3/13に元モーニング娘の石川梨華さんが西武ライオンズ所属の野上亮磨さんと結婚した。

 

筆者は石川梨華氏のファンではない。ファンでもないくせになんで彼女の結婚事情について知ってるかというと、筆者の知っている人が石川梨華氏に”ガチ恋”をしていたからである(以下の記事は歴史に残る名文なので、みなさんにも是非読んで欲しい)

『たのしいドルヲタ図鑑』【3人目:アイドルへの“ガチ恋”について本気で向き合う ふちりんさん】 – 耳マン

10年以上熱愛報道がなかった梨華ちゃんに、予兆のようなものはあったのだろうか。

「報道の半年くらい前から……梨華ちゃんのブログの感じもおかしかったんですよね。やたら豪華な料理を作っていたり、保田圭ちゃん(※)の結婚式でブーケを受け取れなかったことをやたら悲しんでいたり、ちょっとそれっぽい雰囲気が漂っていて……。

僕は梨華ちゃんのブログに毎回コメントしたくて、話を合わせるために自分も料理を始めたんですよ。だけど、梨華ちゃんの料理は恋人に食べてもらうために作られてたんだなってことがわかって……。それからはもう、つらくてほとんど料理も作らなくなってしまいました……」

 

これを読んで「アイドルに本気で恋するだなんて、バカじゃない?」と思う人もいるかもしれない。

だが冷静にこの文章を読み解くと、事はそう単純ではない事がわかる。以下ガチ恋の本質をコミュ力と絡めて記述していく。これを読めばコミュ力がどうすれば身につくのかがよくわかるはずだ。

 

ガチ恋から読み解くコミュ力の本質について

就活を含めて、世の中は”コミュ力” のある奴が強いと言われている。

こんなにも凄い凄いと言わている”コミュ力”という単語だけど、コミュ力がどういうものなのかについて正確な定義を僕は聞いたことがない。なんていうか物凄くふわっとした単語だとみなさんも感じないだろうか?

 

こういうふわっとした単語を読み解く時は、その反対側にあるモノを眺めていくとよい。その題材として”ガチ恋”は極めて優れた単語である。

例えばアイドルに”ガチ恋”をしたとして、果たしてアイドルと両思いに慣れる可能性はどれだけあるだろうか?可能性がゼロとはいわないけど、かなり成功確率が低いだろう事は想像に難くない。

ガチ恋は、コミュニケーションの手法としては下策といっても過言ではないだろう。

 

「何を当たり前の事をいってるのだ」と思う人もいるかもしれないけど、冷静になって振り返ってみれば僕達も結構似たような事をしている(もしくはしていた)

 

例えば小学生の頃に好きな子にちょっかいをだしてしまったり、イジメに近い行動をとってしまった人は結構いるだろう。

そんな事をしても絶対に両思いにはなれないのに。実に愚かである。

けどこんな馬鹿な事をしていた人も、徐々に成長するにつれて好きな子をイジメる事はなくなる。なぜだろうか?それは試行錯誤の結果、そういう行為が”好きな人と両思いになる”という結果に全く結びつかない事を学習するからだ。

 

コミュニケーションとは言葉や態度を通じて、相手に何らかの感情を伝えるという作業である。なんでそんな事をするかというと、そういう行為を通じてでしか人は”自分にとって望ましい結果”を手にすることができないからだ。

黙ってたり無表情だったりする人の心の中を読み解ける人は誰もいない。そういう人が何を望んでいるかだなんて、本人以外は絶対にわからない。

 

子供の激情と大人のスマートさ

子供を見ていればわかるけど、子供は情動の塊である。全身全力でエネルギーをぶつけてくるけど、あれは大人からみるとスマートだとはとても言いにくい行動だ。

例えば、おもちゃ屋さんの前で「欲しい欲しい。買って買って~」なんて駄々をこねる子供が時々いるけども、そういう子供がおもちゃを買ってもらえる可能性はかなり低い。

それなのに何故子供はそんな不器用な方法をとるかといえば、子供がコミュニケーションのお作法を熟知していないからに他ならない。

 

多くの子供は賢いので、いつまでたってもこのような情動に任せた愚かな行動を繰り返す事はない。成長するにつれて、だんだんとそういう情動に任せた行動では望ましい結果を得ることができない事を子供は学習する。

そうして聡くなった子供は「次のテストで100点を取ったら、このゲームソフト買ってくれる?」という風に自分が意図する結果を手に入れやすい提案方法を徐々に学んでいく。

こうして子供はコミュ力を徐々に進歩させていく。そしてどんどん、どんどんスマートになっていき、荒ぶる感情は鳴りを潜めていく。

 

激しい感情は良好なコミュニケーションには全く必要がない。欲しい気持ちがどんなに強くても、ものを手に入れるのには全く役に立たないのは上に書いたことからも明らかだろう。

つまりコミュニケーション能力というのは、情動を上手く人から受け入れられやすいスマートな手法に落とし込んだものにほかならないのである。

 

このスマートな手法としてのコミュニケーション能力だけど、どんな人であれ試行錯誤しないと絶対に身につける事はできない。相手に言葉や態度をぶつけてみて、その反応をみることでしか学習するすべがないからだ。

コツとかヒントは本とかにも書いてあるけれど、習得するためには実戦で訓練するしかない。泥臭い努力を繰り返すことで、人は徐々に”自分にとって望ましい結果が返ってきやすい提案”ができるようになっていく。

 

