先日、妻がお金の計算をしながら、困っていた。

「どうしたの?」と声を掛けると、幼稚園のあるイベントの会計報告を任された、という。

 

「お金の計算は苦手なのよね。」

「得意な人はあまりいないから、気にしなくていいと思う。」

「そうじゃなくて、昨日の集まりで指摘されたの。」

「なにを?」

「業者さんから、野菜を仕入れたんだけど、その金額が大きすぎるって。」

 

領収証を見ると、確かにスーパーで買う金額よりも、かなり大きな金額が書かれている。

 

「本当だ。高い。」

「もうお金を払ってしまったんだけど、なんで気づかなかったのかなーって。」

「誰でもミスはあるよ。」

「そうなんだけど、この伝票、担当者と、リーダーと、私の3人が見ていたはずなの。でも3人とも指摘できなかった。」

「誰が気づいたの?」

「昨日の集まりで、別のお母さんから指摘があって、初めて気づいたの。」

「……いい加減にやっていた、というわけでもなさそうだね。」

「もちろん、ちゃんとやってた。実際、全体の金額はピッタリ合ってる。」

 

妻は困ったように言った。

「でも、金額の妥当性は誰も気にしてなかったの。会計って、金額があっているかだけじゃなく、金額の妥当性もチェックすることが役割だったなって。反省ね。」

 

 

後日、また妻が幼稚園の件で悩んでいた。

「また、怒られちゃった。」

 

ううむ、幼稚園も大変なんだな。

 

「何があったの?」

「油を捨てるとき、空いた牛乳パックに入れて捨ててるんだけど、捨てたあとに上から漏れてこないよう、ビニールテープで封をしてるの。」

「それで?」

「ただ、そのビニールテープがちょっと弱くて、よく油が漏れちゃう。だから、親切心で「百均かなにかでガムテープを買えばいいんじゃない?」って言ったの。」

「うん、何も問題はないように思えるけど。」

 

「そしたら、上の人達から「すぐに買えばいい、という発想をやめなさい」と言われちゃって。」

「ほうほう」

「穴開けて、紐か何かで縛るとか、封の仕方を変えるとか、工夫次第で幾らでもやりようがあるでしょう、と。」

 

んー、あまり合理的ではないような気がする。

私は言った。

「手間を考えると、百均のガムテープのほうがいい気がするけど。」

 

しかし、妻は首を振った。

「私も最初はそう思ったけど……。」

「けど?」

「多分、上の人もそんな事はわかってる。」

「まあ、確かに。」

「要するに、「お金がないときでも、工夫次第でなんとかできる」という方針があるのに、それを無視したから怒られたの。」

「なるほど……。」

「確かに「手持ちのもので工夫する」という姿勢は大事よね。お金は無限じゃないし、いらないものを買わないことは大事。作業は、こなすだけじゃなく、その方法や手段を考えることが大事っていう、本来の目的がちゃんと見えてなかったなー、って思って。」

 

 

妻の話を聞いていて、ふと気づいた。

「目的はなにか」と、問い直すことは、あらゆる仕事において重要だったな、と。

 

確かに、私の師は、あらゆる仕事において、「目的」を認識することを、何よりも重視していた。

 

例えば提案書をレビューしてもらうと持っていく。

「これで良いかどうか、見ていただきたいと思いまして。」

 

すると、中身を見るよりも前に、師はタイトルをじっと見る。

そして、次の一言はたいてい、

「安達さんは、どうしたいの?」だ。

 

私は、「仕事を取りたいです」と彼に告げた。だが、彼はじっと考えた後に、こう言った。

「お客さんは、何を求めてると思う?」

「……。」

「提案の目的は?」

「えー……。」

「提案は、お客さんにもメリットがなければならない。メリットというのは、要するに売上アップ、コストダウン、生産性の向上のいずれかでしかない。」

 

