もう50年近く前の話だが、当時5歳くらいだった兄貴を怪獣に喰われたことがある。

その怪獣は、3階建てのアパートくらいの大きさだっただろうか。

イグアナドンのような見た目で、ある日突然、ウチの近所に現れ町を破壊し始める。

私たち兄弟は手を繋ぎ逃げ回るのだが、ヤツはこちらに目をつけると執拗に追いかけてきた。

 

土管のような狭い空間に逃げ込んだが、ダメだった。

前脚で兄貴をつかまえると、そのまま口に放り込んでしまう。

 

上半身を呑まれながら、激しく暴れる兄貴。

足をバタバタさせながら、私の名を呼び泣き叫ぶ。

 

「お願い助けて!死んじゃうよおぉぉぉ!!」

 

しかし私は、兄貴を置いて逃げた。

そして何かの物陰に隠れて怪獣の様子を窺うと、ますます泣き叫ぶ兄貴。

やがて“バキッ”というような、背骨が折れるような音が聞こえると、怪獣の口から見える兄貴の足はグッタリして、動かなくなってしまった。

 

兄貴の服は、幼稚園から帰ってきた制服のまま。

そして口元に血が滴ると、ヤツはそのまま兄貴を飲み込んでしまった。

 

「うわああああああ!!!」

 

絶叫した瞬間に目がさめ、そばで寝ていた両親も目をさましビビりあがる。

母が電気をつけ、何があったのかと聞くが、嗚咽がひどく言葉にならない。

「怖い夢でもみたんだろう」

と父が言っていたような気がするが、ここから先は記憶が曖昧だ。

 

きっとこれは、私の人生の中で一番古い記憶で、おそらく3歳頃のこと。

目の前で兄貴を喰われた夢なので、無理もないだろう。

 

しかしそれ以上に辛かったのは、夢の中とはいえ、兄を置いて逃げた自分自身の無力さについてだった。

なぜ助けに行こうと思えなかったのか…。

なぜ逃げてしまったのか。

 

ずいぶん長いこと、この夢がトラウマのようになっていたがつい最近、その“夢の伏線”を回収できた気がしている。

 

「好きなだけ食べていいんだぞ」

話は変わるが、今や日本人の国民的な食文化とも言える回転寿司についてだ。

スシロー、くら寿司、かっぱ寿司など、それぞれの店が様々な強みを見せて、消費者を楽しませている。

 

しかし昭和の頃、お寿司と言えば法事や慶事の時に桶で注文し、特別な日に家庭で食べる「ごちそう」の代名詞であった。

盛り合わせのネタは、3個のものもあれば5個のものもあり、人数分、食べたいものがあるわけではない。

子供を中心に、いとこ、兄弟でジャンケンして取り合うのである。

 

だからこそ、大好きなネタを最初に“1位指名”するのか。

競争相手の好みを分析して、“2位指名”でもゲットできると予想するのか。

ジャンケンの本気度だけでなく、食べたいものをどんな順番で指名するのかも、昭和の寿司を巡る“ドラフト会議”であった。

 

しかしそんな文化を一瞬で終わらせたすごいヤツ、それこそが回転寿司である。

大阪発祥の100円寿司、元禄寿司だ。

 

その元禄寿司が私の田舎、琵琶湖のほとりに出店してくれたのは、昭和50年代前半だっただろうか。

父はさっそく、私たち家族を車に乗せると道中からウキウキで、こんなことを話した。

 

「今日は好きなお寿司を、好きなだけ食べていいんだぞ」

「え、本当に?なに食べてもいいの?」

「そうだ、遠慮するな!」

「でもなんで、好きなものを好きなだけ食べられるの?」

「それは着いてからのお楽しみだよ!」

 

経験したことのない興奮に、心が震える。

好きなネタを好きなだけ食べていいなんて…。

エビを3回食べてもいいの?

さすがにマグロは1回までだよね?

