最近読み直していて、結構なインパクトがあった本がある。
元GoogleのCEO、エリック・シュミットが書いた、「1兆ドルコーチ」だ。
「1兆ドルコーチ」とは、シリコンバレーで活躍したビル・キャンベルというコーチのこと。
何を大げさな、と思う方もいるだろうが、「1兆ドル」は決して大げさな表現ではない。
ビル・キャンベルは1兆ドルにも値するコーチだった。いや、1兆ドルは彼が生み出した価値に遠くおよばない。
彼はスティーブ・ジョブズがつぶれかけのアップルを立て直し、時価総額数千億ドルの会社にするのを助けた。ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、エリックがスタートアップだったグーグル(現アルファベット)を時価総額数千億ドルの企業にするのを助けた。これだけでも1兆ドルを大きく超えているが、ビルがアドバイスした企業はほかにも数知れない。
彼がコーチした人たちの名には、元アメリカ副大統領や、スタンフォード大学の元学長なども含まれており、彼は疑いようもなく、当代随一のコーチだった。
エリック・シュミットは著作の中で、
「ビル・キャンベルは何をしたか」
「ビル・キャンベルはどうやってコーチをしたか」
を詳細に記述し、誰にでも利用できるよう「コード化」を試みたという。
実際、私自身もこの「コード化」された内容を読みたいと思い、この本を手にとった。
だが、おそらく「コーチのテクニック」を期待して読んだ人は、期待はずれだろう。
なぜなら「目新しいこと」はなにもないからだ。
実際、紹介されているのはテクニックですらない。
書かれていることは人間性の本質そのもので「当たり前。だが実践は難しい」ことがワンサカ書いてある。
イメージとしては「論語」に近いだろうか。
だがこの記事で書きたいのは、ビル・キャンベルのコーチングの中身ではない。
実は、それよりも遥かに大きな発見があった。
「利口ぶるやつはコーチできない」
それは、以前には読み飛ばした項目だった。
ビル・キャンベルが「コーチを引き受ける前に、コーチが可能な人物かどうか、テストしていた」という事実だ。
ビル・キャンベルは、コーチングを受け入れられる「コーチャブル」な人だけをコーチングしていた。
「でもそんなことはどうでもいい」とビルは言い放った。
「私が知りたいのはただ一つ。君はコーチングを受け入れられるか?」ジョナサンは反射的に、そしてまずいことにこう答えた。
「コーチによりますね」
まちがった答えだ。
「利口ぶるやつはコーチできない」ビルはぴしゃりと言った。
彼が面接をおしまいにして、立ち上がって出ていこうとしたその瞬間、ジョナサンはエリック・シュミットが誰かにコーチングを受けているらしいという話を思い出した。
厳しい。
「コーチングを受け入れられるか?」という質問に対して「コーチによりますね」という回答は、「いかにも言われそう」なものだ。
だがビル・キャンベルは、その一言でさっさと席を立った。
ビル・キャンベルが「コーチ相手」に求めた資質は何より、正直さと謙虚さだったという。
だからコーチ不可能な人物にはあっさりと、「おまえは利口ぶるやつだ」 = 「嘘つきで傲慢」と言ったのだ。
そこには一切のごまかしがない。
これまで私は漠然と「世界一のコーチなら、誰でもポジティブに変えられるのでは」と思っていた。
でも、全く逆だった。
「世界一のコーチは、コーチ可能な人物だけに支援を提供していた」のだ。
心が弱い人には「コーチング」も「指導」も機能しない
「コーチャブル」という概念に、まだピンとこない方もいるかも知れない。
だが「コーチング」を機能させるためには必須である。
為末大氏が松下幸之助の言葉を引用し「受け入れるなら万物は師となる」と述べているが、「あらゆることから学べる」という概念は自己革新の鍵である。
実際のところコーチングが機能するかどうかは、コーチよりも本人の謙虚さが影響する。英語でコーチャブルと呼ばれ、松下幸之助翁が素直さと呼んだものは同一だと私は思う。受け入れるなら万物は師となる。受け入れなければコーチすら敵になる。素直さを阻害する最大の感情は恐れだ。
— Dai Tamesue (為末大) (@daijapan) December 21, 2019
ビル・キャンベルも松下幸之助と同様の境地にたどり着いたのだろう。
スタンフォード大学の元学長は、ビル・キャンベルがウソつきを嫌っていたことを次のように述べている。
ウソつきは、コーチャブルではない。そういう輩は、そのうち自分の言葉を信じはじめる。自分のウソに合わせて真実を曲げるから、余計にたちが悪い
だが、この指摘が正しいならば、数々の研究結果が「大半の人間は事実を認めようとしない」と示しているとおり、「コーチングが機能する人は少ない」ということになる。
人は自分の信念に反する事実を突きつけられると、過ちを認めるよりも、事実の解釈を変えてしまう。
まとめると、以下のようなことが言える。
1.人は、基本的に間違いを認めない。事実の解釈を変えるほうが得意である。
2.間違いを指摘すると「私は嫌われている」「この人は失礼だ」と解釈されてしまう可能性もある。
この本に付けられている、一部のAmazonのレビューを見ても、「コーチャブルではない人」がどのような存在かはよく分かる。
「何を言っても無駄な人」は存在する
私は仕事柄、多くの会社が「コーチャブルではない社員」に悩むのを目にしてきた。
彼らは何を言っても、その場しのぎの返答だけで、行動が変わることがない。
「なぜ行動を変えないのか」と聞くと
「時間がない」
「権限がない」
「わからない」
「やりたくない」
の「4ない」で、話は終わる。
彼らは一見謙虚に見えるが、その実は非常に傲慢で、経営者や上司、同僚を見下している。
ビル・キャンベルが言うところの、「利口ぶるやつ」だ。
そういう方に対しても、実に辛抱強く付き合う人がいた。
部下の言動に真剣に悩む上司もいた。
「いつか気づいてくれますよ」という社長もいた。
でも、そうした努力は常に徒労に終わる。
もういいではないか。
世界一のコーチですら「利口ぶるやつはコーチできない」つまり面倒は見ない、と言い切っているのだ。
そういう人々と信頼を築くことは不可能だと割り切ろう。
むしろ、彼らも「自己革新」など望んではいない。
彼らは「現実」を見たいと欲していないし、現状を変えたいという欲求も本気ではない。
そういう人々に現実をつきつけるのは、むしろ迷惑行為なのだ。
これは言い方の問題ではない。
「知らない権利」の問題である。
真実は残酷だ。
殆どの人間は大した能力を持たないし、誰もが羨む成功とも程遠い。
唯一できることは「自分の主観的な世界」を整えて、どうにか折り合いを付けていくことだけだ。
だから人を傷つけない「大人」は多くの人にとって望まれる。
真実かどうかよりも、「主観的な世界」を心地よくしてくる人のほうが、社会的に歓迎される。
「知りたくもないこと」を本人に突きつけて「現実を見せる」などというのは、単なる下品な悪趣味であり、エゴである。
だから「素直じゃない人」を気に病む必要なんてない。
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