知人でまた一人、会社をたたんだ人間がいる。

 

彼女はwebデザイナーとして新卒で製作会社に入社、

「グラフィックデザイナーになりたかった」と言っていたのだが、近年ではその口は少なく、内定をもらったweb製作会社に入社した。

 

といっても彼女は新しい技術を憶えることに喜びを感じるタイプだ。

「どこでも頑張れますよ」という彼女の言葉の通り、腐るでもなく、淡々とwebデザイン、CSS、PHP等の技術を習得し、社内で評価を得て、それなりに重要なプロジェクトを任されるようになっていた。

 

そんな彼女が、独立を考えるきっかけとなったのは、敬愛する上司が体を壊し、退職してしまったことだ。

上司は古いタイプの「仕事人間」であり、仕事に人生を捧げた人と言っても良かった。部下の面倒見がよく、彼女は「一人前になれたのは上司のおかげ」と言って憚らなかった。

 

「価値観が変わりました。」と彼女は言う。

「仕事は人生の一部だったはずです。でも、上司のようにいつの間にか人生が仕事の一部になっていました。もうこんなことはやめます。自由に生きたいんです。」

その言葉どおり、彼女はそれからしばらくして会社を辞めた。

「仕事のアテは?」

と様々な人から聞かれたとき、彼女は「知り合いからなんとか仕事をもらいます。贅沢しなければ死にはしないと思う」と言った。

 

彼女はそれからしばらく、フリーのwebデザイナーとして生計を立てていた。

「あの時代は最高でした」

と彼女はその時を振り返って言う。「世の中の全てが綺麗に見えました。」

 

そして、彼女に転機が訪れる。たまたま自作したあるWordPressのテーマが顧客の目に止まり、そのデザイン性が買われて、「試しにやってみない」と大きな仕事を任されたのだ。

「ちょうど、一つ仕事がなくなっていましたので、飛びつきました。」

その仕事は評判となり、彼女のもとには仕事が次々舞い込んだ。一人では仕事をこなしきれなくなった彼女は少しずつ人を雇い、会社を設立した。事業は次第に拡大し、扱う仕事は大きくなった。

 

1、2年で彼女の会社はある程度のまとまった売上を生み出すようになった。

「仕事をするのはとても楽しかった」

と彼女は言う。

だが、彼女は同時に疑問も持っていた。

「でも、常にあの上司のことが頭にあった。会社をやめたのに、また仕事が生活の中心になりつつあったんです。」

技術を活かすのは楽しい、でも、こんなことをしていて良いのか疑問だった。

 

 

だが、良い時は長く続かないし、経営者の迷いは会社の経営を直撃する。

新規の顧客は徐々に減り、従業員は彼女の元から去った。中には独立するメンバーも居たが、彼女は彼らに「お客さんは持って行って良い」と告げたという。

「申し訳ない気持ちでいっぱいでした」

と彼女は言った。

「もともと、私は経営者の器ではなかったんです。それ相応の責任を取る覚悟もなしに、人を雇うなんて、間違いでした。」

そうして、彼女は徐々に会社を畳んでいった。

 

 

「成功は目前だったのに、なぜ途中で会社をやめたのか?」と聞くと、彼女は言った。

「人生で本当に大事なことは成功じゃない。好きな人達と、ゆっくりとした時間を過ごすこと。私はそれを忠実に実行しているだけ。

会社を続ければ、もしかしたらまとまったお金が手に入ったかもしれません。でも、対価として失うものが大きすぎる。私は、そういったものと引き換えにする価値を、お金には感じませんでした。

今思えば、なんであの時「自由に生きるには、会社を辞めなければいけない」と考えたのか不思議ですが。」

 

彼女は現在、勤め人に戻った。

副業がOKの会社なので、少しお金が必要なときは、自分のデザインとプログラミングの腕を活かして他の仕事もやっているという。

「のんびり働いてますよ。自分の時間を取り戻しました。」

 

彼女のように、人生には時に、引き返す勇気をもつ、ということも大事なのかもしれない。

 

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