先日、こんなツイートを拝見しました。
「アマゾンレビューでの著者反論」規模は小さいけど、ヴァン・モリソンのムック本でのコレが結構好き。こういう「日本のライターは全然わかってない!」云々言う「わかってないオッサン」って、俺のまわりにもいるし。ちゃんと資料を当たってアレコレ調べてる人間を舐めるなよ。 pic.twitter.com/GWYtNHUJfh
— どうせ即死 (@pc_unko) 2017年6月7日
Amazonのレビューで、ヴァン・モリソンのムック本に対して批判を書いた人がいて、その批判に対して監修の人から反論が来ている、という案件ですね。
そこまで観測出来ていないんですが、「批判に対する製作者側の反論」というのは以前より増えて来ているのかも知れません。
昔であれば、例えば太宰治は川端康成との激論を文藝通信上で行っていたりしましたが、今ではweb上でインスタントに激論出来るという状況です。時代も変わったものですね。
別にAmazonのレビューに限らず、今の時代、批判にせよ褒め言葉にせよ、ダイレクトに製作者に届くことは全然珍しいことではありません。
漫画家さんでも、作家さんでも、編集者さんでも、アニメの監督さんでも、大体何かしらのSNSを利用している時代です。ちょっと検索をすれば、自作品について論評している発言なんてすぐに見つかるでしょう。「半径1クリック」の世界は、間違いなく広がっているのです。
つまり、「褒め言葉にしても、批判の言葉にしても、とても容易に作者さんに届く時代である」
ということは、我々は認識しておいた方が良いのだろうと思っています。
私は、webで何かの作品を褒めることが好きで、何かの作品を「好きだ!!」と表明することがとても大事なことだと思っています。
「好きだ!」という言葉が作者さんの元に届くのは、今の時代信じられないくらい容易になっているから。
そして、そういう声は絶対に無駄にならないと信じているから。他の誰かが、私の「好きだ!」でその作品に興味を持ってくれるのも、大事な応援になっていると思うから。
一方で、批判の声が作者さんの元に極めて届きやすくなっていることも間違いありません。
「この作品はこれがダメだ!」という声は、今の時代、容易に作者さんの眼に触れますし、作者さんの心に残ります。
100の賛同よりも1の批判の方が記憶に残りやすい、というのは誰が言った言葉だったか。批判の声というのは批判された人にとって極めて印象的なものなのです。
そして時には、批判の声に対して、作者さん自ら反論を返す、ということも発生するわけです。その可視化された一例が冒頭のツイートのような状況なのでしょう。
ところで。
こういう状況について、「まるで批判が監視されているみたい」「気楽に批判しにくくなった」という反応をする人が、そこそこの頻度で観測出来ます。
時には、「作者さんから反論が返ってくるなんで思ってなかった、大人げない!」などという発言をする人もいます。
ちょっと批判しただけで本人からいきなり反論が返ってくるようでは、おちおち批判も出来やしない、ということなのでしょう。大人げないというのはちょっとよくわかりませんが、「批判は黙って受け入れるのが大人な態度」ということでしょうか。
そうなのでしょうか?
ある作品を褒めることが自由であるように、ある作品を批判することも全くの自由です。「面白くない!」「この作品はここがダメだ!」と思ったなら、それを表に出すのは全然悪いことではない。
ただ、それに対して、「その批判は違うと思う」といった反論を作者がしてはいけない、というのもちょっと公平でないと思うのです。
作者は人間であって、批判を無条件に受け止め続けなければならないサンドバッグではない。
作品の向こうにはちゃんとそれを作った人間がいるという当たり前のことを、批判大好きな人は時々忘れがちになるように思えます。
なにより、「作者から反論されてしまうと困る批判」というのはどんな批判なのかなあ、と私は考えてしまうのです。
冒頭リンクのケースで言えば、批判の内容でいまひとつ脇が甘かった、というのは確かであるように思います。
感情が先走ってしまって誤った根拠に基づいて批判をしてしまった、ということですかね。
「それは違うよ」ということであれば、それを指摘する自由は作者さんの側にもあると思うんですよ。それに対して、更に反論があるのであれば、そこは堂々と主張すれば良い。
適切な批判であれば、たとえ作者さんから反応があったとしても、堂々とそれを主張していいと思うんです。そこから新しい知見が生まれることも、作品の世界が深まることだってあるかも知れない。
これ、「批判する時もきちんと論建てを考えないといけないのか!息苦しい!」っていうことじゃないと思うんですよ。
だって、「このゲーム面白くなかった!」だけならその人の感性に基づく感想であって、それを否定する権利は誰にもない訳ですからね。「嫌い」だけならそれだけでも全然問題はない。
ただ、例えば「明らかに誤った批判」「批判の為の批判」があったとして、それを作者さんがすべて甘んじて受け入れなくてはいけないとしたら、その方がよっぽど理不尽な話だと思うんです。
確かに、「いちいちしょーもない批判に反論するだけコストの無駄」という意見やスタンスはあるでしょうし、それを選択する作者さんがいても不思議なことではないですが、だからといって「批判に反論するなんて大人げない!」という言葉が妥当だとは、私には全然思えない。
特に、Amazonレビューには以前から「ちょっとこの批判はどうなんだろう…?」と思うような、暴走列車気味批判的レビューがしばしば観測出来たので、そういったレビューに作者さんが直接反論するのは悪いことじゃないんじゃねえの、と私は思います。
勿論、TwitterやらFacebookやらでも、なんなら作者さんがサクっと反論飛ばせる方が、批判自体面白いものになっていっていいんじゃないかなーと私は思うわけなのです。
というか、作品に対する批判を元に、作者さん本人と議論出来るなんて、本来ファンにとってはご褒美以外のなにものでもないと思うんですが。
私は、作品に対する批判に、即カウンターが帰ってくる時代が結構好きです。皆さんはどうですか?
ちなみに、私は日本ファルコムのゲームが大好きなんですが、その中で「ロマンシア」というゲームについてたびたび批判的に言及することがあります。
これは、私がファミコン版のロマンシアを足かけ3年くらいかけてクリアしたことがあるという自負の元に批判しているわけであって、もしロマンシアの開発者様の目にとまって反論が来たとしたら、いつでも大喜びでお話に応じる準備があるというわけなのです。
ロマンシア。タイトル画面のBGM超いいですよね、ロマンシア。
けどロマンシアだけは許さない、絶対にだ。
今日書きたいことはそれくらいです。
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【プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
(Photo:Andreas Kollegger)