先日公開された記事に、『「話せばわかる」だなんて、やっぱり嘘だった』という記事がある。

たしかにそうだよなぁ、話したってわかんないやつはわかんないもんなぁ。話にならないやつだっているもんなぁ。

 

納得すると同時に、「だから論破って意味がないんだな」と改めて思ったので、それについてわたしなりにちょっと書いておきたい。

 

だいたいの場合、話してもムダである

記事の中でとくに感銘を受けたのは、この部分だ。

広島カープと巨人のどちらが優れているかは宗教論争のようなものであり、ロジックやファクトで討論して決められるものではない。民主党と自民党、仏教とキリスト教も似たようなものだ。

だから相手がどんなに論理が破綻した事をいってたとしても、ロジックを用いた知能による暴力を加えて、自尊心を傷つける事はできる限り避けるべきだ。

それは道端であった人が、変な雰囲気がしていたら殴ってよいという事にならないのと同じ事で、相手の原理原則というのは、ある種の人権みたいなもので、頭がよい人間がロジックでぶん殴ってよいものでは決して無いのである。

結局のところ人間なんて、「好きか嫌いか」を主軸にモノを考える生き物だ。

懇切丁寧にデータや根拠を並べられても、好きなモノは好きだし、嫌いなモノは嫌い。ロジックとファクトを前提に話したって、「わかりあえる」とは限らない。

だいたい、こういった主義主張は、平行線をたどるのが常である。「言葉のキャッチボール」とは言うが、それを成立させるのは案外むずかしい。

 

たとえば、わたしはモーニング娘。’18をはじめとしてハロプロが好きだ。

だから「ハロプロよりAKBの方が売れていますよ」とデータを突きつけられても、正直「なんだこいつ」と腹が立つし、なんなら「この人はハロプロの良さを知らないのかぁ。残念だなぁ」と思う。

 

ハロプロ星の住人はハロプロのいいところを伝えるためにボールを投げるが、AKB星の住人はそれを受け取らない。むしろAKBのよさを伝えるボールを投げ返すだけ。もちろんハロプロ星人は、そのボールを受け取らない。

 

だから、話したってムダなのだ。

「言葉のキャッチボール」が成立するのは、好き嫌いが絡まない知的好奇心をくすぐるテーマであるとか、利益追求という共通の目的があるとか、シンポジウムのような意見交換会の場だとか、限られた状況くらいなものである。

 

なぜ「論破」は無意味なのか?

さてさて、本題の「論破」について考えてみよう。

論破とは、言い負かすこと、言葉によって相手をねじ伏せ勝利する(と錯覚する)ことである。

これは基本的に嫌われる行為であって、できるかぎりやらない方がいい。

 

では、なぜ論破がダメなのだろう。

より説得力のある意見を見出すためにその他の意見を淘汰する手段になりえる……と考えることもできるんじゃないか?

 

いいや、そうじゃない。

論破とは、ボールをキャッチする体勢が整っていない人に剛速球を投げつけるような、無意味に相手を傷つける行為である。

だから、やらないほうがいいのだ。

 

言葉で相手を言い負かせば絶対に「理解」してもらえない

わたしはまわりの子たちに比べて、早い段階から言葉によって自分の意思表示をしていたと思う。

「なんでそう思うの?これはこうじゃないの?」

「それってまちがってるよ。だってこれはこうだもん」

「納得いかない。ちゃんと説明してほしい」

小学生のときからこんなことを言うようなおしゃま……というか、生意気な子どもだった。

 

こう言うわたしに対し、親は「いいやこれはこうなんだよ」「そうじゃなくてこっちを見てごらん」「よし、じゃあ説明しよう」とちゃんと答えてくれていた。

だから「言葉を用いればお互い理解できる」と思っていたし、「納得いかなければ相手は反論してくるだろう」と思っていた。

でも、そうじゃなかった。

 

