最近、知人に紹介されて、船釣りを始めた。
子供の頃、多少釣りをしたことがあったが、もう数十年も前の話だ。
現在は思想も道具もアップデートされており、要するに今の私は「シロート」。
そう言えば、漫画「はじめの一歩」の主人公の実家が釣り船屋だったな……とか思い出しつつ、海に釣りに行くようになった。
釣りはつらい
この話をすると、「釣りって、楽しいですか?」と聞かれることがある。
回答は無論、「楽しい」なのだが、実はそれと同じくらいの割合で「つらい」も配合されている。
例えば今の時期、洋上はめちゃくちゃ寒い。
撒き餌を仕掛けに詰めるのも、手がかじかんで、めっぽう辛い。
日陰で何時間もじっとしていると、寒くて頭がおかしくなりそうになる。
揺れる船も問題だ。手元で紐を結ぶなどの、慣れない細かい作業をしていると、船酔いしそうになる。
休もうにも、逃げ場がない。目をつぶると、余計ひどくなるし。地獄。
また、釣りは反復作業が多いため、釣れない時間が続くと、精神的にきつい。
釣れない原因が技術にあるのか、仕掛けにあるのか、その他の原因なのかもシロートには判別が難しいため、思うように対策をうつこともできない。
あと、釣り船の人とかに怒られる。「リール巻きすぎ!」とか「そこ邪魔!」とか。
40すぎのオッサンが思い切り怒鳴られる、というのは、会社でもなかなかないだろう。
釣具屋さんに行っても、何が良いのか全くわからないので、店内をいろいろとさまよった挙げ句、店員さんに聞いて回る。
店員さんも忙しいのに、拘束してもうしわけない……とおもいつつ、道具がなければ何もできないのが釣りなので、結局1時間近くもいろいろと聞く。
ということで、うまく釣れると帳消しになるくらい楽しいのだが、いろいろと釣りはつらい。
で、普通に考えれば「つらいのに、なんでそんなことやるの?」と思う方もいるだろう。
「趣味なんだから、楽しいことをすればいいのに」と言われることもある。
だが、改めて考えると、実はこの「つらい」が、めちゃくちゃ重要なのだ。
実際、「楽しい」だけであれば、貴重な時間を使う意味はあまりないと思っている。
「教えてもらう側」に回り続けないと、教えてもらうのが下手になる。
少し前、こんな記事を読んだ。
小さい頃でいえば、体育で跳び箱の飛び方を教えてもらうとき。
或いは、中学のときに英文の文法を授業で習うとき。
或いは、社会人になって最初に、ピラミッドストラクチャーに基づく1ページメモの書き方を、コンクルージョンファーストだよとアホみたいに叩き込まれるとき(苦笑)。
およそきっと、若い頃は、こうした「一方的に何かを教えられる」という経験に事欠かない。
ところが、である。大体30歳前後になってくると、多くの場合、こうやって純粋に何かを「教えられる」という経験が減り、逆に「教える」という立場が多くなる。
これは、非常に危険である。
一方的に教えてもらうときの、あの感覚。
「自分がとても無力に感じる」
「猫のようにごろにゃーんとお腹をみせて無防備にする」
「なんでもまずはスポンジのように吸収しようと謙虚になる」
「そもそも、めっちゃ緊張する」
「自分が上手くできるかどうか、不安になる」
こういう感じを、忘れてしまうのだ。
(YLOG走り書き)
実は、私にとって釣りはまさに、「無力で不安で仕方ない経験」に近い。
次に行く釣りの準備をしに、釣具屋さんに行くのも、船の上で悪戦苦闘するのも、まだ会社に入って新人だった頃、見よう見まねで資料を作ったり、上司のよくわからない指示を、先輩に聞きながら進めたりした経験と、ほぼ同じ感覚である。
30代後半、社会人も長くなり、仕事で途方に暮れることが比較的少なくなると、こうした「無力感」を感じる機会が少なくなってくる。
もちろん、そのほうが楽だし、仕事で失敗はできないから仕方がない部分もある。
だが、同時に貴重な能力である、「学ぶ能力」も低下してしまう。
