先日、人気マンガが実写映画化された『3月のライオン・前編』を観に行きました。

3月のライオン 1 (ジェッツコミックス)

3月のライオン 1 (ジェッツコミックス)

  • 羽海野チカ
  • 白泉社
  • 価格¥513(2025/06/08 14:03時点)
  • 発売日2008/02/22

 

この映画のなかで、「育ての親」との対局で勝ってしまった主人公のプロ棋士・桐山五段が、やり場の無い罪悪感から(ふたりのあいだには、他の家族も巻き込んでの葛藤があるのです)、高校生にもかかわらず

「連れていかれたカラオケスナックで、目の前に置かれていた他の人(成人)のお酒を一気に空けてしまう」

というシーンがあるのです。

 

若気の至りというか、やり場のない鬱屈みたいなものを描くシーンとしては、ごく一般的なもので、僕はとくに気に留めなかったのですが、エンドロールをみていて、驚きました。

キャストやスタッフの名前が流れていくなかで、こんな文章が出てきたのです。(正確な文章は記憶していないのですが、こういう内容でした)

 

「未成年の飲酒は禁じられています。劇中で使用した飲みものに、実際はアルコールは入っていません」

 

僕はけっこう映画を観てきましたし、基本的にエンドロールは最後まで眺めるのですが、この「断り書き」は、初めてみたんですよ。

「出演している動物は、実際には傷つけていません」

「使用した食べ物は、このあとスタッフが美味しくいただきました」

というのは、いまではけっこう一般的になっていますし、動物の扱いに関しては、たしかに気にはなりますよね。

 

でも、この「未成年飲酒についての注意」には、なんだかちょっと違和感があったのです。

 

 

いや、未成年飲酒を推奨しているわけじゃないですよ。

劇中では「主人公の桐山五段の若気の至り」「やるせなくて、つい目の前のお酒をあおってしまった」というような描き方をされていて、「まあ、こういう心境のときって、あるよねえ」と僕も昔のことを思い出していたのです。

 

僕が大学生だった25年前くらいって、大学のサークルの飲み会などでは、「大学生になったのなら、まあよかろう」みたいな雰囲気でしたし、まだ、「新入生にはかなり強引に飲ませる」というような慣習が残っていました。

最近の学生に話をきいてみると、学園祭などのイベント時は(成人していても)アルコールは禁止で、部活の飲み会でも、未成年の飲酒は厳禁になっているそうです。

 

もちろん、それを「昔はよかった」なんて批判するつもりはありません。

無理に飲まされた1年生が急性アルコール中毒になり、救急外来に連れてこられる、なんてこともけっこうありましたし、他大学では「アルコールを無理に飲ませること」による死亡事故も起こりました。

 

ただ、選挙権が18歳以上になるのであれば、飲酒・喫煙も20歳にこだわる必要はないのでは、という気もします。

そもそも、20歳で成人、というのも、選挙権を得られる年齢の引き下げとともに、議論してみる余地はありそうです。

いまの世の中で、「アルコールを無理に飲ませてはいけないし、飲む必要はない」という合意がようやくできつつあることは、すごく良いことなんですけどね。

 

 解禁の年齢の話はさておき、僕が驚いたのは、たしかに未成年飲酒は違法だけれど、映画の中での演出としてなされたことに、ここまで「言い訳」をする必要があるのか、ということでした。

 

劇中では、別に「未成年飲酒を薦めている」ように描かれているわけじゃないんですよ。

たしかに、こういうシーンを見せられることによって、「やり場のない鬱屈を抱えた未成年は、アルコールに頼るものだ」という刷り込みがなされるリスクがある、と考える人もいるのかもしれませんが、それを言うなら、アクション映画やミステリでは、人がバンバン殺されるものが少なからずあるわけです。

それについて、いちいち「劇中ではたくさん人が殺されていますが、殺人は違法です。演じている役者たちは実際には死んでいません」と断るべきなのか?

未成年飲酒は「若者に悪影響がある」からダメだという判断なのか?

それとも、この「断り書き」は、過剰すぎる予防線なのか?

 

正直なところ、僕は「そこまでわざわざ『おことわり』しなくても、観客はわかってるよ……」と言いたくなったのです。

最近は喫煙のシーンに対しても、かなり厳しくなっていますよね。

 

 1週間ほど前にテレビのワイドショーで、立って子どもを背負い、子守りをしながら本を読んで勉強している「二宮金次郎像」が「子どもの歩きスマホを助長する」というクレームで撤去されたり、「座っている像」に替えられたりしている、というニュースを聞いたときも驚きました。

それは、子どもの判断力を、あまりにも低くみているのではないか、って。

 

映画のスタッフにしても学校関係者も、クレームをつけられないために、最新の注意をするべきだ、というのが、いまの一般的な考え方なのかもしれません。

でも、映画とかの「表現」って、そういう「人間が陥りがちな過ち」を、あえてそのまま描いてみせることが、ひとつの存在価値だと僕は思うのです。

二宮金次郎像にしても、伝えたいのは「立ったまま勉強しろ」ということではなくて、「キツい日常生活のなかでも、学ぶ姿勢を持ち続けたこと」のはずなのに。

 

こういう、演出の一面を槍玉にあげて、「フィクションですら、間違ったことをするのは許されない」というのは、「間違いかたがわからない」あるいは、「間違いすぎてしまう」人間を生み出すことになるのではないか、という気がするのです。

「真似をするかもしれない」と心配してしまう人の気持ちも、わからなくはないのだけれど。

 

【安達が東京都主催のイベントに登壇します】

ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。


ウェビナーバナー

▶ お申し込みはこちら(東京都サイト)


こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい

<2025年7月14日実施予定>

投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは

借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。

【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである

2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる

3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう

【登壇者紹介】

安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00

参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。


お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください

(2025/6/2更新)

 

【著者プロフィール】

著者;fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ;琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

Twitter:@fujipon2

 

(Photo:Tomono