私はしまったな、と思いながら言い直す。

「すみません、そういう意味では、この提案はお客さんの成約率を向上させることを目的としています。」

「ならば、提案の最初にそうハッキリと書くべきでは?」

「は、はい。」

 

彼は容赦なく続ける。

「あと、成約率を向上させる、という提案に、なぜ間接部門の意識アップ、という項目が必要?」

「お客さんへの回答が早くなり、成約率の向上が見込まれるからです。」

「では、意識アップではなく、営業からの依頼に対するレスポンススピードの向上、と書かなければ駄目だろう。このままでは目的を誤解される可能性がある、あとは……」

 

という具合で、私は延々と、「目的、目的、目的、目的」と、指摘をされ続けた。目的の理解がなされていなければ、手段の議論は無意味だし、時として有害である。

 

結局私は「提案書を書く、単なる作業者」になっていたのだった。

「自分が大した価値を出せてない」と痛感させられるのは、いつでも嫌なものだ。

 

 

私達は、考えることが多くなってくると、ついつい、「本来の目的」を忘れてしまいがちになる。

そればかりか、本当は価値をあまり生み出さない活動に、エネルギーの大半を注ぎ込んだり、余計な出費をしたり、的はずれなコミュニケーションで相手の時間を無駄にしたりする。

 

行動経済学者のダン・アリエリーは、著作の中で「人間は、選択の自由のせいで、本来の目的を忘れてしまう」と述べ、こんな話をしている。

ふたつの非常に似かよった選択肢からひとつ選ぶのは簡単なはずだが、実際にはそうはいかない。

わたしも何年か前に、MITにとどまるべきか、スタンフォード大学に移るべきか悩んでいたとき、まったく同じ問題に陥った(最後にはMITを選んだ)。

ふたつの選択肢を突きつけられ、何週間もかけて両校をじっくり比較した結果、総合的な魅力という点でどちらもほとんど変わらないことがわかった。

 

そこでわたしはどうしたか。それでもまだ、さらなる情報と実地の調査が必要だと判断し、両校を慎重に吟味した。それぞれの大学の人に会って大学をどう思っているか尋ねた。近隣や子どもが通えそうな学校も調べた。

スミとふたりで、ふたつの選択肢が自分たちの望む生活にふさわしいかどうかじっくり考えた。

 

そのうち、わたしはこれにすっかり心を奪われて、学術研究や論文発表に支障が出はじめた。皮肉なことに、仕事をする最適な場所を探しているうちに、わたしは研究を軽視してしまっていたのだ。

私は他にも、部長職やリーダー職への人員配置はあっさり決めるのに、交通費の申請の不正を防ぐ議論に貴重な時間を使っている会社を見た。

自分たちの商材について、お客さんから苦情が大量に寄せられているのに、クレームの記録手法ばかりに時間を使う会社を見た。

パフォーマンスの高い人を励ますのではなく、パフォーマンスの低い人をどう処罰するかにばかり時間を使う会社を見た。

 

実際、「パーキンソンの法則」で有名な、C.N.パーキンソンは、「議題の一案件の審議に要する時間は、その案件にかかわる金額に反比例する」という法則と、その実例を残している(*凡俗の法則)

・1000万ポンドの原子炉の見積もりには2分半

・350ポンドの事務員の自転車置き場建設には45分

・21ポンドののミーティングのお茶菓子代には、1時間15分

仕事は日々、考えることが増え続け、我々の注意資源は常に消耗している。

そのため「本来の目的を見失っている」状態が、改めて問い直される場は、それほど多くない。

 

したがって、本当にパフォーマンスを追求するには

「それって、なんのためにやっているの?」

と問い直すことこそ真に重要だ。

 

映画「マトリックス・リローデッド」の中には、

“Why” is the only real source of power.

Without it you are powerless.

という一文が出てくる。

 

私も同感だ。

「目的」も「意味」も考えない、考えさせない、考えられない仕事では、人は、たいした価値はだせない。

従属するだけの存在となる、

 

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