意識して「教えてもらう側」に回り続けないと、教えてもらうのが下手になってしまうのだ。
今の時代、新しいことを吸収できなくなったら、致命的である。いや、教えてもらうのが下手になるだけだったらまだ良いかもしれない。
最悪なのは、「知的ゾンビ」、要するに学ぶ意志も能力もない、ゴミ同然になることだ。
結果、自分が教える内容、伝える内容については、「絶対的に正しい」という気持ちが増してくる。そして、段々と無意識に「自分は正しい」「もはや、学ぶことはあまりないのではないか?」という風に、思っていってしまう。
その極みが、大組織での事業開発に関する承認側、ビジネスコンテストの審査員、といった、いわゆる「ジャッジ側」に回る行為だ。
こういうことばかりしていると、最終的には以前の記事でも触れた「知的ゾンビ」と化してしまう。おお、こわい・・・
こうなると、誰も教えてくれない、指摘してくれない。
そして、最終的には自分の知らないところで駆逐されてしまう。
また、「仕事を引退して肩書がなくなった結果、地域に溶け込めない、プライドの高いオッサン」が揶揄されているのを見る。
日本のおじさんの最大の呪縛はこの「プライド」という何とも厄介な代物だ。特に終身雇用、年功序列制度という「タテ社会」の中で、会社勤めの男性は係長、課長、部長……と役職が上がるにつれ、上から目線で話し、敬語で「かしずかれる」ことに慣れていく。
「権力」という空気が、「プライド」という風船を膨らませていくようなものだ。上司らしく振る舞わねばという責任感がいつの間にか、プライドやおごりになり代わっていたりする。
彼らを悪く言うことはできない。
なぜなら、彼らは30代後半以降、「失敗すること」を許されてこなかったのだ。
だが、こうはなりたくはない。
「失敗」を利用できる人生と、できない人生では、能力向上に大きく差が出る。
2010年、ミシガン州立大学の心理学者、ジェイソン・モーザーは、実験を行った。
この実験では、ボランティアの被験者に脳波測定用の電極がついたヘッドキャップをかぶってもらい、被験者が失敗したときにどのような変化が脳内で起こるかを観察した。
すると、面白いことがわかった。
「能力は向上しない」と信じている固定型マインドセットの被験者たちは、回答の間違いを無視した。
ところが、「能力は向上する」と信じている成長型マインドセットの被験者たちは、間違いへの反応が強く、失敗後の正答率が上昇した。
「失敗への着目度と、学習効果」には、密接な相関がある。
失敗から学べない人は、失敗を受け止めず、失敗の理由を知性や自分の能力にする。
ところが、学習能力の高い人は、失敗を自分の力を伸ばす上で欠かせないものとして自然に受け止める。
ところが、「できること」「うまくやれること」だけをやっていると、この勘が鈍ってくる。
「失敗しないが普通」ではダメなのだ。
だから私は「Twitter」や「釣り」、「筋トレ」など、新しいことを定期的に始めるようにしている。
私の周りの人々も、トライアスロンや、フットサル、小説やイラスト、パン焼きからVRゲームまで、様々なことに手を出している。
特に、釣りのような、ある程度投資が必要で、右も左も分からないことをする経験は、「失敗せよ」が強制的にやってくる。
釣り船のオッサンから「そこ邪魔!」と言われることで、私は失敗を意識せざるを得ない心境になるし、魚が釣れなければ、何がダメだったのかを真剣に反芻する。
仕事で失敗することはそんな簡単ではない。
だが、生活に新しい試みを取り入れることは、非常に有効だし、負荷も少ない。
振り返ってみてほしい。
ここ数年で、「無力で不安で仕方ない経験」をどれくらいしただろうか?
全くそういうことがないならば、そろそろ生活を見直す必要があるのかもしれない。
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