みなさんは、カップラーメンを食べたことがあるだろうか。たぶん、98%くらいの人は「イエス」と答えると思う。
じゃあ、初めてカップラーメンを食べたのはいつか覚えているだろうか。これに関しては、多くの人は覚えていないだろう。
でもわたしは覚えている。
初めてカップラーメンを食べたのは、大学に入学したばかりの2010年4月のことだ。
カップラーメンの作り方は「常識」ですか?
大学に入学してバンドサークルに入ったわたしは、時間があればすぐに「コモン」と呼ばれるサークルのたまり場に行って、友だちづくりにいそしんでいた。
入学した数日後、新1年生のわたしは、先輩に連れられてコモンの奥にある「山小屋」に行った。
山小屋は数種類のメニューを扱っている小さな食堂で、ちょっとした食べ物や飲み物も売っている場所だ。
わたしはそこで、雑に並んでいる数種類のカップラーメンに目を奪われた。
実はそのときまで、カップラーメンを自分で作って食べるという経験をしたことがなかったのである。
サークルの友だちとたまり場でカップラーメンを食べる。
なんだかすごく大学生っぽい……!
というわけで、わたしは意気揚々と、とあるカップラーメンの醤油味を買った。
ええっと、カップラーメンっていうのは、たしかお湯を注ぐんだよな。
山小屋に置いてあるポットからお湯を注ごうと、ペリペリとカップラーメンのフタを剥がす。
そこで友だち数人が、目を見開いた。
「お前、なんでフタ剥がしちゃうの!?」
フタで密封されているものを食べるなら、当然フタを開けるのが当然だ。
なにが問題なのかわからず首をかしげると、「作り方知らねぇの!?」「お嬢様かよ!!」「見たらわかるだろ?」とみんなが笑い始める。
頭の上に「???」とクエスチョンマークが浮かんでいるわたしは、まじまじとカップラーメンを見てみた。
なるほど、たしかに「フタを半分だけはがしてお湯を注ぐこと」と書かれていた。
でもふつう、そんなの読むだろうか。フタがあったら、とりあえず開けるだろう。そんなにおかしいことをしたんだろうか。
「カップラーメンの作り方なんて、常識だろ?」
そう言われた。
ふつうに生きてきたわたしは、「常識知らず」らしい
わたしの母は、仕事しながらもしっかりと料理をしてくれる人だ。
朝起きると朝食が用意されていて、学校に行くときはお弁当を持たせてくれて、夜は一汁三菜が揃った食事が並ぶ。仕事でいないときは、お昼ごはんを作ってラップをかけて置いておいてくれる。わたしは、そんな家庭で生まれ育った。
高校に入ってからはコンビニでご飯を買うこともあったが、おにぎりや冷製うどんが多く、カップラーメンは食べたことがなかった(高校の食堂にポットがなかったのが理由だと思う)。
だからわたしは大学に入るまで、カップラーメンとはまったく縁のない生活を送っていたのだ。
そこで突然、「カップラーメンの作り方は常識」という言葉で、頬を思いっきり殴られた。
みんなはカップラーメンの作り方を知っているから、それを知らないわたしはふつうじゃないということらしい。
わたしからしたら、フタははがすのが「当然」だ。半分しか開けちゃいけない、なんてほうが非常識である。
わたしの知らない世界を引き合いに出して「常識知らず」と笑われたのは、すごく腹が立ったし、なによりも悔しかった。
大げさに言えば、わたしのいままでの人生やこれまでお母さんがした努力をまとめて侮辱されたように思えたのだ。
「常識」だと思っているのは自分だけかもしれない
だれでも一度は、「自分のなかの当たり前」と「ほかの人たちが共通してもっている認識」とのへだたりに戸惑ったことがあると思う。
金持ちの先輩は家事手伝いを雇っているからFAXの送り方を知らなかったし、地方出身の友だちが共通語だと思っていた言葉が方言だと知ってショックを受けていたこともあった。
わたしにとってFAXの送り方や標準語なんて「当然」だけど、知らない人は知らないのだ。それを知らなくたって、問題なく生きられる世界の住人だったのだから。
結局常識なんていうのは、その場においてのマジョリティでしかない。知っておくべき一般教養や社会通念はたしかに存在するが、だれにでも通用する「常識」なんてものは、意外に少ないのだ。
自分の価値観は絶対だけど、標準的とは限らない
「なんでそんなことも知らないの?」
「こんな常識も知らずによく生きてこれたな」
「そんなことを当然だと思っているのはお前だけだ」
こういった言葉で、気付かないうちに自分の世界を正当化して、他人の世界を否定してしまうことがある。
自分の世界の外にある「常識」を押し付けられたら、だれだってうれしくはない。それまでのことをすべて「非常識」だと言われているのと同じなのだから。
悪意がなくとも、自分の価値観が標準的であると思い込んでしまうのは、だれにでもあることだ。もちろん、わたしも含めて。
でもソレはあくまで自分にとっての「ふつう」であって、相手にとっては「ふつう」ではないかもしれない。
「常識」「当然」「ふつう」といった言葉は便利だし、使えば自分が正しいかのように思わせられるけど、時に人を傷つけたり怒らせたりすることもある。
もしなにかを「知らない」という人がいたら笑わずに教えてあげたいし、自分が知らないのであれば素直に教えてもらう姿勢でいたい。
カップラーメンの一件を思い出しながら、「自分のなかの常識を当たり前だと思わないように気をつけないとな」なんて改めて気を引き締めた。
【安達が東京都主催のイベントに登壇します】
ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。

こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい
<2025年7月14日実施予定>
投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは
借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである
2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる
3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう
【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください
(2025/6/2更新)
【プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
Twitter:amamiya9901
(Photo:emily mucha)