最近、外部のセミナーや研究会で講演をさせていただく機会が増えてきました。ありがたいことだと思っています。

 

すると

「先生みたいに、人前で話すことが得意な人はいいですよね。私なんて、恥ずかしくって、とてもとても・・・」

みなさん、よく、そんなことをおっしゃいます。

ですが、これはある意味「慣れ」の問題であって、最初から得意な人なんて、ほとんどいやしません。何度も人前で話す経験を積むことで、話し手として育てられていくのです。

 

たとえば少人数のグループ内なら、自分の実践や考えを相手に伝えることに、あまり抵抗感はないと思います。その時、相手から反応があり、自分の話題が受け容れられたらどう感じますか? 誰もが心地よく、もっと話したいって思うはずです。

私自身、そういった経験をたくさん重ねながら、今では数百人規模であってもさほど臆することなく、自分の言いたいことが感情を込めて話せるようになりました。

と同時に、それがどれほど聴き手に伝わっているかということを敏感にキャッチするようになりました。満足すべきは聴き手であって、話し手ではないからです。

 

相手が「何を聴きたがっているか」を見失った話ほど、退屈で嫌なものはありません。それを思い出させてくれる、反面教師のような経験があります。

 

 

校内で、教職員向けの研修が行われた時のことです。学校側が招聘した大手学習塾の先生が講師でした。当時、私はまだ平教員で、どんな話が聴けるのかワクワクしながら耳を傾けていました。

 

素直で一生懸命、努力家、生徒思い・・・。とてもいい先生なんだということは、すぐわかりました。こんな先生に勉強を教えてもらえる子どもたちは、すごくシアワセだろうなと思いました。

聴けば聴くほど、よく勉強する人のようです。いや、勉強だけではありません。空手やボクシングもやるんだそう。その飽くなき「追求心」はどこからくるのか・・・。

私自身、そんなに何から何まで打ち込んで、しんどくないの?・・・って思いました。

 

でも、大丈夫みたいです。努力や勉強は自分のためにするのではなく「人のため」にするもの。だから、全然つらくないし、苦しいとも思わないのだといいます。私より遙かに若い年齢でそれを言い切れるのだから、すごい先生です。

なるほど、美しい。こんなふうに思えたら、勉強だって楽しくなるに違いない。

・・・そう思いました。

 

ただ、話を聴きつつ、その内容のすばらしさを感じる一方で、何とも言えない違和感というか、消化不良を感じました。せっかくのいい話が、全くといっていいほど「ココロに伝わってこなかった」のです。

僕が素直でないのか、一番前の席で聴いていたからなのか、とにかく「ごもっともなんだけど、それがどうしたの?」と思う気持ちが先行し、ストンと落ちてきません。

同じようなことを、別の先生も言っていました。何のためにやった研修なんだろう。せっかく来てくれた講師を生かしきれていない・・・。

 

別に、依頼した学校側が話の具体的な伝え方にまで踏み込んで、講演をセットしたわけではないでしょうし、それが原因だとは思えません。

しかし、聞き手である教職員に「いいものが伝わらない」のであれば、本来の目的を果たしているとは言えません。何を文句言ってるんだ! それは聴く側の問題! プラスになるように聴けない、アナタが悪い・・・。

そんなお叱りが聞こえてきそうですが、これこそ私たち教師が子どもたちへの指導の際に、つい口にしてしまいがちな「責任逃れの言い訳」です。

 

間違えてはいけません。勉強できないのは、「やらない生徒」が悪いのではなく、「させない教師」が悪いのです。もちろん、講演も「聴かない人」が悪いのではなく、「聴けないような話をする人」が悪いのは言うまでもありません。

私が違和感を感じた理由がどこにあるのか、それは言っていることが「借り物のように聞こえた」からです。

彼の、他人にはなかなか真似のできない勉強ぶりは、確かにすごいし、尊敬します。あれだけ幅広い勉強をやり遂げ、それを実践しているのだから、並大抵の人ではありません。

 

でも、どこか「自分のモノ」ではないように聞こえてしまうのです。

ウソを言っているわけではないし、すべて彼の実践に基づいた本当の話なのに、なぜ・・・。

いろいろ考えました。そして気づきました。

「過程が見えない」のです。

今日の講演は、突き詰めると「彼がやった勉強、学んだ知識や技術の一端であり、それを実践したことで得られた成果の羅列」です。そこにウソはありません。

確かに、すばらしいことです。でも、私たちが知りたいのは、その「過程」なのです。

彼と同じようなことが、「どうしたらできるのか」。彼のようになれないにしても、そのプロセスが見えないと自分流にアレンジしようにも打つ手がありません。

 

 

講演とか研修の学びとは、ただ語り手の「すごさ」や「すばらしい実践」を聴いて感動することではありません。

なぜ、そんなすごいことができるのか、そのためには何が必要なのかを「自分に問うて」、どうしたら自分ものものにできるかを「考えられ」「行動に移せる」ことです。

残念ながら、この講演は前者止まりでした。

消化不良だったので、どこかでまたゆっくりお話しを聞かせてください・・・。そう終了後のアンケートに書いておきましたが、その後の連絡はありません。

 

【安達が東京都主催のイベントに登壇します】

ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。


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こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい

<2025年7月14日実施予定>

投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは

借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。

【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである

2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる

3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう

【登壇者紹介】

安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00

参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。


お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください

(2025/6/2更新)

 

 

<プロフィール>

安居長敏(Nagatoshi Yasui)←名前をクリックすると今までの記事一覧が表示されます

私立中高校長。高校で20年間教員をした後、コミュニティFMの世界へ飛び込む。県内で2局を運営、同時にPCオンサイトサポートを個人起業。11年前、再び教育現場に戻り、「生徒が自ら学ぶ学校へ」改革を推進。4年前から現職。

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