以前から「妙に勘が冴えてる人」の事が不思議で仕方がなかった。
身近にも「よくこんな難しい病気を診断できるな」というタイプの医者が数名いるのだが、彼らは多くの人がスルーっと落とし穴を見逃す中で
「ここ、ちょっと変じゃないですか?」
とズバッと指摘するのである。
あの姿を見るたびに
「そもそも、なんでそんな所に目がいくの?」
とずっと疑問に思っていた。
「あれを自分もできるようになりたい」
そう思いコツのようなものを当人に問いただした事もあるのだが、みな口を揃えて「なんかピンとくるんだよね」などの曖昧な事しか言わない。
本当に長い間あの秘密が気になって気になって仕方がなかったのだが、つい先日読んだ本の中にその回答がやっとこさ見つかった。今日はその話をしよう。
入念に入念を重ね続けられる人だけが「ピンとくる」
これは、“あなたの生産性を上げる8つのアイディア”という本に載っていた話だ。
この本の中で、皆が見逃す中たった一人だけ保育器の中にいる赤ん坊の感染症を見抜いて命を救った看護師の話が出てくる。
彼女に「なぜわかったのか?」と聞くと、初めは「直感」としか答えなかったそうなのだけど、何度も質問を繰り返すうちに実は彼女には一つの特異的な習慣がある事が判明した。
それはイメトレである。
それもフワッとした曖昧なものではなく、かなり細部まで毎日こだわり抜き続けるという、大変に綿密なものだ。
彼女は病棟を回る最中、常に「頭の中に健康な赤ん坊はこうあるべきだ」という細部までこだわり抜いたイメージを何度も何度も想像し、常に赤ん坊を診る際にその正常像と比較する事を習慣化していたという。
つまり彼女がピンと来たのは第六感でも何でもなく、常に頭の中にある模範解答と比較した間違い探しを徹底していたが故なのである。
今回の件も、そのイメージの像と細かい部分で違う像があったが故に気がつけたというわけだ。
つまり……、直感は何の準備もなしに天から降ってくるようなものではないのである。
入念に入念を重ね続けられる人だけが「ピンとできる」のである。
「直感に頼るな」の意味がやっとわかった
この記述を読んで僕はレオナルド・ダ・ヴィンチの「幸運の女神には、前髪しかない」という言葉を思い出した。
これは
「チャンスの女神には前髪しかないので、向かってくるときにつかまなければならない」
「通り過ぎてから慌てて捕まえようとしても、後ろ髪がないのでつかむことが出来ない」
という意味のフレーズなのだが、直感も同じだったのである。
直感の女神も、前髪しかなかったのだ。
僕はこれを読んで長年の疑問が氷解した。
医学の世界でも
「直感に頼りすぎると、いつか落とし穴に落ちる」
「だから少しでも違和感を感じたら、立ち止まって熟考しろ」
とよく言われるのだけど、この思考の切替は本当に難しい。というか出来ない。
だからみんな落とし穴に落ちるのだ。
後から振り返れば
「なんでこんな簡単な事に気がつけなかったんだ?」
というケースですら、当事者の最中はそうはみえない。
仕事などで一度痛い目にあった事がある人なら、読んでて胸がチクりとするだろう。
このシステムのバグをどうやったら上手に避けられるのか皆目見当もつかなかった。
けど、上記の事例を分析するにこういう事だったのだ。
「問題に当たってから考えるのをやめろ。そんな事をしてたら直感に騙されるぞ」
「その逆だ。問題に当たる前に考えるんだ。そんでもって最初の想定と少しでも食い違ってたら、最初から熟考しろ」
「落とし穴にハマってから考えても、もう手遅れなんだ」
なぜ、わかっていても私達は細かい未来予想をやらないのか?
この他にも、人より一歩踏み込んだ細かい未来予想をやる事で成功を収めているタイプの人は結構いる。
例えば村上ファンドで有名な村上世彰さんは、その著書である生涯投資家の中で
「投資するか否かは全て自分で細かくシミュレーションし、期待値を計算した上で決める」
と書かれている。
細かく細かく自分で考えられるケースは全て考えた上で、成功する確率と失敗する確率を事前に計算し、その上でリターンが大きいと判断したら躊躇なくリスクを取る。
そうして彼は巨万の富を築き上げる事に成功した。
僕はこの本を読んで随分と感心したのだが、改めて考えてみると自分は株で儲けたいと思ってる癖に、あの本を読んでから一度も彼の教えに従っていない。
僕以外にも村上さんの本を読んだ人は沢山いると思うのだが、彼の手法に感心した人は多くても、実際に同じことを綿密に実践し続けてる人はほとんど居ないのではないだろうか?
つまりである。確かに未来予想はやった方がいい。間違いない。
ただ…それを習慣化できるかというと…ものすごく難しい。だからみんな村上さんになれないのである。
じゃあどうやったらそれが習慣化できるのだろうか?
そのカギはたぶん行為にご褒美をセットで懐き込めるかにある。
決断を自覚すると、人生の裁量を実感できる
何かを習慣化させたいのなら+αでご褒美がセットできれば円滑だ。
やれば必ず気持ちよくなれるのなら習慣化も容易い。
現在進行系で依存症患者を山ほど生み出し続けているアルコールはまさにこのいい例だ。
アルコールは凄い。飲めば100%酔っ払って気持ちよくなれる。
御利益の返信率100%なんだから、そりゃみんなズブズブ沼にハマる。
仕事における細かい未来予想も、やったら気持ちよくなるご褒美が付与できれば話は早い。
とはいえ、さすがに仕事中に飲むわけにもいくまい。
ではどうすればいいのだろうか?
