人前で子どもを堂々と褒めるようにしています。

 

例えば、長女や次女を「かわいいねー!」と褒めてもらったら、「ありがとうございます!長女ちゃん/次女ちゃん可愛いって、良かったねーー」といいますし、ちょっと砕けた関係なら「ですよね!可愛いですよね!」と言います。

 

例えば、長男が「賢そうだねー」と褒めてもらったら、多少気安い関係であれば「実際賢いですよ!」と億面もなく言います。

 

勿論、これは別に、誰かに褒めてもらったことだけをトリガーにしている訳ではなく、自分でも何かにつけて子どもは褒めますし、それは人前かそうでないかに関わりません。

広告に書いてある難しい漢字が読めたら「よくそんな字知ってるなー」と褒めますし、バスの中で静かに出来ていたら、「静かに出来て偉いなー」と褒めます。

勿論、逆にうるさかったら叱りますけど。

 

 

ただ、最近はだいぶ慣れてきたんですが、これ実際にやってみると、親として案外勇気がいることです。

今これを書く際にも、私は若干内心の抵抗を抑えて書いています。

 

ついつい、「いや、それ程でもないですよー」的なことを言いそうになるところを、私は意識的に押さえつけているんです。

 

それは何故かというと、「親バカ」と思われてしまうのではないかという抵抗感、あるいは「自分や身内についての謙遜」というものが、根っこのところで意識にしみついてしまっているからではないか、と思うのです。

実際、単に人前で子どもを褒めているだけでも、(そこまで悪い意味ではなかったとしても)「この人親バカだなー」と思われることはあるでしょう。

 

「身内への謙遜」は幼い子供を傷つけるのでは

自分の子どもを過度に賞賛したり、過保護になってしまうことを指して「親バカ」と呼ぶ、という向きは割と一般的に見られます。

明確な線引きは難しいですが、私にしても、例えば文脈に何も関係なく子どもの自慢話ばかりする人とか、本来叱るべきところでもダダ甘な人については、ちょっとどうかなーと感じることはあります。

 

ただ、自分に対してだけであればまだしも、「身内に対する謙遜」って、時として子どもの心を傷つけてしまうかも知れない、場合によっては子どもの自尊心や自己評価をスポイルしてしまうかも知れない、とも思うんですよ。

 

 特に小さい子は、謙遜とか謙譲っていうニュアンスを理解しません。

彼ら、彼女らは無邪気に、何の遠慮もなく「こんなこと出来たよ!すごいでしょ!」と自慢しますし、「褒めて!!」と要求してきます。

小さな子は、「他者からの承認」に貪欲です。勿論いつかは「自慢には適当な加減がある」ということを教えなくてはいけませんが、それは少しだけ成長した後の話です。

 

そんな時に、例えば「可愛いねー」とよその人に褒めてもらったとして、親が「いやそんなことないですよー」と言ってしまったら、子どもは真っ正直に「え、パパは可愛いと思ってくれてないんだ…」と受け取ってしまいはしないか、と。

そんなちょっとしたところで、子どもの自己評価に傷がついてしまうんじゃないか、と。

 

私は、生まれて10年くらいは、子どもにとって「自分を好きになる為の助走期間」だと思っています。そういう助走期間に、なるべくブレーキになるようなことをしたくないし、出来ることならどんどんアクセルを踏んであげたいなー、と思っているのです。

 

勿論これは、単なる心配のし過ぎかも知れません。子どもは親の言うこと、そこまで覚えてないよ、気にしてないよ、という人もいます。

実際、親の教育よりも、幼稚園や学校の環境の方が成長に及ぼす影響度合はずっと大きい、という話を聞いたこともあります。たかが親の影響、です。

 

ただ、されど親の影響、だとも私は思っているのです。

私は、子どもの頃、親に言われたことを結構はっきりと覚えています。父親に聞いた話を、母親にかけられた言葉を、端々で覚えています。

そんな風に覚えているということは、私が成長するに当たって結構バカにならない影響を、私は親の言葉から受けているのではないかと。

 

だから私は、子どもを遠慮なく褒めるようにしています。人前であろうが、家庭内であろうが、ちょっとしたことで「凄いな」「よく頑張ったな」というようにしています。

親バカと思われたとしても、それは所詮私一人に対する評価であって、子どもの自己評価に比べれば大した問題ではないな、と思うのです。

 

勿論これは、しんざき家ではそうするようにしています、というだけの話です。こういうやり方がいいよ、という訳ではありませんし、こういうやり方でこんないいことがあったよ、という話ですらありません。

当然、こう出来ないといけないですよ、などという話でもありません。私はまだたった10年しか親をやっていないのであって、子育ての正解など分かりませんし、色々手探りをしている最中です。家庭それぞれ、子どもそれぞれに適したやり方があるでしょう。

ただ、少なくとも「親10年目」になる今現在では、私はそんな方針で、ことあるごとに目いっぱい子どもを褒めていこうと、そんな風に考えているわけです。

 

ちなみに、子育ての話とは特に関係ないんですが、私はしんざき奥様も割と人前で褒めます。しんざき奥様は超かわいいし頭いいし料理が上手いので。

 のろけに聞こえるかも知れませんが、これは実際にのろけなのでご容赦ください。よろしくお願いします。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

【安達が東京都主催のイベントに登壇します】

ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。


ウェビナーバナー

▶ お申し込みはこちら(東京都サイト)


ティネクト代表の安達裕哉が東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。
ティネクトでは現在、生成AIやマーケティング事業に力を入れていますが、今回はその事業への「投資」という観点でお話しします。
経営に関わる全ての方にお役に立つ内容となっておりますでの、ぜひご参加ください。東京都主催ですが、ウェビナー形式ですので全国どこからでもご参加できます。

<2025年7月14日実施予定>

投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは

借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。

【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである

2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる

3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう

【登壇者紹介】

安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00

参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。


お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください

(2025/6/2更新)

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

 

(Photo:ann_jutatip