こんな時代だからこそ、僕らにはグレート・ムタが必要なのである。
(https://www.flickr.com/photos/siadow_moon/4124707025/)
出会い
田舎町の小さな体育館に年に二回だけプロレスの興行が来ていた。
二つの団体が顔見せの恒例行事のように半ば義務感を感じさせながらローテーションで興行を開催していた。少なからず存在していた田舎のプロレスファンはその恒例行事にお祭り騒ぎのように狂喜乱舞したものだった。
当時のプロレス界は単純明快で「全日本プロレス」と「新日本プロレス」の二大団体がメインだった。
ジャイアント馬場を中心とする全日本プロレスとアントニオ猪木を中心とする新日本プロレス、この二つがメインだった。これらの両団体が一年に一度だけ田舎町の体育館にくるのだ。
この田舎町でのプロレスを思い出そうとしたとき、最初に浮かぶのが全日本プロレスの年末恒例のシリーズ、最強タッグ決定リーグ戦だった。
なぜかこんなクソ田舎町に「アンドレアジャイアント・ジャイアント馬場組 VS テリーゴディー・スティーブウィリアムス組」という優勝候補同士の好カードが組まれていて、中学生ぐらいだった僕は狂喜し、すっかりプロレスにはまってしまったのだ。
しばらくすると、今度は新日本プロレスが興行にやってきた。その時、僕は武藤敬司というレスラーに心奪われたのだ。
はっきり言って戦うスタイルがかっこよかったし、魅せるプロレスってやつができる珍しいレスラーだった。
武藤選手は現在でも、スキンヘッドに髭面でダルマみたいな感じでバラエティ番組などによく出てくるが、当時は、頭もふさふさで髭もなく、爽やかで男前の色男レスラーという扱いだった。
当時から天才レスラーと呼ばれ、リングの内外でのスマートさが評判だった。そのかっこいいルックスも僕が武藤を好きになった理由の一つだった。
ファンサービスも良く、武藤は試合が終わったそのままの状態で体育館のロビーに現れ、汗だくでまだ息が切れている状態であるにも関わらずファンと交流していた。
僕も憧れの武藤選手に握手してもらい、その時に汗だくの武藤選手の頭髪がかなり薄くなっており、危険が危ない状態であると思ったものだった。それでもやはり武藤選手は爽やかでかっこよかった。
謎のレスラー「グレート・ムタ」
田舎町にはプロレスの情報があまり入ってこない。
前述したとおり年に一度周ってくる二団体の興行と、毎週水曜日に発売される週刊プロレスと週刊ゴング、日曜深夜のドキュメント’91の後にやっていた全日本プロレスの番組くらいしか情報がなかった。
特に週刊プロレスと週刊ゴングの二つは重要な情報源だったが、なぜかどちらも水曜発売という体制をとっており、これらを同時に購読する経済力がなかった僕は、今週は週プロ、今週はゴングとどちらかが追い込まれて廃刊にならないよう、気を使って交互に購入したものだった。
ある時、その紙面において衝撃的な記事を目にした。
それは広島サンプラザで行われたグレート・ムタという謎のレスラーと、後に国会議員となり、文科大臣にまでなる馳浩との一戦を報じた記事だった。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%B3%E6%B5%A9)
衝撃的だった。グレート・ムタという謎のレスラーは顔に不気味な赤のペイントを施し、黒で何らかの文字を書いていた。
明らかに異様なその外見に、ファイトスタイルも異様そのもので、後の文科大臣である馳浩を毒霧や凶器攻撃で血ダルマにし、反則負けとなったあとも起き上がれない文科大臣を担架の上に乗せ、そこにムーンサルトプレスを決めるなど、極悪非道をやりつくしていた。
真っ赤に塗られたグレート・ムタの顔をみて、それがペイントによるものなのか、文科大臣の血によるものなのか判別がつかず、とにかくぞっとしたものだった。
こんな恐ろしいレスラーが許されていいのか、悪の化身じゃないか、そう思った。
予期せぬ悪役の登場に震えあがると同時に、この悪役を武藤が倒してくれるかもしれない、そんな期待があった。
桁外れの悪役レスラーを正義でありかっこいい武藤が倒してくれる。夢のカードが実現しないものかと心躍らせた。しかしながら、この武藤とグレート・ムタの対戦は実現することはなかった。
