いきなりなんの関係もない話から始まって恐縮なんですが、みなさん、「ジ・アトラス」っていうゲームのシリーズ、ご存知ですか?

 

アートディンクから発売されたシミュレーションゲームで、大航海時代における世界の探索がテーマになってるんですが、「自分自身が探検するのではなく、冒険家を雇って探検に派遣する」「冒険家が戻ってきた時の報告を信じるかどうかで、実際に世界がその通りに変動する」というのが特徴です。

 

例えば、冒険家が「アメリカ大陸を発見した」と報告をしてきた時、何度か「信じない」を選べば「アメリカ大陸はなかった」というのがその世界における事実になる。「ドラゴン見つけた」を信じればドラゴンが実在することになる。

「アトランティス見っけた」というのを信じれば実際にアトランティスが存在することになるし、「世界は平らでした」を信じれば実際にその世界は平らだったことになるし、うっかりすると世界を支えている巨人の実在が確認されたりするんです。

 

信じる・信じないによって、世界がどんどん変容していく。このシステムは本当に独創的、革新的なものでして、まあ端的に言ってすっげえ面白いゲームです。プレイしたことがない人には、是非一度遊んでみることをお勧めします。最近PS VITAでNeo ATLAS 1469も発売されたんで、是非。

さて。別にアートディンクのダイレクトマーケティングが目的というわけではなく、上記は単なる話の枕です。

 

webを見ていると、時折「この人は何故、「こっちを信じる」という選択をしたんだろう?」と不思議に思うことがあります。

ある情報を信じるかどうか、という選択肢ウィンドウは極めて一般的なものでして、2017年に生きる我々も、常に「信じる、信じない」の判断をし続けています。

何か新しい情報に触れた時、その情報を信じるかどうか。今まで知っていた何かと食い違う情報に触れた時、それを信じるかどうか。矛盾、対立する二者の言い分を観測した時、どちらを信じるか。ジ・アトラスの主人公であるかのように、我々は常に、信じる・信じないの選択肢のどちらかを選択し続け、それによって多少なりと自分自身の世界を変容させているのです。

 

ただ、ジ・アトラスと違って、我々が信じたとしても即それが世界的な事実になったりはしないので、「その情報は本当に妥当なのか」ということは、ちゃんと考えた上で信じなくてはいけません。

正直、webには誤情報やデマも割と転がっており、デマをうっかり信じてしまう、ということも珍しいことではありません。

勿論、それが単なるヨタ話だったり、ちょっとした話題だったりでさして重要性が高くない場合には、たとえ「デマ」を信じてしまったとしても、そこまで影響はないかも知れません。なんでもかんでも真剣に情報をフィルタリングするというのはあまり効率的ではありませんし、何より疲れます。「そっかー」で終わってしまっても大して問題はない話、というのもしばしばあるもんです。

 

ただ、それが例えば、あなたの行動を左右したり、他人に広めることを勧めている情報だったりしたら。安易に信じることで、あるいは信じた内容を拡散することで、自分はおろか他人にまで、大きな影響を与えかねないことがあるのです。

 

例えば、welqやら、塩水を大量に飲んで体内を綺麗にするなどというとんでもないダイエット法やらが話題になった、健康・医療関連の情報とか。

例えば、既存の通説を根拠なく否定した、「実は騙されていた私たち!!」という煽り情報とか。

例えば、3.11の時にも大量に流れた、誰かを「分かりやすい悪役」にして大拡散させようとするデマであるとか。

 

以前、こんな記事を書きました。

「分かりやすい悪役がいる話には一見で飛びつかない」ルールを皆様導入するべき

 

ここに書いてあるようなデマは、笑って「そっかー」と流せるような類のものではありません。誰かの尊厳を傷つける話が、ずっと長い間webに残って、人口に膾炙し続けかねないデマなのです。

我々は、というか少なくとも私は、案外曖昧な、無根拠な理由で「信じる・信じない」を決めてしまいがちです。それは例えば予断であったり、偏見であったり、先入観であったりします。

 

例えば、分かりやすい藁人形として、「既存メディアに対する不信」というバイアスがあります。

新聞は信用出来ない。テレビは信用出来ない。政府の発表は信用出来ない。なるほど、そうかも知れません。

ただ、ならば何故あなたは、今webで見つけた「その」情報を信じるのでしょう?

 

その情報を発信した人は誰ですか?信頼出来る人ですか?その情報を発信することで、なにかしら利益を受ける人ですか?新聞よりも、テレビよりも信用出来る情報ソースなのでしょうか?

 

例えば、医師に対する不信とか。教師に対する不信とか。NHKに対する悪感情とか。

何かに不信や悪感情を抱くこと自体は当然のことですが、誤情報を流したり、デマを広めたりして利益を得ようとする人たちは、我々の中の悪感情や不信を上手に利用しようとすることが割と一般的です。

そこから考えると、「自分の中にそういう不信や悪感情がある」ということ自体は認識しておいた方が無難です。

 

「信じる基準」が曖昧だと、例えばその場の感情であるとか、対象に対する好き嫌いであるとか、本来情報の信ぴょう性に関係ないようなノイズに判断を左右されてしまいがちです。

これらのノイズは、常に一定なわけではなく、いろんな情報に触れている内に増えたり減ったりします。

だから、「自分が何を基準に信じる/信じない」を決めているのか、というのは、定期的にたな卸しして、妥当かどうか確認しておいた方がいいんじゃないかなー、と思った次第なのです。

 

私自身は、「あ、これ慎重に判断した方が良さそう」という情報に触れた時、大体下記のようなフィルターをかけてみることにしています。

・その情報の発信者は、一次ソースにどれだけ近いか?

・その情報の発信者のポジション、立ち位置は明確か?

・その情報の発信者は、その情報が流布されることによってメリット・デメリットを負っているか?それは明確か?

・その情報の発信者のプロフィールは明確か?それは発信される情報と矛盾しないか?

・その情報の発信者の他の発信、普段の行状を追うことは可能か?それは発信される情報の信頼度を下げないか?

・その情報は、受信者の感情をむやみに煽るような内容になっていないか?なっていた場合、悪役として仕立てあげられている人はいないか?

 

これらのフィルターは、自分の中で「信じる基準」が曖昧になった時、いつも立ち戻るスタート地点のようなものです。

これらが妥当なのかどうかは分かりません。これもまた、私自身の「基準たな卸し」の一環であって、いずれ内容が上書きされるのかも知れません。そもそも、毎度毎度こんなめんどーなフィルターをかける訳でもありません。

 

ただ私は、「デマや誤情報を流して注目集めやお金儲けをしようとする人たち」があまり好きではないので、そういう人には是非重大な不利益を被って欲しい。その為にも「基準のたな卸し」が一般的なものになって、デマや誤情報が広まりにくいwebになるといいなーと思う次第なのです。

皆さんの快適なweb生活を祈念して止みません。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

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