つい先日、こちらに寄稿した「採用選考に「AI」を導入しようとしたが、断念した会社の話が面白かった。」という記事がキッカケで東京FMに出演させていただく事となった。ありがたい事である。
さすがにオンエアで下手なことは喋られないので、ちょっとAI採用について出演前に復習したのだけど、その時にAI採用のメリットとして
「人間が選ぶよりもAIが採用選考をした方が離職率が低かった」
という事例があるサイトに記載されていた。
実際にAIが個人の適応を適切に判断できるか否かは置いとくとして、これ、みなさんはどう思うだろうか?
僕は個人的な経験からいうと、実のところ就職初期における離職はそんなに悪いもんじゃないと思っている。なので、これに関しては本当にメリットといえるのかどうか凄く難しいなと思った。
もっと具体的にいうと、合わない仕事を最初にやって、自分が何を嫌に思うかを心底痛感する事は、その後の良い仕事選びに凄く役立つと思うのである。
というわけで、今回は自分の経験も踏まえた上で、キャリアの最初でやりたくない仕事をやるメリットについて記載していこうかと思う。
憧れだった花形診療科は、僕には合いませんでした。
僕が最初に働くことを選んだ病院はウルトラハイパー激務病院だった。
その頃の自分はいわゆる花形職種に憧れていた。救急車でやってくる急病人の命の危機を救う医者、超絶に難しい手術を難しい顔をしながら推敲する外科医。
「男として産まれたのなら、人生を仕事一本に捧げるのもまたよし!」
激務病院を選んだのは、そういう憧れに突き進まされた上での選択であった。
今になって思えば、どう考えても自分に全く合わない病院選びだった。けど、人間一回痛い目をみないとわからないようで、実際に打ちのめされて散々な目にあって、ようやく僕はそれらの診療科に全く適性が無いことを心の底から痛感した。
そうして何度も何度も嫌な思いをする中で、逆説的ではあるが次第に「自分がどういう働き方を嫌に思うのか」がより明瞭化されていく事となった。
実のところ、本当に自分のやりたい事を見つけ出すのは凄く難しい。
昨今話題の将棋の藤井六段のような早熟の天才を例に
「やりたいことをみつけて、そこに全ての情熱をぶつけろ」
という風に煽る自己啓発本が世間には山のようにあるけれど、ああいう成功事例は本当にレア中のレアだ。
私達凡人は、ああいう特殊事例を参考にしてはいけない。
凡人は凡人であるのだから、やりたいことに一直線に突き進むのではなく、むしろ逆に「やりたくない事」を心底痛感し、そしてそのやりたくない事の外側にある「やっても比較的ストレスがない事」が何なのかをキチンと理解しておくべきである。
そうして2年間の初期研修の間に僕は散々な思いをしたわけだけど、そこで得られた様々な知見は今の職場を選ぶ物凄くよくワークした。
幸い今はほとんどストレスなく働けているし、時間にも少しだけ余裕があるから、このように連載媒体なんかも持たせて頂けている。感謝以外の何物でもない。
「そんなんで世間に出て通用するだなんて思うなよ」の嘘
ちなみに、かつてこの頃に得た学びを記事にした事がある。
ケーススタディを用いて学ぶ、激務に向く人、向かない人 – 珈琲をゴクゴク呑むように
鬼畜系医長
「おいお前ら集まったか。じゃあ朝のカンファはじめっぞ。じゃあ各自担当患者について簡単にプレゼンしろ。」
研修医A
「おっす・・・おっす・・・おっ・・・す。で・・・き・・て・・・ません」
鬼畜系医長
「(ニタニタしながら)お前はなー。本当になー。このままじゃ患者殺しちゃうぞ☆」
この記事で出てくる超厳しい上司のモデルとなった方がいるのだが、かつて彼は出来の悪い研修医を捕まえては何度も何度も
「そんなんで世間に出てから通用すると思うなよ。今のままじゃお前は絶対にロクな人間ならない」
というような事をいって他人を疲弊させていた。
恐らくこれと似たような事は、いまでも世間では実によく言われていると思うのだけど、実際のところ、これはどうなんだろうか。
これについては、太宰治がかつて人間失格で大変興味深い指摘を行っている。以下にそのまま引用するが、大変な名文である。
「これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。
けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
僕がこの文章を知ったのは、あの超激詰め上司の元を去った後だったけど、何度読んでも実に味わい深い文章である。
もし仮にだけど、あのまま僕が超激詰め上司の元で働いていたとしたら、彼の定義する「世間」では僕は全く通用しない人間であっただろう。
けど僕は今、こうしてそこそこ普通に医者もやれているし、ライターとしても記事を書き続ける事ができている。
元上司からみれば、僕のやってる事なんて評価には全く値しない事ではあるかもしれない。
けど、少なくとも僕の生きている「世間」では、僕の仕事はそれなりに馴染んでいる。
ひとくちに「世間」といっても、活動する場所でそれは随分と様相が異なるものなのだ。
あの地獄のような就業体験を経て、僕は「合わない人とは永遠に合わない」事が学べたし、逆にいえば「自分で自分の生きる場所を選ばなければ、人は幸せには永遠になれない」事が心底学べた。
人生、後々なにが活きてくるかわからないものだ。
人生は長いんだから、あまり思いつめない方がよいですよ
まとめに入ろう。
人生30年なら即適応する仕事やればいいと思うけど、人生90年計画なら、合わない仕事も3年くらい経験して、その後のキャリアを構築するのも僕は悪くないと思うのである。
意外とやりたい事をやってる時より、やりたくない事をやらされる方が自分の適性ってわかったりするんですよね。逆説的ではありますけれど。
人生は長い。かつてのように人生が30年ぐらいしかなかった時代なら即適応する仕事やにつけるか否かは大変に重要だったとは思う。
けど今の高齢者は定年を迎える頃でもピンピンしている。私達は、そこそこ歳を重ねても、まだまだ活動可能なのだ。
だから人生90年計画で考えると、最初の頃に合わない仕事も3年くらい経験して、その後のキャリアを構築するのも悪くないなーと思うのですよね。
繰り返しになるが、今の日本に生きる人にとっては、昔と比較して人生は途方もなく長い。だからセカンドキャリアもサードキャリアという選択をする事も全然ありえるだろう。
僕も医者とライターと食事評論の3本のわらじを履いて生活していますけど、今後、まだまだどんどん色々なものに手を出していきたいなと思いますしね。
とまあ書きたいことは今日はこんなとこでしょうか。
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都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように
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(Photo:A.Currell)