先日ふとした偶然から昔ヤングガンガンで連載していたBAMBOO BLADEという剣道漫画の事を思い出した。
剣道漫画といっても六三四の剣みたいな暑苦しい男の剣道漫画ではなく、可愛い女の子達が主人公というその当時としては割と異色の剣道漫画であった。
なんとなく途中で読むのをやめてしまっていた事もあり、その後一体どうなったのかが気になりAmazonでまとめ買いして読んだのだけど、これがまた思いの外面白かった!
特に子供や部下の育成方針で悩んでいる人にはぜひともオススメしたい漫画である。
というわけで今回は上手な人の育て方について、自分の経験や見聞を織り交ぜて書いてみようかと思う。
自分がされた事を他人に強要しないでいられるのはすごい
BAMBOO BLADEのメインキャラの1人、コジロー先生は剣道部の顧問だ。自身はかつて超体育会系の洗礼を受けシゴキ抜かれた経験があるにも関わらず、それを生徒には強要せず割とチャランポランなユルい指導している。
幼い頃にこの設定をみてもいまいちピンとこなかったのだけど、今振り返るとこの設定はかなり現代的だ。
かつてのスポーツ漫画というと、それこそ巨人の星のように無茶苦茶な努力やバイオレンスが当然とされていたが、今そんな漫画ができたとしても全く共感を呼ばずに読まれないだろう。
シゴキを美化せず部下に”俺もこうされたんだから、お前も苦労しろ”と言わないのはフィクションとはいえ偉いものがある。
人は自分が経験した事を部下に押し付けがちだ。昔と比べれば多少ユルくはなっているものの、やはりシゴキ文化で育った人間は下の人間にもある程度はそれを強いてしまう事が多い。
自分がかつてされてきたことを相手に強要せずにいるというのは思いのほか難しい。
相手の事を本当に思いやるのならばそういった不幸は再生産するべきではないのだけど、それを自分が一番初めに決断し実行するのには凄く勇気がいる。
BAMBOO BLADEはフィクションとはいえ、これを違和感なくキチンと描けている点で読んでて非常に安心感がある作品となっている。10年前の漫画なのに凄く今風なのだ。
人はこうしろと他人から強要されると一人立ちできない
BAMBOO BLADEに現代を感じさせるのはそれだけにとどまらない。
なんとこの漫画、14巻もあるくせに指導者であるコジロー先生が「サボってないで練習しろ」と部員に言うシーンはほぼ皆無だ。
繰り返すがこの漫画は以前に厳しいシゴキを耐え抜いたガチのマッチョタイプの指導者が、チャランポランな練習をしている生徒を指導する漫画である。
これはかなり凄い。何が凄いのかわからない人もいるだろうから、以下に詳しく説明しよう。
人は他人の手でコントロールされてるうちは上手く成長できない。
あなたも小中学生時代の頃、1人ぐらい教育ママというやつにガリガリ勉強させられていた同級生がいたんじゃないだろうか?いま振り返ってみて、彼らは一体どうなっているだろう?たぶんあまり良い実績を残せてないのではないだろうか。
人は自発的に動けないと高いところまでは成長できない。
大学受験にしろ仕事にしろ、他人に言われたからやっているような人間は自分でキチンと自主的にやっている人と比較すると全く結果を残すことができない。
考えてみればわかるけど、他人が人に関与できる時間なんて精々数時間が限度だ。自分で自主的に動ければ24時間も使える事を考えれば、その効率は数倍も異なる。
それなのにどうして教育ママは子供に自主的に行動させられないのだろうか?