僕は決断の強い自認にそのヒントがあるように思う。
「今日は重大な決断をした」とつぶやくのは気持ちがいい
これは起業家の知り合いが増えて「面白いな」と思った事の一つなのだが、彼・彼女らは「今日は重大な決断をした」と事ある毎につぶやくのである。
最初の頃はあれが何を意味しているのかがサッパリわからなかった。
とはいえ面白そうなので実際に自分も何らかの意思決定を行った際に「今日は重大な決断をした」とつぶやくようにしたら、これがかなり気持ちいいのである。これには本当に驚いた。
この気持ちよさが何に起因するのかというと、恐らく自分の人生を自分でコントロールしているのだという実感である。
他人にやらされるのと、自分でもって主体的にやるのとでは、何でも全然楽しさが違う。
人生のコントロール感の再認識は自尊心を強く高めてくれる。
成功した起業家の自尊心が高いのは実際に自分の選択がダイレクトに現実に反映される等のみならず、サラリーマンと比較して意思決定したという自認頻度が違うのも大きいように思う。
普通の勤め人で「今日は重大な決断をした」と言う人はあまりいないが、あれは本当に勿体ない。
絶対に意識して言うようにすべきである。
あんなに言ってて気持ちいいフレーズはそう無い。
なので未来予想にもこれを組み込めたらかなりいい感じにイケると思う。
定期的に自分のやった仕事を振り返って
「今日も細かい未来予想をやった上での意思決定ができた」
「重大な決断ができたぞ」
とでも自認すれば、かなり心持ちも変わるように思う。
自分の人生に裁量を感じられるように人生をデザインする
先ほどは飲酒の例をあげたが、同じ飲酒でも友達との飲み会と上司から無理矢理飲まされる酒とでは楽しさが全く違う。
上司に無理に飲まされる酒ほどまずいものはない。
御利益は同じはずなのに、自分の手で選択するのと他人から無理やりやらされる事ではこんなにも雲泥の差がある。
実はこれこそが人生の本質だ。
いくら御利益があるものでも、自分で選んでやらない事は一ミリも人生を楽しくしてくれないのである。
先ほどは自分で良い習慣を築き上げる為のヒントのようなものを書いたけど、実は世の中にはそうではない習慣も沢山ある。
例えば多くの人は働きだしたら毎朝それなりに決まった時間までには起きられるようになる。
こういったタイプの習慣は外部圧力により無理やり形成されたものだが、経験上そういう”やらされてる習慣”が生活の大部分を占めるようになると、心がどんどん病んでいく。
これこそ「自分で決断してない」最たる例だ。
「今日は重要な決断をした」のまさに逆である。
誰かの為の習慣には自分の人生は無い。
あなたは今日、何か自分の意志でキチンと決断しただろうか?していないのなら、そりゃ人生がキツくても当然である。
それは上司に酒を飲まされて悪酔いするのと全く同じだ。
あなたの人生が辛いのは人生の裁量を実感できない習慣が生活の多くを占めているからに他ならないのである。
人生の裁量は自分で作れる
「そんな事いっても、どうにもできない」
こういう人もいるかもしれないが、人生は工夫次第でいかようにも改変は可能である。
例えば家事育児などで忙しく、朝にしか自由時間が作れない社会人は自分の意志で以前よりももっと早起きしてたりする。
普通に考えれば彼らは前より早起きしてるのだから幸福度が下がりそうなものだが、僕の知る限り多くの早起きを意識してやってる人間はむしろ幸せそうである。
なぜそんな逆転現象が起きるのか?
それは元々は出勤のためだった起床が、今度は自分のための早起きとして変換されたからだ。
早起きにより自由時間を得るという行為には主体性がある。
その行為の中には間違いなく裁量があり、それは貴方の魂を癒やす。
この通り、不自由の中にも自由は作れるのである。
全てはあなたの工夫次第なのだ。
たとえ監獄の中にいたとしても人間は自由を生み出せる
人は不自由な中にあっても自由を見出すことができる。
名作映画である「ショーシャンクの空に」の有名なシーンを取り上げよう。
この映画は冤罪によって投獄された有能な銀行員が、腐敗した刑務所の中でも希望を捨てず生き抜いていくヒューマン・ドラマだ。
この映画の中でも屈指の名シーンの一つとして、主人公のアンディが「フィガロの結婚」のレコードを許可なく獄中で爆音で流すシーンがある。
規則でがんじがらめにされた不自由な刑務所の中で自由を貫くという見ていて非常に爽快感あるシーンなのだが、この超絶名シーンの後がまた凄い。
この爆音行為のあと、主人公アンディは規則違反を咎められて反省部屋へ入れられるのだが、二週間後にアンディは表へ出た後に仲間とこう会話する。
***
「懲罰房はどうだった?」
「快適だった」
「うそつけ。地獄だろう」
「モーツァルトを聴いていた」
「まさか、独房でレコードを?」
「頭の中で。心の中で。人から音楽を奪うことは決してできない」
***
独房の中にだって自由はあるのである。
人はいつだって自由だ。不自由の中にも自由はあるし、その逆もまた然りである。
全てはあなたの次第なのである。
今日は重大な決断がキチンと自分できただろうか?
毎日を振り返り、それに強く首を縦に振れるような人生が構築できれば、きっとあなたの人生は明るくなる。
幸せになれるかの差は、たぶん本当にそのちょっとした違いだけなのだ。
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【著者プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
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noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます