Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略であるという本を読んだ。
筆者はジョージタウン大学マクドノー・スクール・オブ・ビジネス准教授である。
彼女は本書を通じて、失礼な態度がどれだけ組織の生産性を落とすのかを述べている。
本書はこの記事を執筆している時点でAmazonレビュー☆4で、519個と非常に多くのレビューがなされている。
それもあって僕は物凄く期待して本書を読み進めたのだが、大変申し訳無いが読後感は微妙であった。
「無礼は人の心を傷つけるよね」
「その悪影響は数値にも出ています。無礼な奴のせいで組織の生産性がこんなにも落ちるのです!」
「だからみんな、礼儀正しくなりましょう」
僕がこの本を正しく読めていないだけなのかもしれないが、少なくとも僕がこの本を読んで伝わったメッセージはこれ・だけである。
そしてこれに関する感想は以下のものだ。
「頭の中がお花畑すぎる…」
「ひょっとしてこの人、道徳の授業をすれば世の中からイジメが無くせるとでも思ってんのか…」
人が無礼な態度をとるのはメリットがあるからである
無礼は他人を不快にする。
これはいい。普遍的真理だからだ。
だが本当に私達が知りたいのは、その上でなんで無礼な振る舞いをする人がいて、かつそういう人間がいいポジションに座って生き残り続けているかではないだろうか?
なぜ世の中からパワハラが無くならないのか。
この疑問に納得のいく答えをくれたのが『問題上司 「困った上司」の解決法』という本だ。
筆者であるコロンビア大学教授ハーヴィー・ホーンスタインによれば、上司が部下を攻撃するのは”攻撃行為自体が自尊心を与えてくれるから”だという。
自分に抵抗できない弱い立場にいる相手を一方的に非難したり叱りつける。
この事を通じて人は優越感に浸り、会社での自らの重要性を再認識するのだという。
つまりである。残虐ハラスメントの正体とは弱いものを生贄として捧げて、強いものの自尊心を醸造する為の行いなのである。
そしてこの儀式を通じて尊大な自尊心を獲得した人間が、その燃料を燃やして勇猛果敢な成果をあげる。
結果、ハラスメントクソ野郎は業績を叩き出して出世する。
それに対して、イジメられた奴は自尊心が枯渇している事もあって悲惨な業績しか出せないから組織を追いやられる。
この図式を理解できれば、なんで無礼なやつが世の中にのさばり続けているのか嫌というほど理解できるだろう。
問題にならない程度に弱いものイジメによる残虐行為をやれるズル賢い人間は、その魔術的行為でもってこの世を生き抜くのに最も大切な自信をGetできるという、ある意味では優秀な個体なのである。
自尊心を自家醸造できない人が集まる場所では、定期的に〆ないと規律が保てない
自尊心というのは物凄く大切な概念だ。
自分という存在を強く肯定できる。自分という存在の価値を、誰よりも自分が強く認識できる。
このような状態に至った人達により構成されているコミュニティーは酷く空気が澄んでいる。
くだらない争い事はなく、脚を引っ張る奴もいない。
余計なイザ・コザに紛らわされる事無く、ストレスのない生活を送る事ができる。
このようなコミュニティを仮に天国としよう。天国の空気は澄んでいる。企業だけではなく、学校も上位校はほぼ校則が無く自由である。
<参考 年収を下げた会社に転職すれば仕事は楽に人間関係も上手くいくのは幻想で、年収高い会社の方が人格者やまともな人間が多いと言えるのか? – Togetter>
反対にこの対極に位置するのが地獄だ。地獄で何が起きているかというと定期的な締め上げである。
かつて某軍隊や運動系部活でもって朝礼の度にウルトラ理不尽な事が繰り返されているのをみて僕は頭を抱えてしまった事がある。昔はマジであれが何の意味があるのかサッパリわからなかった。
だが、『問題上司 「困った上司」の解決法』を読んだ今ならわかる。
あれは自尊心ドレインだ。上に立つものが下のものに残虐行為を働く事でもって自尊心を回復しつつ、下のものの反逆の意志が無くなるように〆あげているのだ。
自尊心の自家醸造ができない個体は定期的に〆ないと暴走する
この残虐行為をみて「なんて酷いんだ!」と嘆くのは簡単だ。
しかしそれにもかかわらずこの行いが太古の昔より連綿無く続いているのは、それが最適解だからに他ならない。
現実問題としてである。面倒な人間を従順に取り扱う為には締め上げ行為は必要不可欠だ。
Google社員が天上人のような待遇をうけられるのは、彼らはほっといても超・生産してくれるからである
<参考 Googleの社員食堂に感じた、格差社会のリアル。 | Books&Apps>