それは子供を放任するのが不安で不安で仕方がないからに他ならない。
自主性というものは、勇気をもって子供を放任することでしか育たない。愛ある放任こそが最高の指導なのである。けれど放任は凄く勇気のいる決断だ。
やってみればわかるけど、ついうっかり手や口をはさみたくなってしまうのが人情である。
しかし、そこで勇気を持って”見”の姿勢を保てるかどうかが子供や部下が自主性を持てるか否かの第一歩である。
これが本作の主人公であるコジロー先生の凄い点の1つ目であり、彼は生徒をキチンと信頼しているが故に無理矢理練習を行わせず、生徒を放任し自主性を重んじているのである。
あえて丁寧に教えずに自分で考えさせる
更に言うと放任するにとどまらず、彼は生徒に指導らしい指導を全く行わない。
作中でごく稀に生徒に技術を教えて欲しいと請われるシーンがあるが、その時ですら自分で指導は行わず、剣道の上手な生徒に指導を肩代わりさせている。
いっけん指導者として怠慢にもみえるこの行いだけど、実はこれがまた凄いのである。
上司や指導者を一回やってみるとわかるけど、人に物事を教えるのは結構面白い。思わず聞かれてない事まで含めて、手とり足とり何でもかんでも教えたくなってしまう。
けど不思議な事に、こうすると人は全く育たない。
これまでの人生経験ならびに観測結果として100%断言できるのだが、人は懇切丁寧に指導されると全く伸びない。
数々の輝く才能の芽を摘んでしまった僕が言うのだ。間違いない(´;ω;`)
人は親切な形で情報を与えられすぎると、頭がいつまでたっても使えるようにならない。もう少し掘り下げて言うと、丁寧すぎる指導はその人から一番大切な”疑問を持つ力”を奪い去るのである。
疑問を自分で作れるという力も、ひとり立ちにまた大切な要素の1つだ。
疑問は次の疑問を作る。人から教えられた事を理解するのは”理解したらそれで終了”だけど、自分で疑問を持てるようになるとその疑問はさらなる疑問を生み、結果として自分で勝手に学習するようにとなっていく。
自分で疑問を作り、それに対して自主的に試行錯誤できるようになると人は物事に熱中できるようになる。こうなれて初めて人は師を越えて成長できるようになる。
偉業を魅せて尊敬は集めど、あえて懇切丁寧に教えず、愛ある放任できる事が師として最善のあり方なのだ。
奇跡の育て上手、合気道開祖・植芝盛平
せっかくなので弟子に疑問を持たせる事が上手だった人の例をあげよう。合気道の開祖、植芝盛平氏だ。自分の知る限り、この人以上に人を育てるのがうまかった人間はいない。
彼は80年近い人生を通して20人以上の達人を育て上げている。武術に詳しくない人からすればフーンというような話かもしれないが、これは世界でも例をみない最大級の業績である。
実は99%の武道の達人は1人の弟子すら達人に仕立て上げられない。
卑近な例を用いれば、あの孫正義ですら自分の納得できるような後継者をうまく育てられていないのだ。それほどまでに後継者をうまく育てるという事は難しい。
そんな彼がどういう指導方法をしていたかというと、弟子をぶん投げてみせて技を示すだけ。
肝心な技のやり方とかコツについては全く説明しなかったのだという。技についての詳しい説明を求められると、熱心な宗教家でもあった植芝は神様の偉大さのみを語ったという。
やばいマジでこのオッサンやばい。
ちなみに神様の話に業を煮やした弟子が技術的な事を植芝に尋ねようものなら、それもう烈火の如く怒り狂い、その後には塵芥すら残らない惨事が巻き起こったという・・・
常識的に考えると、これはメチャクチャである。現代の会社でこれをやったら100%クビだ。
だが面白い事に人はやっちゃ駄目だと言われるとかえって情熱が燃えるようで、そうして放任された弟子は各自が熱心に裏で修行を重ね、結果として多くの弟子が達人の技術を身に着け植芝盛平の元を巣立っていったのである。
たぶん植芝盛平氏は意図してこのような弟子の指導を行ったわけではない。むしろ弟子なんて1人も育たなくていいぐらいの気分でこれをやっていたんじゃないかとは思う。
まさに馬鹿と天才は紙一重を地で行くようなエピソードだ。けれど現実問題、彼以上に出藍の誉れをなし得た武道家は皆無なのもまた事実なのである。非常に興味深いエピソードだといえるだろう。
ここまで書いといてなんだが、僕もあなたも植芝盛平氏のような達人でも偉人でもない。植芝のように魅せられる卓越した技術があるわけでもないのだから、これを100%真似る必要はないだろう。
けど実に興味深いエピソードではないだろうか。まあ頭の片隅においとしても損はないだろう。
あ、最後にオマケのような形で恐縮ですが、BAMBOO BLADEは頭を空っぽにして読んでも結構面白い漫画なのでオススメです。女の子も可愛いしね!
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