同年代の子どもたちは言葉を使って話し合うより徒党を組んで数で殴る手法をメインで使ってきたし、わたしに対して「そうだねー」と言いながら徐々に距離を取る子もいたし、場合によっては泣いてしまう子もいた。

 

わたしに悪気はなかったけど、結果的に相手を言い負かしてなにも言えない状態にして、傷つけていたり不愉快な気持ちにさせたりしていたのである。

わたしは相手を理解したかったし自分のことも理解してほしかったけど、言葉で相手をねじ伏せた瞬間、「理解」からは最も遠いところにいることになる。

 

平行線を自分ルールで折り曲げるのが論破である

論破とは、「相撲しようぜ!」と言うジャイアンが、嫌がるのび太を問答無用に投げ飛ばすのと同じだ。相手はそんなこと望んでいないのに勝手に土俵に上げ、勝手に勝負を開始し、自分ルールで「俺の勝ち」だと言う。

 

たとえば「ハロプロは歌がうまい!AKBはヘタ!」という自分基準でAKB星人を論破したがるハロプロ星人がいるとしよう。

その人にとって勝敗はすでに決まっているから、相手がなにを言おうと「いいや、ハロプロのほうが歌がうまい」で反論できる。そして相手が黙った時点で高らかに勝利宣言をすれば、最高に気持ちいい論破になる(と思っている)。

 

でも、ちょっと待ってほしい。

自分のルールで勝手に勝負をはじめるのだから、自分が勝つのは当たり前だ。喜ぶようなことじゃない。勝率100%のクソゲーである。

そして、必ずしも相手が同じ土俵に立って同じルールで戦いたいと思っているわけではないことも、忘れちゃいけない。

ハロプロ星人は歌のうまいメンバーがいるからハロプロを好きなのかもしれないが、AKB星人は単純に好みのかわいい顔の子がいるから好きなのかもしれない。

それなのに勝手に「歌勝負」をもちかけ、自分のルールで相手を否定するのだから、そりゃあやられたほうは不愉快だ。

 

最初に書いたように、こういった主義主張は平行線であるのが当然なのだ。そして、平行線をたどっていても問題ないのが事実である。

「あなたはAKBが好きなんだ。わたしはハロプロが好き」

「君はハロプロが好きなんだ。僕はAKBが好きだよ」

これで終わりである。2本の平行線を自分勝手な基準で無理やり交わらせ、どちらが優れているかを決める必要はない。

 

AKB星人にハロプロの良さをわかってもらいたければ、相手を否定するのではなく「どっちも好きになってもらう」努力をするほうが健全だし、現実的だ。

だからやっぱり、論破は不要なのである。

 

論破の先にはなにもない

勝敗を決するディベートやどの企画を通すかを決める仕事の場、選挙で戦う政治家であったなら、またちょっと事情はちがう。時と場合によっては、相手の主義主張を叩き潰してなんぼ、ということもある。

ただしそれが許されるのは、お互いに自分の意思で同じ土俵に上がり、同じルールで勝負に臨んだときのみだ。

双方に「話す」と「聴く」の準備ができているときにはじめて、「言葉のキャッチボール」は成立する。

 

そうでないのに勝手にボールを投げてキャッチボールをはじめ、ボールを獲れなかった相手を笑うのは、品のいいことではない。第一、なにもうまれない。

うまれるのは、自分勝手に勝負をはじめた人が一方的に勝利宣言をして優越感に浸れるという、なんとも生産性のない自己満足感だけだ。

 

自分の言い分だけを伝えたいのなら、グローブを構えていない人に剛速球でボールをぶん投げることもひとつの手段ではあるが、だれの心にも響かない。

だから論破は、自分勝手で嫌われる行為であり、良いものをうみださないから、やるべきではないのだ。

(ちなみにわたしは、アンチAKBではない。あしからず)

 

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(2019/8/8更新)

 

【プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

ブログ:『雨宮の迷走ニュース』

Twitter:amamiya9901

 

(Photo:Todd Huffman)