そんな会話で、ワクワクが止まらない。

 

そしてお店に着くと、そこはまさに昭和の小学生にとって、この世の楽園だった。

目の前を、お寿司がぐるぐると回っているのである。

おそらく15皿くらい喰らったのではないだろうか。

エビは6皿くらい食べたような気がする。

 

ジャンケンで争わなくてもいい。

ネタの取り合いで、ケンカしなくてもいい。

何よりも、美味しそうに食べる私を見つめる両親の目を、今も忘れることができない。

本当に幸せな時間だった。

 

だからこそ、私には確信していることがある。

元禄寿司をはじめとした「回転寿司」文化が私たちに提供してくれた、本当の価値について。

それは決して、「安くて美味しい」というような、表層的なものではないということを。

 

「無力感からの解放」

話は冒頭の、兄貴を怪獣に喰われた想い出についてだ。

幼少の頃の悪夢の伏線を、いい年になったオッサンになってなぜ回収できた気がするのか。

 

父はもう鬼籍に入り久しい中、先日、母に会いに行ってきたときのことだ。

認知能力も厳しくなっているはずなのに、不意にこんな事をいう。

 

「高校の頃は、本当に惨めな思いをさせてごめんね…」

 

私が通っていた高校は当時、日本でも屈指の学費がかかる、なかなかイカれた私学だった。

同級生の親は、開業医の子息は当たり前で、会社経営者や伝統芸能の家元の家系など、大金持ちばかりである。

そんな中、私の小遣いはつつましく、「超絶お金持ち」の同級生となかなか遊びのレベルも合わない。

 

しかし私はそんなことを恨みに思ったことなどもちろん、一度もない。

むしろ庶民の息子として、そんな学費を親に出させてしまったことを申し訳なく思い、いつか謝るタイミングを探していたくらいだった。

だからこそ、こんなことを返す。

 

「かーちゃん、なにいってるんよ。俺こそあんなに高い学費の高校に行きたいって言ってしまって、本当にごめんね。でもおかげで、楽しい青春時代を過ごせたよ」

「本当にそう思ってるの?良かった…」

「当たり前やんか。そんなことずっと気にしてたなんて、驚いたわ」

そんなことを母に突然“懺悔”された出来事だった。

 

同じようなことで、思い当たるフシがある。

もうずいぶんと昔のことだが、たまの贅沢で奮発し、子供たちを「皿で値段が変わる回転寿司」に連れて行ったときのことだ。

息子たちは値段の高い皿を何度も頼みたがるのだが、総予算を超えそうになると私はつい、圧を掛け始めてしまう。

 

「もうお金がないよ…」

「その皿を頼むなら、それで最後だよ」

すると幼い子供たちは高い皿を諦め、安い皿を2つ取るなどして、それでも食事を楽しんでくれた。

 

しかしあれから10年以上の時が経った今、あの時のことを子供たちに申し訳無く思っている。

なぜ、たまの贅沢の時すら、

「好きなものを好きなだけ食べていいんだよ」

と言ってやれなかったのか。

幼い子供の“食べたい”という思いをなぜ、制限してしまったのか。

 

「あの時は本当に、つらい思いをさせてごめんね…」

老母が私に謝罪をしたように、私もいつか、機会を捉えて子供たちにそう言いたいと思っている。

 

そして「無力感」というのはこれほどまでに、強烈な記憶になって残り続ける。

 

本当はこうすべきだとわかっているのに、それをする力がない。

本当はこうしてあげたいと思っているのに、それをする力がない。

 

だからこそ私の、3歳の頃の悪夢は今も、強烈に記憶に残っているのだろう。

助けてあげたかったのに、自分にはどうすることもできなかった無力感と、その辛さ。

いつまでも記憶から消えないのは、そういうことだったのかと。

 

令和の今、スシローやくら寿司をはじめとした大手回転寿司店の多くが、皿によって値段が変わる料金体系になってしまった。

しかし回転寿司の本当の強みとは、この「無力感からの解放」ではないのか。

 

「好きなものを好きなだけ、安心して食べてもいいぞ!」

例えばファミリー層の場合、そう自信を持って子供に言える、“親にとっての”幸せである。

人は、自分が幸せであること以上に、人を幸せにできることに喜びを感じるのだから。

 

時代の中で在り方は変わっても、”回転寿司”には、その原点をいつまでも守ってほしいと願っている。

あの場所は、多くの人を「無力感」から解放し、食の幸せを提供してくれる、”大人にとってもこの世の楽園”なのだから。

 

 

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【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、今でも私はエビのお寿司が大好きです。
なんなら、いい年してエビフライもえび天も大好きです(笑)

X(旧Twitter) :@ momod1997

facebook :桃野泰徳

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