一般的に「頭が固い」ことはあまり好意的に受け止められていない。それは一種の「知的不具合」とみなされているからだ。当然「あなた、頭固いですねぇ」と言われて喜ぶ人もいないだろう。

だが、現実的には「この方、頭固いなぁ」と思うことは頻繁にある。

 

ではなぜ、「頭が固い」と思われてしまうのだろうか。

歳をとって、新しいことを吸収できなくなったからだろうか、しかし、現実的には若い人にも頭の固い人は数多くいる。

性格的に、柔軟になれないのだろうか、だが仕事では柔軟なのにプライベートでは頭が固まっている、という人も多い。「性格」という一言だけで片付けるのは安易だろう。

また、「アイデアが出せない人」のことを指して「頭が固い」と言う方もいる。

ただ、正確にはそれは「頭が固い」というよりは知識不足であったり、経験不足であったりすることも多い。クリエイティブなアウトプットが出せないことだけをもって「頭が固い」とはいえない。

 

 

私の観察では、「頭が固い」とは「正しいのは自分の考えだけ」と信じる姿勢のことである。

そういう意味では「正義のヒーロー」は、大抵頭が固い。「勧善懲悪」という一つのイデオロギーに支配されてしまっているからだ。

もちろん悪人を懲らしめるたびに「ああ、でも彼らにも言い分があるよな」と言っていては話にならないのだが、頭の固い人は「彼らの言い分」に耳を傾けない。彼らは「必ず間違っている」からだ。

・〜は当然

・〜に決まってる

・〜しかない

こう言った言葉は「頭の固さ」を象徴的にあらわしている。

 

 

頭の固い人のもう一つの特徴は、「答えを一つにしたがる」ことである。彼らは「複数の解」があることを歓迎しない。

「これも、これも、正しい」とは考えない。「これが正しいので、こちらは間違っている」と、白黒付けたがる。

 

例えば先日、セミナーで大学の先生が「この商品が売れたのは、マーケティングと地域性、そして競合の少なかったという複合的な要因にもとづいています」と述べたが、それに対して

「その3つのうち、どれが重要なんですか?」と執拗に質問を繰り返している人がいた。

先生は「要因が絡み合っているので、どれ、という特定はできません」と答えたが、質問者は「いや、でも結局どれなのか、一つにしてください」と言って納得しない。

彼は頭が固く「一つの、納得の行くシンプルな解答」しか求めてないようだった。

 

逆に言えば「納得の行く、シンプルな解答」が提示されると、逆説的だが頭の固い人は大して疑いもせず、それを受け入れてしまう。認知心理学的には、自分の信念を肯定する証拠を意図的に探すことを確証方略と呼び、バイアスを助長することがわかっている*1

「自分の信念をぐらつかせるものから探す」のが、科学的な態度であるが、頭の固い人はそれに耐えられない。

*1

 

余談だが、最近、学生の面接を見て「頭が固いなぁ」と思わされることがたびたびある。つまり「面接で問われていること」に対してあたかも「一つの正解」が存在していて、それを答えようとしている人が相当数いるのだ。

そんな面接では「なんとなく正しそうな答え」ばかりが回答として返ってくる。

無理もない。学生はそれまでの人生で「複数の正解がある問題」にほとんど遭遇したことがないのだ。正解は一つ、それが彼らに刷り込まれた考え方である。

だが、面接にも仕事にも「一つの正解」はない。

「正解っぽい回答」は当然、画一的になるから「つまらない人物」として落とされてしまう。実にもったいない、と思う。

 

 

実際には、多少の個人差はあれ「頭の固さ」は自分を批判的に見る思考さえあれば、誰でも脱却できる。

とはいえ、それは意識し続けないとすぐに劣化してしまう。気をつけなければならない。

 

 

 

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