よく「あの人は言い方が悪い」だとか、「お前は人にものを頼む方法がなってない」だとかいわれる人がいるけども、そういう人はコミュ力がまだまだ修行不足なのだ。

とはいえ人間はバカではないので、子供がどんどん聡くなっていくのと同様にその人も修行を通じてだんだんと老獪になっていく。ただし反応が返ってくれば、だけど。

 

ガチ恋は反応ゼロの結果生じた悲しい現象である

普通の人は、二次元やアイドルに破滅的にははまらない。どういう人がそういうものにハマるのかというと、社会的にパートナーを手に入れるすべを失ってしまった人間だ。

 

人はつがいを求める生き物だ。適切なパートナー無しには、健全な精神状態を保てないという人は驚くほど多い。当然だけど、全ての人が自分の納得できるパートナーを手に入れられるわけではない。

そういうホモソーシャル的な社会から脱落してしまった、普通の社会で適切な関係を結ぶことが難しい人は、虚構にその可能性を見出すしかない。それが二次元だったりアイドルだったりするわけだ。

 

上に書いたように、僕達のコミュニケーションは大体においてはじめは情動からスタートする。おもちゃを買って買って~と喚く子供がその最たるものだ。

恋のコミュニケーションも、だいたいはじめは情動からスタートする。けどその思いはだいたい成就しない。そうして痛い思いを何度も繰り返す事で、人はだんだんとスマートになっていく。

 

では痛い思いすらできないと人はどうなるのだろうか?それが”ガチ恋”の正体だ。

アイドルへの想いがどんどん募って募って募っても、相手から適切な反応がまず返ってこないのだから、いつまでたってもスマート(大人)になれない。ガチ恋は、相手からの適切な意味での反応がゼロだからこそ生じる悲しい現象なのだ。

 

虚構のエアポケットに落ちない為には若いうちに苦労するしかない 

人はみなどこかに承認欲求がある。認めて欲しい、褒められたい。そういう思いに答えてもらえる事は、人の心に潤いを与えてくれる。

社会で比較的上手く立ち回る事に精巧できた人は、そういうものを様々な活動から得ている。趣味だったり仕事だったり結婚だったり。

 

けど世の中には様々な事情で承認をうまく得る事ができない人もいる。

そういう人の心に忍び寄るのが新興宗教だったり、アイドルだったりするケースが非常に多い。

かつてAKBの”推しメン”に数千万ものCDを買って投票を行った恐ろしい人間がいたが、彼はその行為の結果”推しメン”がテレビで言う「みなさんのおかげで◯位になれました」という”感謝の言葉”に物凄い充足感をおぼえただろう。

だってそれまで誰も彼の情動に対して”感謝”は返してくれなかったのだから。

 

自分の情動的行為にポジティブな反応がかえってくるのは、もの物凄く楽しい。特に親との関係がメチャクチャで虐待といってもいいようなことしかされなかったような人や、社会的地位があまり高くない世間から蔑まれてきた人からすれば夢のような話である。

 

けど悲しい事に、そのポジティブな反応は虚構である。

かつて某アイドルコスプレイヤーが「私でシコるのは構わないけど私との可能性は感じないでほしい」と呟いて炎上していたが、これはかなり良心的な発言だろう。つまるところアイドルにとってファンというのは、そういう存在なのだ。

 

ほんの少し前に暗殺教室という作品が少年ジャンプで連載されていた。読んだことがある人も多いだろう。あの話は私たちが何を心の底で求めているかをかなり克明に描いている。

人は誰しも自分を特別な存在だと思っている。今はあまり評価されていないけれど、自分のなかには何か特別な才能が眠っていて、それを誰かが見出してやさしく指導してくれて、頑張ったら「スゴイ~スゴイ~」って言ってもらえる、そんな空間が欲しくて欲しくてたまらない。

 

暗殺教室の主人公たちは劣等生だ。

そんな劣等生に、ウルトラスーパー生物である殺先生が真剣に向き合ってくれて、自分の才能を引き出してエリートたちを超越していく。これはもう僕達が心の底で求めている理想の環境に他ならない。

 

だけど現実はものすごく残酷だ。殺先生のようにわざわざ何者でもない自分に真剣に向き合ってくれて、才能を見出して導いてくれるような優しい先生はファンタジーにしか存在しない。

リアルに生きる私たちは、みっともない醜態を晒しながら他人の反応を伺いつつ、様々なものに挑戦し痛い思いをしながら成長していくしかないのである。

 

そういう行為の結果、暗殺教室のようにあなたに才能がみつかるかどうかはわからない。けど一つだけいえる事がある。たぶんその行為を通じて、あなたは物凄くコミュニケーション能力が向上する。これはもう間違いない。

 

結局のところ、根回しだとか、企業文化だとか、コミュ力だとか、ネット上で「はいはいワロスワロス」とネガティブな側面で語られやすいものは、痛い思いをしないと絶対に手にすることはできないものばかりである。

けどそれがないと絶対にあなたの元には欲しいものは訪れない。それをいつまでたっても拒絶していった先に待ち受けるのは、恐ろしい恐ろしい虚構の承認だけである。

 

この世に1人しかいないあなた。あなたは確かに特別な存在だ。だけどそんな特別なあなただからといって、世界は無条件に優しさでは包んでくれない。いつまでたっても痛い思いをしないでいて、偽物の承認に居場所を見つけ出しても、アイドルがいつか誰かと結婚してしまうように、そのニセモノの優しさはいつかあなたに鈍い痛みを突き立てる。

 

若い頃の苦労は買ってでもしろ、とはそういう事である。

 

 

 

【プロフィール】

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高須賀 

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

 

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