。
そのとき報酬系が仕事をしていて、神経細胞間のシナプスが「もっと推し活をしたい方向に」変わっていっている可能性もまた高い。
その際、私たちはいつもより活き活きとして、いつもより生き甲斐を感じていたりもして、いつもより元気づけられたような気持ちになる。
推し活がモチベーションとなって何かを頑張れたり、推しの好ましい性質を見習ったりすることで技能習得にまでプラスの影響をもたらすことだってできるかもしれない。
報酬系を刺激することを前提として推し活をうまく活用することは、自分自身の御者である報酬系をうまく活用することにも通じるだろう。そのように推し活を活用できる人、社会適応に組み込める人が推し活から獲得できる恩恵は小さくない。
しかし前述のように、ドーパミンや報酬系が関わるとはリスクが伴うことでもある。推し活に限らず、報酬系が関わることにはベネフィットとリスクの両面がある。
リスクの最たるものとして挙げられるのは、依存症や嗜癖だろう。繰り返すが、これは推し活に限った話ではない。ドーパミンや報酬系が関わる薬剤はもちろん、ギャンブルでも、ダイエットでも、スポーツでも、ゲームでも、仕事でさえ、それは起こり得る。
活き活きできること、生き甲斐を感じられることが他には絶無で、それが唯一の生き甲斐や逃避先のようになっている時には、通常は依存症や嗜癖に陥らないような活動でさえ、依存症や嗜癖のような顔つきに変わることがある。
もともとは生きるためのよすがだったはずの活動がやめられなくなり、自分の意志では制御できなくなり、楽しいというより苦しくなってきたら怪しい兆候だ。
ドーパミンの出るような体験を追求した結果たどり着いたのが、やめられない・止まらない・苦しいといった境地だったら最悪である。しかし報酬系の調子がこじれると、えてして人間は、そういう風になってしまう。
たいていの活動はたいていの人には安全。でも完全に安全とは言えない
もちろん、世の中には依存症や嗜癖になりやすいもの・なりにくいものがある。なりやすいものの筆頭格は危険な薬剤だ。次いで、ギャンブルあたりが挙げやすいだろうか。
ゲーム症、ネット依存といった言葉が示すように、コンピュータゲームやインターネットでも依存症や嗜癖に相当する事態は起こり得る。では推し活はどうだろうか。
推し活をやっている人の母数は、コンピュータゲームやインターネットに比べれば少ないが、それでも決して小さいわけではない。しかし、推し活依存や推し活嗜癖といった言葉が登場していないことをみるに、推し活が嵩じて依存症や嗜癖の定義にがっちりと当てはまってしまう人はそこまで多くないと思う。
依存症や嗜癖の専門治療機関になら、そういう人も来ているのかもしれないが、市井の精神科外来においてはゲーム症やゲーム障害と比較しても遭遇頻度は低い、と私はみている。
そのことを踏まえるなら、推し活はまだしも安全な部類なのかもしれない。
しかし、推し活をする人が増え続け、推し活に費やされるリソースも増え続けていくなかで、推し活の歯止めがかからなくなる人、推し活がコントロールできなくなってしまう人もいるだろう。
そして他の依存症や嗜癖がしばしば自覚不能に陥ってしまうのと同じように、推し活がコントロール不能になった際に自覚不能になっている可能性もあるように思われる。
ソーシャルゲームのガチャで大枚を使ってしまった人が足を洗った後に「あのときはコントロールできなくなっていた」と振り返るのと同じように、推し活から足を洗った後に「あのときはコントロールできなくなっていた」と振り返る、そんな推し活だってあるのかもしれない。
だから、ほとんどの推し活は安全だが、世の中に存在する他の活動と同じぐらいにはコントロール不能になったり、楽しいというより苦しくなったりする可能性はあると思ったほうがいい。
というより、人間に報酬系という仕組みが実装されていて、ドーパミンをはじめとする神経伝達物質によって私たちが衝き動かされている限り、どんな活動にだってコントロール不能になるリスクはあるのだ。
キラキラしたもの、モチベートするもの、社会的承認が伴うもの、等々が伴うなら尚更である。私たちはそういうものにモチベートされる。なぜなら報酬系がそういう体験を求めさせるようにドーパミンなどを分泌させ、シナプスの繋がりが変わったりもするからだ。
このこと自体、ひとつの機会たりえるし、ひとつの落とし穴たりえる。それは、人間が進化の過程で獲得してきた仕組みだからしようがない。ならば、そうした脳内の仕組みを知ったうえで、せいぜい、うまく行動を制御してもらうよう気を付けるしかない。
この文章を書き始めていた時、私は「推し活は安全なドーパミン供給装置か?」などと考えていたが、やめることにした。およそドーパミンが分泌されるような活動で、絶対に依存症や嗜癖に至らない活動なんてないと思ってかかったほうが危なげがないからだ。仕事や社会奉仕活動ですらそうだろう。
心地良いこと、快感なこと、エキサイティングでアメージングなことがいけないとは思わないし、それらを「ニンジン」として追いかけているうちに道が拓けてくる場面なんていくらでもある。けれどもドーパミンや報酬系は万能の仕組みではない。依存症や嗜癖をはじめ、いろいろと都合の悪いところもある仕組みだ。
たとえば、リピートするうちにより強い刺激・より強い快感を求めたくなる性質には私は不安をおぼえる。人間を御する御者の役割を担っている脳内の仕組みに、そういう一面がある点にはいつも注意が必要で、それは推し活だろうがゲームだろうが仕事だろうが同じではないだろうか。
私が思うに、ドーパミンだけでは人は幸福になれないと思う。人間は快感や感動だけでは生きていけない。だから月並みな話だが、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」は金言だ。
この金言を忘れず、節度ある付き合いを続ける限り、ドーパミンも報酬系もあてにしていいように思う。
しかしこの言葉を忘れ、ドーパミンの出そうな体験に頼り切ったライフスタイルに陥った時、自分自身の御者としての報酬系はあてにならなくなり、主人を裏切るかもしれない。
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(2025/12/24更新)
【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』

Photo:Carl Raw