そうではない問題社員、あるいは人によっては家族や身内、学校のクラスメートなんかもそれに該当するだろうが、困ったチャンをほっておくとトンデモなくつけ上がって暴走モードに突入する事がある。
そうして暴走モードに突入した人に優しく接してしまうような個体は”終わり”だ。立場は逆転し、永遠に覆らない。
あなたは自尊心ドレインの餌食となり、永遠に自尊心を吸われ続ける事になる。
一人なら管理できるかもだが、集団は無理
理想をいえばだ。この手の個体が暴走モードに突入する度に締め上げて人里へと戻してあげるのが人道的な立ち振舞いといえよう。
しかし当たり前だが、こんなコストパフォーマンスの悪い管理指導方式は継続困難である
。一人二人ならまだしも、集団でこれをやれる人間はこの世にはいない。
じゃあどうすればいいか。その答えがあの朝礼の度に繰り返されるウルトラ理不尽なのである。
残念ながら世の中には定期的に〆ないと管理できない集団というのは一定数存在する。
もしあなたがそういう集団に紛れ込んでしまったのなら、そこでどんなに声をあげようが絶対に制度が覆る事はない。
だって問題なのはあなた1人ではなく、集団にあるのだから。
そんな所で声をあげるのは囚人が刑務所で制度改革を声高に主張するのと同じぐらいに虚無である。
「囚人な何を偉そうな事を言ってるんだ!黙って規則に従え」と言われて即・終了である。
あなたにできる事はそっとそこを離れて、締め上げの必要がない澄んだ空気の場所を目指すだけである。
もっとも、その里にあなたが立ち入る資格がある人間なのかどうかはわからないけど…
悪は凡庸な場所から生じる
皆さんは悪を何か特別なものだと思っていないだろうか?
「あいつはサイコパスだ。普通じゃないよ」
「イジメが行き過ぎて人を殺すだなんて、いくらなんでもねぇ…」
私達はこのように悪事を働く人間を狂った人として扱いたいという欲がある。
そのような人には衝撃的な事実かもしれないが、実は自分の行為を「悪」だと認める人間はほとんどいない。
先程紹介した『問題上司 「困った上司」の解決法』でも、ホーンスタインが何人ものサイコパス上司と言われている人にインタビューをしたが、誰一人として自分が悪いことをやっていたという認識を持ってはいなかったという。
「えええ、マジ?」
マジもマジも大マジである。これは歴史的にも類似例がある。
第二次大戦の時代。ドイツにアイヒマンという男がいた。知っている人も多いだろう。
彼はヒトラーの命令に従って何人ものユダヤ人を虐殺したとされており、ホロコーストを語るにあたっては必ず引き合いに出される人物である。
皆さんも御存知のとおり、第二次大戦でドイツは負けた。
アイヒマンはその罪を問われ戦後裁判にかけられるのだが、彼はドイツ政府によるユダヤ人迫害について
「大変遺憾に思う」
と述べたものの、自身の行為については
「命令に従っただけ」
と主張し、一貫して無罪を主張し続けたという。
若かった頃の僕はこのエピソードを読んで
「スゲェ。こんな反省のカケラもない悪人が、この世にいるんだ」
と思ったが、サラリーマンとして働くようになったいま現在、僕は彼の事を全く笑えない。
「シキタリに従っただけ」
「自分の職業理念に基づいて合理的に判断した」
「社会のためには仕方がない」
私達は大なり小なり、アイヒマンの二番煎じをやっているはずだ。
故にサラリーマンをやった事がある人間でアイヒマンの事を笑って切り捨てられる人間などいないのではないだろうか?
このアイヒマンの姿をみて、ユダヤ人の哲学者であるハンナ・アーレントは悪という概念を以下のように定義づけた
「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」
実に重い言葉である。
あなたもシステムに飲み込まれたら…アイヒマンになっていたかもしれないし、貴方が大嫌いな問題パワハラクソ上司にこれからなるのかもしれない。
何が善で、何が悪か。
何が人として許されない行いで、何が仕方がない事なのか。
人としてあるべき姿とは何か。
いやはや、世の中は難しい。最後まで良く生きられればよいのだけど。
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【著者プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
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noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます
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