この当時はファンが胸躍らせる夢のカードが近い未来に次々と実現していく楽しい時代だった。ファンが夢見た対戦カードの多くが団体を超えて実現していくちょっと前の話だ。
それでも武藤とグレート・ムタの一戦はついに実現しなかった。なぜなら、グレート・ムタの正体が武藤だったからだ。同一人物であるのだから対戦が実現するはずもなかった。
ショックを受けたし、少なからず動揺した。
純粋だった僕は、表ではあんな爽やかレスラーであるのに裏では極悪非道、周りを欺いていやがる、なんて憤ったりした。
その感情はやがて心配に変わり、もしかして武藤は自分でも抑えが効かなくなっているのではないか。正統派のレスラーとして生きることはストレスがあることだ、そのストレスがリミットに達した時、彼はグレート・ムタに変わり、悪行の限りを尽くすのではないか。
誰か、この俺を、ムタを止めてくれっ、そんな内面での葛藤があるのではないか、そう思った。
いつしか僕は、そういった武藤自身の負の面としてグレート・ムタを捉え、それらを含めた武藤という人間がたまらなく愛しく思えるようになったのだ。
人間が持つ二面性を分かりやすい形で示していて、それこそが彼自身の苦悩を表現しているのだった。
グレート・ムタがヒールとして輝けば輝くほど、武藤というヒーローがさらに鮮烈に輝くのだ。光が強ければそこにできる影は濃くなる。けれども影が濃い故に光を強くさせることもあり得るのだ。
グレート・ムタ@文化祭
当時、僕が好きだったクラスの女の子が、他の女子との雑談でこんなセリフを口にしていた。
「わたし、二面性がある男の人が好きなんだよね」
彼女はそう言った。確かにそう言った。明らかに彼女はグレート・ムタのことを言っている、そう思った。
もちろん彼女がガチのプロレスファンで
「グレート・ムタは武藤の化身という設定で、彼の海外武者修行中に向こうのファンが気にいるように忍者という設定で生まれたキャラクターで、著名なグレート・カブキの流れを汲んでいる。そんな彼が好き」
と言っている可能性も否定できないけど、おそらくそれはない。
ただ、彼女は一般論として
「いつも強がっている彼が見せるふいのやさしさ」だとか
「乱暴な彼が放課後の教室で泣いていた」みたいな、犬のクソみたいな二面性のことを言っていたのだろうけど、僕はバカだったので本当にグレート・ムタのことを言っていると思った。
その思いは完全に暴走し、もう僕の中ではグレート・ムタのように顔を赤に染めて悪行の限りを尽くせば彼女がなびいてくる、そう思っていた。
完全なるバカである。ただ、いきなり学校に行って「やあ、おはよう」とグレート・ムタのペイントを施していたらどうだろうか、完全に頭のおかしい人だ。なびくなびかないの問題じゃない。
いくら暴走しているといっても、それが好ましくないことは理解できた。
そこで僕は文化祭に目を付けた。規律の厳しい中学、誰もが息苦しさを感じるような校風の中学だったが、文化祭の期間中は「イベントごとだから」という理由であらゆる面で大らかさに溢れていた。
クラスの不良などはこの期間中に改造学生服を着たりして存在を誇示していたし、ヤンキー女もドバドバと化粧して短いスカートはいてセックスアピールに余念がなかった。つまり、グレート・ムタもいける、というわけである。
文化祭当日、あらかじめ用意しておいた赤の水彩絵の具で顔をペイントした。顔が真っ赤になった。
本家のグレート・ムタはここに黒の文字で「炎」だとか「忍」だとかかっこいい漢字がおどおどろしい感じで描かれている。
本家に倣ってここは「炎」などと描くべきところだが、ここはオリジナリティを出すべき、と妙に張り切った僕は意味不明に右の頬に「腸」左の頬に「胃」と描いていた。合わせて「胃腸」である。
体の部位の名前を描いて何をしたかったのか。ただ、これが最高に不気味でイカスと思っていた。もはや狂っている。
家から学校までの道中、おじちゃんおばちゃんにジロジロ見られた。
なるべく人に見られないように大回りして人気のない海浜公園をつっきって登校したので、ちょっとばかり遅刻してしまうこととなった。
それでも、やはり文化祭期間中は規律が緩い。遅刻でもあまり怒られないという打算があった。
