知り合いの劇画原作者から聞いた話をしよう。

彼の知人が勤めていた病院で、こんなトラブルがあったらしい。

 

知人は小児科医で、その病院には、NICU(新生児特定集中治療室)があったため、小児科医が夜間も常駐していた。

ただし、その病院では、一般向けの小児科の夜間外来は行っていなかった。

 

そこまでやるにはマンパワーが不足していたし(そもそも、小児科医不足の時代に、NICUを運用するのは、かなりの負担だったのだ)、大きな街にあったので、軽症の子どもの診療は、他の病院に任せて、紹介されてくる重症の子どもの治療を担うことに決めていたのだ。

もちろん、周囲の病院もそれを理解していた。

 

ある夜、彼が当直をしていると、電話がかかってきた。

受付からの電話の内容は、その病院の偉い人(医者ではない)が、「自分(偉い人)の知り合いの子どもが熱を出しているそうなので、診てほしい」と連絡してきた、というものだった。

彼は、「この病院は、夜間小児科外来はやっていないので、〇〇病院を受診するように伝えてください」と近隣の救急病院の名前を挙げて、丁重に断った。

その病院は、夜間に外来で軽症の子どもを診療する体制がまったく整っていなかったし、もともと、そういう条件で勤めているのだから。診てもらう子どもにとっても、そのほうが良いはずだと思ったから。

 

しかし、彼の対応は、のちに問題視されることになった。

その偉い人は、「小児科の医者がいるのに、なんで診ないんだ。医者は患者を診るのが仕事だろう、俺の面子をつぶされた」と彼と彼の上司を叱責したのだ。

上司は彼を擁護したのだが、偉い人の怒りはおさまらなかった。

結局、彼はその病院を辞めてしまったのだが、NICUでの仕事にやりがいを感じていただけに、かなり長い間、落ち込んでいたそうだ。

自分の対応は間違っていたのだろうか、偉い人の言うことだからと、「なんとかする」べきだったのか。

 

知り合いの劇画原作者は「彼がやったことは全然おかしくない。当たり前の対応をしただけだ」と僕に言ったし、僕もそう思う。

 

だが、現実的に、彼はその職場にいづらくなったし、彼がいなくなっても、その病院がつぶれたわけではない。

公立の病院ならば、それは「権力の濫用」だと言ってよいのだろうけど、そこは私立の病院で、その偉い人のワンマン経営で知られていた。

彼の上司も、同僚も、結局、誰も辞めなかった。

 

その病院は、偉い人に気に入ってもらえれば、かなりの好待遇を受けられることで知られていた。

その一方で、偉い人の人脈で、交替で若い医者が派遣されてきて、「1年間の辛抱だから」と、馬車馬のように働かされていたそうだ。

 

*****

 

僕は若いころ、理想のリーダーというのは「あらゆる事象に対して、公正な判断をし、身内や友人だからといって、優遇しない人」だと思っていた。

汚職や身内びいきをするような人間は、「不適格」だと。

理屈としては、それが正しいと今でも思っている。

 

しかしながら、半世紀近く生き、いろんな組織に属してきて、人というのは、「友人も赤の他人もみんな平等に扱う」人よりも、「友人や部下である自分を大事にしてくれる人」を支持しがちなものだ、と実感している。

 

ものすごく小さな例をあげると、僕が学生の頃、友人がアルバイトをしている店に行くと、ごはんを大盛りにしてくれたり、一品多くおかずをつけてくれることがあった。

(今では、そういうのもコンプライアンス上よくない、ということになっているかもしれない)

 

たかがそれだけのことなのだが、「友達でも、お客さんの一人なんだから」と、素知らぬ顔で同じように接客されたらどうだろうか?

僕は理屈ではそうするべきだと思うし、そんな「特別待遇」が苦手で、あまり知り合いがいる店には行かなかった。そういう姿勢に対して、「なんか冷たい人」「他人と距離を置きたがる人」とみなされることも多かった。

 

人というのは、自分の手の届かない高いところにいる人や、自分に関係がないリーダーには「公正で清廉潔白であること」を望む。

だが、自分の手の届く範囲にいる人に関しては、「公正さを多少欠いても、自分に恩恵をもたらしてくれる人」を支持しがちなのだ。

  

ある知人がしみじみ語っていた。

「俺も以前は、時間外に受診してくる勤務先のスタッフに素っ気なく対応していたんだけど(症状は前からあったのだから、わざわざ時間外になってから、一般の患者さんで混んでいて人手不足の救急外来を受診しなくても、って)、言いたいことを呑み込んで、優しく対応したほうが『うまくいく』のだよなあ」と。

 

歴史を鑑みてみると、長続きしているリーダーの多くは「清廉潔白な人」ではない。

あえて言えば、中国・鄭の子産くらいかもしれない(伝説中の人物、ではあるとしても)。

 

長期政権を築いてきたのは、清濁併せ呑む、というか、飴と鞭をうまく使い分けて、身内を手なづけ、下々に対しては、経済的な繁栄をもたらしてきた人ばかりだ。

正しいだけの人は、すぐに退場していった。

 

僕もリーダーは、公正で清廉潔白なのが「正しい」とは思っている。

だが、「正しさ」をいかなる場面でも貫こうとすると、人のなかで生きるのは難しい。

「自分にも家族がいて、生活があるから」

「みんながやっていることだから」

「余計な混乱を避けるため」

僕も、そうやって自分に言い訳をして生きてきた。

 

「自分にとって不利益をもたらす正しさ(あるいは、恩恵を奪ってしまう正しさ)」に耐えられる人は、現実にはそんなに多くはないのだ。

 

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(2019/2/20更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

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(Photo:Khalid Albaih