なんてことはない、普通の男の子とおもっていたクラスメイトが、いきなりグレート・ムタになって登校してくる。
他にもちょっと大人しめの男の子が改造学生服を着たりして普段とは違う二面性を強調してくる日だが、グレート・ムタは次元が違う。
単に二面性だけの問題ではない。そこに武藤自身が抱える苦悩のようなものまで表現しているのだ。彼女の心を鷲掴みにするな、という方が土台無理な話なのである。
友人は語る
さて、時間を少し遡り、文化祭の日の朝の教室の様子を、友人から聞き取った話から説明しよう。
前述したように、文化祭の日は学校の規律が緩かった。不良とかヤンキー女はここぞとばかりに気合の入った格好をしていた。
それどころか、少し大人しめの連中までほのかな改造学生服とか私服っぽいパーカーを着ていたし、クラスで一番真面目な女子だった木下さんまで口紅をひいて登校してきたらしい。
みんな過去の経験からこの日はいけると確信し、普段とは違うB面の自分を魅せていた。
しかしながら、この年は勝手が違った。伝統的にやりたい放題だった文化祭の暴走に、ついに学校側が怒った。
チャイムが鳴ると同時に教師の中で一番怖かった吉松先生が竹刀片手に雪崩れ込んできた。
「おまえら! 調子に乗ってるんじゃねえぞ!」
吉松先生は怒号を響かせ、竹刀で黒板を殴った。バシインという竹刀の音が残響のようにいつまでも響いていたと友人は言っていた。
「おう、山本、おめえなんだ、そのズボンは、校則ってしってるか?」
「ひいい」
山本は泣いていたらしい。完全にヤクザの脅しに近いが、吉松先生は次々とクラスの面々の校則違反を指摘した。
そして、また竹刀で黒板を叩くと、その残響が終わらぬうちにこう言った。
「おまえら文化祭だからって浮かれてるんじゃないか?」
静寂という重苦しい気体が教室内に充填された。
誰もが文化祭に少し浮かれている自分に向き合っていた。
みんな心のどこかに思っていた。いつかこういうことになるんじゃないか。そんな心の声が聞こえてくるようだったと友人は言っていた。
「おはよう!」
そこに真っ赤に顔をペイントしたグレート・ムタが登校してきた。
顔にはなぜか「胃腸」と描かれている。友人曰く、「一番浮かれているやつがきた」そう思ったらしい。
グレート・ムタは、瞬時に察した。教室の空気が尋常でないことに。そして吉松先生が怒り狂っていることに。
「なんだそれは!」
吉松先生の怒号が角ばった物質になり、僕の体のあちこちに突き刺さるような感覚を覚えた。
「グ、グレート・ムタです」
そう言うしかなった。それ以上でもそれ以下でもない。ムタはムタだ。怒り狂う吉松先生の顔は真っ赤で、グレート・ムタみたいだった。
ムタはその後、職員室に連行されて4000文字という異常な文字量の反省文を書かされるのだけど、書くことがなくなり
「吉松先生は校則違反と言われたが、何度校則を読んでもグレート・ムタで登校してはならないとは書かれていない」
と書いたら、もう一回書かされることになった。計8000文字である。
ムタはそれでも真っ赤な顔をして書き続けた。
僕らにはグレート・ムタが必要だ
現代社会はとにかく品行方正であることが求められがちだ。正しく、真面目に、ミスなく、効率良く、人に迷惑をかけずに、スマートに生きなければならない。
常に正解の道を選択し続けねばならないような息苦しさがこの世界にはある。
まるでみんなこぞって我慢比べでもしているかのようだ。
確かにそれらは正しいことかもしれない。けれども、全てが正解だけで構成された世の中が何になるというのだろうか。
人は時に間違い、時に狂うから愛おしい。正統派レスラーだけのプロレスの何が面白いのだろうか。
こんな息苦しい世界だからこそ、僕らにはグレート・ムタが必要なのである。グレート・ムタとは僕らの中の僕なのである。
僕は頭が悪いので、普通に生活をしていて息苦しさを感じることがある。
そんな時、僕の頭では武藤の入場局「HOLD OUT」を和風にアレンジしたグレート・ムタの入場曲「MUTA」が鳴り響き、顔に「胃腸」と描いたグレート・ムタが首切りポーズをしながら颯爽と入場してくるのである。
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